第42話 たった一人の悩める男 1/2
年の瀬もやや押し迫ってきた頃。
行き交う人々が少々足早になるその季節、商店街の一角に間田木食堂はある。
何の因果か悪霊や妖怪のたぐいが引き寄せられ、それを料理で祓ってしまうと噂の謎多き店だ。
その間田木食堂に、悩める男が今日もまたひとり――
「ぜったいにこれは悪霊の仕業なんだ! もったいつけないで助けてくれ!」
「ンなこと言われましてもね、ここは単なる定食屋で、あっしはただの料理人でして」
「うう……どこの除霊師に頼んでも霊なんかついていないと言われ、噂に聞いたこの店だけが最後の頼みだったのに……」
「あー、わかんねえっすけど、それなら悪霊がついてなくてよかったじゃありやせんか?」
「よくないっ! それでは僕の悩みが解決しない!」
「はぁ、うちはお悩み相談所のたぐいでもないんですけどねえ」
カウンターを挟んで、ベレー帽をかぶった男と赤髪の女――間田木リョウコがなにやら話している。
男の表情は必死そのものだが、対するリョウコは困惑している。リョウコには霊感などないし、過去に除霊を手伝ったのも成り行き上のことである。除霊師の間で店の噂が広まっているとは聞いていたが、こんな客に来られても対応のしようがないのだ。
「悪霊は、この中に――あれ、今日はいないですね」
「おお、トウカ。いいところに来た。このお兄さんの相談に乗ってやってくれよ」
ガラリと引き戸を開けて現れた巫女服の少女は稲荷屋トウカ。
黙っていれば日本人形のような愛らしい美少女なのだが、美味そうな料理を見るとよだれを垂らす食いしん坊と化すのが玉に瑕だ。本職の除霊師であるトウカがやってきたので、リョウコはこれ幸いとバトンタッチすることにした。
「なんです、悪霊関連の相談ですか?」
「あ、あんたはこの女の弟子っていう新米除霊師だな! 除霊師ランキングにも載っていた!」
「えへへ、新人除霊師ランキング第4位の稲荷屋トウカです。リョウコさんの弟子っていうのはちょっと違うんですけど」
「細かいことはどうでもいい、僕に憑いた悪霊を祓ってくれ!」
すがりついてくる男に、トウカもまた困惑する。男には、悪霊の気配など微塵も感じられないからだ。
リョウコに視線を送ると、「こういうわけだからよろしく頼むわ」という表情をしている。トウカは「ひとつ貸しですよ」という意味のことを目顔で返した。
「ええっと、まずは具体的にどんな被害に遭われてるんですか?」
「アイデアが……何も出てこないんだ……」
「アイデア? 何のです?」
「漫画だよ、ずっと休載が続いてしまって……このままじゃファンに申し訳ない……」
「へえ、漫画家の先生なんですね。どんな漫画を書いてるんです?」
「ああ、すまなかった。自己紹介もしてなかったね。僕は
「ええっ!? あの『
男が取り出してみせた漫画の単行本にトウカは思わず大声で反応してしまった。
週刊少年ステップに連載中の『
「まさか
「僕なんかのサインで良ければいくらでも……。読者の予想を裏切り、期待を超える……その精神でずっとやってきたのに、近頃はまったく新しいアイデアがわかなくなってしまったんだ……」
冨桐はがっくりと項垂れ、意気消沈している。
深層心理でスランプに何らかの原因を求め、それを悪霊のせいだということにしたかったのだろう。そういう心理に陥って、除霊師の元を訪れる者は少なくない。軽いものなら気休め程度にお祓いの真似事をしておけば解決するのだが、目の前の男は明らかに重症だ。トウカは腕を組んで考え込んだ。
「へえ、漫画家の先生かい。よかったら読ませてくんな」
そこに、リョウコが割り込んで漫画本を取り上げた。
そして首を傾げながらパラパラとページをめくっていく。
「はあ、やっぱり漫画家の先生だけあって絵が上手いねえ」
「えっ、リョウコさん、もしかして『
トウカが驚いて声を上げると、冨桐も信じられないものを見たという目でリョウコを見ている。
「すんませんね、何しろこんな商売してるもんで、テレビなんかにゃすっかり疎くなっちまって」
本当は、ほぼ競馬中継のときにしかテレビを付けないせいなのだが、トウカは思わずその言葉を飲み込んだ。
これではますます冨桐が落ち込むのではないか――トウカはそんな心配をして焦った。
「いや、気にしなくていいよ。むしろそんなこと面と向かって言われたのはずっとなかったから。よかったら、はじめて読んだ感想を聞かせてくれないかな?」
「うーん、なんか小難しくってよくわかんなかったなあ。いや、作品が悪りぃとか言いたいわけじゃなくってね。普段あっしが読んでるもんはああいうのなんすよ」
リョウコが示した先には、小さな本棚があった。
そこには少し黄ばんだ漫画本が並べられており、ほとんどが古いギャグ漫画である。1話毎に話が完結しており、注文の待ち時間でもキリのよいところまで読めることから、リョウコはこの種の漫画だけを店に置いていたのである。
「……なるほど、どれも往年の名作ばかりだ。話がシンプルで、子供からお年寄りまで誰でも楽しめる」
冨桐は吸い寄せられるように本棚へ歩いていき、1冊を手に取った。
そして食い入るように1ページずつ頁をめくっていく。やがて、小声で笑ったり、ぶつぶつと呟きはじめた。
「ふふ、懐かしいな。秋塚先生の代表作だ。読み返したのは何年ぶりだろう。このエピソードが一番好きだったなあ。細かいことなんか気にしないで、力強くて、それでいて破綻のないシンプルな構成――なるほど、僕に足りなかったのはこういうことか! アイデアを複雑にこねくりまわすことばかり考えて、このシンプルな面白さを忘れてしまっていた!」
漫画から顔を上げた冨桐は、先ほどまでとは別人のように明るい顔つきになっていた。
「さすがは店長さんだ! 頭の中にかかっていた靄が一気に晴れたようだ! なるほど、はじめからすべてわかっていて、僕がデビュー前に一番影響を受けた先生の漫画まで用意してくださっているとは……さすがは日本一、いや、世界一の除霊師とも言われる間田木先生だ!」
「お、おう? なんだかわかんねえけど、悩みが解決したんならよかったぜ。それでよ、ここはメシ屋なんだが、いい加減に何か注文してくれると助かるんだがよ」
「おおっと、僕としたことが失礼した。何かおすすめはあるかい?」
「うーん、そうさなあ。さっきこねくりまわすだとかなんとか言ってたし、ハンバーグなんてどうだい?」
「ハンバーグ、いいじゃないか! それこそみんな大好きでシンプルな料理だ!」
「お、おう。夜営業の仕込み中だったから少し待たせちまうが、かまわねえかい?」
「もちろんですとも!」
いまひとつ話が飲み込めていないリョウコだったが、とりあえず調理を開始した。
トウカは、なんやかんやいつもの流れだなあと呆れ半分、感心半分でそれを見ているのであった。
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