2.フィン・サクセサー

 それから王都シャインヴィントへ着くとすぐにシンは召喚され、フィンの言う通りいくつかのことを問われることになった。

 が、記憶喪失をいいことによく覚えてないの一点張りで難を逃れるとどういう因果かフィンが世話をしてくれることになった。

 本当にどういう因果だろう。聞いてみると


「君の保護を頼まれたのは俺だから」


 理由は単純明快である。


「保護ってフィン……一緒に住むの?」

「いや、俺は今、寮生活だから。俺の実家にでもいればいいさ」

「実家ってどこ?」


 シャインヴィントで寮暮らしをしているのだから、近くはないだろう。知らない場所はともかく、知らない人間の中へ放り込まれることに一抹の不安を覚えるとフィンは手帳を取り出してシンに見せた。


「ここだよ。西にあるサクセサー領だ」


そこには小さな地図がある。三年間このエクエスにいたのだから町の名前くらいは覚えている。行ったことはないが、確かブルーフォレスト大森林の東に位置する小さな領地だ。


「サクセサー? ……フィンのファミリーネームと同じだね」

「うん? ……あぁ、まぁね」


 改めて自己紹介を受けるにあたって、彼はフィン=サクセサーと名乗っていた。なんとなく濁したということは無関係ではあるまい。追及せずに、シンは地図を眺める。


 世界は三つの大陸に別れている。

 東のテールディ、北のアオスブルフ、そして南のエクエス。それぞれが大晶石と呼ばれる大きな結晶石を有していてそこから生まれる星晶と呼ばれる原素……エルブレスが世界にエネルギーとして供給されていた。

 エクエスは中でも風の大晶石を有していて、だがしかし技術に溺れることはなく緑満ち溢れる肥沃な土地を有している。ブルーフォレストはその象徴だ。


「ブルーフォレストには、大晶石があるんだよね。行ってみたいな」

「はは、それって学者としての興味か?」

「それもあるけど。リンドブルムではあまり用がないところだからね。行ったことないから」


 フィンはそう聞いて、ちょっとだけ考え込んでいるようだった。しかし、よし、と顔を上げると笑顔で人差し指を立てた。


「じゃあ行ってみるか」

「えっ」

「近々長期休暇があるんだよ。シンもその時、送っていこうと思ったんだけどせっかくだから……案内するよ」

「やったぁ」


 どちらが年上なのかわからない勢いで喜ぶシンを見て、フィンも笑っている。そして四日後、二人はサクセサー領へ向けて出発することになる。


「なぁ……聞いてもいいか?」


 その道すがら、妙に遠慮深くフィンが声をかけてきた。


「?」

「シンは記憶がないんだろう? そういうのって……本当に何も覚えてないものなのか?」

「そうでもないよ」


シンは空を見上げる。今日は薄曇りでミラージュも見えない。


「といっても覚えていたことなんて自分の名前と、ミラージュのことくらいだけど」

「ミラージュのこと?」

「いつか行ってみたいなって思ってた。それは覚えてる」


 それだけ鮮明な思いだったということだろうか。家族の顔も名前も思い出せないのに、ミラージュのことは覚えてるなんてちょっとした皮肉だ。


「行ってみたいって……行けるのか?」

「それがおかしいんだよね。そういうとリンドブルムのみんなも笑うんだ。……行けないの?」

「いや、俺に聞かれても……」


 ミラージュは単なる虚像に過ぎないのだろうか。そうでない確信を感じてやまないのだが、なんとなくだとか、うっすらだとかいうのは確信とは言わない気もする。シンは首をひねった。


「あとはなんとなくいつも隣に誰かいたような感じがする、かな」

「へぇ~家族かな。他には?」

「ミラージュのことをぽつぽつと」

「……ミラージュに関する学者だったのかな、シンは」


 そうかもしれない。違う気もする。

 シンの周りでは……あるいは、町に出てみてもミラージュの存在なんておとぎ話としか思われていないくらいだから、だとすれば相当変わりものになるだろう。

 ともあれ、悩んでみても仕方ないのであまりこだわらないことにする。


「そういうフィンは? 聞いてもいい?」

「何を?」

「兄弟とかいるの?」

「あぁ、弟が一人。小さい頃は泣き虫でな。今はどうしていることやら」


 フィンはどこか懐かしそうに瞳を細めた。まだ回顧に浸る年ではないだろうと言いたかったが黙っておくことにする。


「弟さんは、サクセサーにはいないんだ」

「小さい頃アオスブルフに養子に出て、今は軍人だって言ってたっけ」


 幼少の頃、家族と引き離されるのはどんな気持ちなのだろう。泣き虫だと言った彼の弟は今は軍部で頑張っているのだろうか。


「それにしても兄は騎士で弟は軍人か。やっぱり誰かを護りたいっていう気持ちが強いの?」

「それはもちろん。俺は誰も失いたくないって思うよ。それが例え知らない人であっても」

「立派な心掛けだね。でもそういう人って自分を大事にしない傾向もありそうだから、まず自分も大事にした方がいいよ?」


 自己犠牲は美化され語られることがよくあるが決して美しいものではないとシンは思う。

 まず、人を大事にしたいなら自分を大事にすべきだ。それができなければ他人など護れはしないのだから……かといって行き過ぎると自己愛が激しくなるので何事もほどほどに、だが。

 フィンは言われて真面目に考え込んでいる。


「……それとも俺は、自分が大事だからこの道を選んだんだろうか」


 いきなり哲学モードに入ってしまった。


「人を優先して、自分を捨てるか。自分を優先して人を捨てるか……両立する道があれば一番いいんだけどね。私だったらどっちに転んでも自分で選んだんだから貫くのが流儀かな」

「貫くのが流儀、か。そうかもな。シン」


 突如呼ばれて振り返る。さくさくと短い草を踏み分ける音は続いている。風が芽吹き始めた木々の枝を揺らした。


「実はオレ、サクセサー領主の息子なんだ」

「うん」

「何年も前に家を飛び出して、……恥ずかしい話だけど一度も家には帰ってない」

「別に恥ずかしくないでしょ」


 むしろ成人前後と思われる彼の年齢を考えると驚愕だ。彼は自分の身を立てることすらままならない頃に家を出たことになる。

 シンの反応が意外だったのか、やや呆けてそれからふっとフィンは笑みを浮かべる。


「親父の跡を継ぐつもりはなくて、騎士になったけど……分かり合えないままなんだよな」

「じゃあ今回帰るのは、話し合う勇気が出たってこと?」

「うーん……シンのことは口実なのかも。ごめん」

「謝らなくていいよ」


 一旦止めた足をまた動かし始める。風はさやさやと吹いているし、この時期特有の強い日差しがあるわけでもない。気持ちがいい日だ。


「うまくいくといいね」

「あぁ」


 顔を上げると、森の向こうに町が見えた。サクセサーだった。



 * * *


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