【番外編】全部チョコレートのせい

 2月14日、聖バレンタインデー。

 日本では女の子が好きな異性にチョコレートを贈る日とされているが、近年ではそうでもなくなってきているようだ。義理チョコ、友チョコ、逆チョコ、ご褒美チョコ。様々な形でチョコが飛びかう日だが、今年は14日が日曜日だから、義理チョコの売れ行きはかなり減るらしい。

 そして私、北条千景の場合、渡す相手は恋人である年下の女の子だ。


 バレンタイン当日の今日、家族には予備校の自習室に行くと言って恋人である陽子の家を訪れると、インターホンを鳴らして2秒も待たずにドアが開いた。早過ぎるその対応に、ドアの前で飼い主を待つペットみたいな彼女の姿が浮かんで、笑いと愛しさが込み上げる。


「いらっしゃい、千景さん!」

「お邪魔します」

「外、寒かったんじゃないですか?」

「すっごく寒い。少しだけど雪降ってきたよ」


 挨拶代わりの軽いキスを交わし、「ほんとだ、冷たーい」と冷えた体を温めるような優しいハグを受け入れる。

 陽子の家族は留守──というか、そうなるように手を尽くしたらしく、誰の目を憚ることなく恋人同士の触れ合いを堪能するのは久しぶりだ。最近、二人きりの時は『会長』ではなく下の名前で呼ばれるようになったのも未だに慣れず、恥ずかしくてなんだかムズムズする。

 今はまだ敬語を使われているが、そのうち敬語も敬称も取っ払ってやるつもりだ。


「部屋あっためてますからから、早く中入ってください」


 手を引かれ、連れて行かれたのは陽子の部屋。初めて訪れる彼女の部屋だが、正直言って来るのは少し怖かった。別に生娘ぶってあれやこれやが怖いなどと思ってるわけではなく、彼女の部屋がどんな感じなのか全く想像がつかなかったのだ。

 なにせ、あの陽子だ。大胆にして繊細、チャランポランだが真面目。服装だって、パイナップル柄のアロハシャツからガーリーなワンピースまで幅広い。

 そんな彼女の最もプライベートな空間がどんなかなんて、わかるはずもないだろう。

 そんな緊張と好奇心を密かに抱き、いざ通されたのは「あ、陽子っぽい」と納得する部屋だった。


「掃除は頑張りましたけど、あんまり細かいとこは見ないでください」

「そう言われると、逆に見たくなるんだけど」

「いやいや、フリじゃありませんからね! 特にクローゼットは絶対ダメです」

「勝手にクローゼット開けるほど無礼じゃないけど、そこまで言われると開けたくなるね……」


 一体、何が入ってるんだろう。

 陽子の部屋はとにかく雑多で、整頓はされているけど物が多い。使い込まれた勉強机、鉢植えの乗ったローテーブル、見るからに洗い立てのシーツが張られたベッド、半分以上が飾り棚になっている本棚。

 目立った家具はこんなものだが、壁や棚にはいくつも観葉植物が飾られていたり、部屋の隅にはアコースティックギターが立てかけてあったりと、他にも細々とした小物が所狭しと置かれていた。


「陽子にギターの趣味があるなんて知らなかったな」

「ああ、弾けませんよ。前に弾こうと思って父のお古をもらったんですけど、とっくに挫折しました。今は部屋のインテリアです」

「そうなんだ。植物が多いけど、好きなの?」

「特別好きってわけじゃないんですけど、気がついたら増えてて……好きなんですかね?」

「それ、私に聞かれても」


 とぼけた返事に笑うと、いつものいたずらっぽい笑みで「私が好きなのは千景さんですから」と頬にキスをひとつ。

 頬なのかと少し残念に思っていたら、「顔に出てますよ」と今度は唇に、少し長めにもうひとつ。


「ねえ、千景さん。私だって初めて自宅に招いて、コートも脱がないうちからどうこうするつもりはないんですけどね、限度があるんで……そういう可愛い顔は程々にしてください」

「……つまり?」

「食べるのはそっちが先です」


 にかっと笑って、陽子が指さしたのは私が持っている赤い紙袋。

 先と言うからには、後で別のものを食べるつもりだと明言しているようなものなのだが、それは私も望むところだからまあいい。それよりも、かつては色んなことをすっ飛ばしてしまった私達なのに、律儀に順番を守ろうとしている陽子の生真面目さが愛おしい。


「我慢しちゃって」

「あははっ、言っときますけど、本気の痩せ我慢ですからね。煽ったら即押し倒されると思っててください」


 ヘラヘラしているくせにやたらギラついたその笑顔に、煽られているのは私の方なのだときっと陽子は気づいていない。そうやって私を喜ばせてくれたお礼に、この可愛い人をどんなふうに煽ってあげようか。



※ ※ ※ ※



 私が持ってきたアソートチョコレートと、陽子が用意してくれていたガトーショコラ。2つをローテーブルに並べると、部屋中に甘い香りが広がった。


「今月から三年生は自由登校だし、千景さんと会うのも久しぶりですね」

「生徒会で会うことがなくなってからは、登校しててもなかなか会えなかったしね。生徒会の方はどう? 上手くやってる?」


 私が引退した後は、陽子が生徒会長を引き継いだ。引き継ぎのために何度か顔も出したが、あまり心配はしていない。表向きはお堅い私が会長をしていた頃より、随分フランクで明るい雰囲気になっているようだった。

 新しく入った一年生も、真面目に頑張ってくれているらしい。


「なかなか良い感じですよ。やっぱり詩織を引き込んだのが大きかったなー。もう、どっちが会長なのやら」

「陽子の暴走も止めてくれるしね、いいコンビだと思うよ」

「妬けます?」

「少しね。別に、浮気の心配はしてないけど」


 杉村さんの気持ちが誰に向いているのかを知らなければ、心穏やかではいられなかったかもしれないが。彼女の顔とスタイルが好みだと言って憚らない誰かさんのせいで。

 会えない時間が愛を育てるなんて言われているが、不安も同じペースで育っているのを少しは理解してほしい。言わないけど。

 愛されている自信はあるし、大して気にしてはいないけれど面白くはないと、自分で持ってきたチョコをひとつ摘んだら、横から伸びてきた手に腕ごと攫われ、摘んだハート型のチョコはそのまま陽子の口へと運ばれた。「うん、美味し」と舐められた指先に、一瞬で身体中が熱を持つ。


「詩織なら、今頃は気合の入った本命チョコ持って、紗良ちゃんのとこに行ってるはずですよ」

「……言っとくけど、私のも本命チョコだから」

「ありがとうございます、私のもですよ。──中学の頃から、千景さんには何回も渡してきたけど、本命って言って渡せるのは嬉しいものですね」


 お返しとばかりに、「はい、あーん」と口元にガトーショコラを差し出される。少し戸惑いながらもフォークの先のそれをパクリと口にふくめば、今の私達の空気くらい甘い味が広がった。

 絶対にニヤニヤしているだろうと、手ずから食べさせてきたおバカな恋人の顔を睨むと、これでもかってくらい愛おしさに満ちた瞳で見つめているものだからタチが悪い。しばらく会えなかった寂しさも不安も、チョコレートみたいにあっさり溶かされてしまう。


「ねえ、陽子」

「何ですか?」

「我慢は体に悪いと思うな、お互いに」


 そう言って身を寄せた私に、きょとんとした顔を見せた直後、嬉しそうに細められた瞳が欲に染まる。普段は飄々とした表情ばかり見せる彼女が、私にだけ見せる──私だけを求めているこの顔がたまらなく好きだ。すぐにふざける彼女も、妙なところで真面目なところも、少しエッチなところも、全部ひっくるめて愛してる。

 どうせならいい思い出にしろと杉村さんは言ったけれど、あれ以来まっすぐにぶつけてくるようになった陽子の愛を知ってしまえば、それも無理な話だろう。もし彼女がこれを狙っていたのなら、私の完敗だ。

 私はもう、陽子を青春時代の美しい思い出になんて出来そうにない。


「好きです……」


 囁きと共に落とされた深い口づけは、互いに違うチョコレートの味。そういえば、チョコレートには媚薬効果があると、誰から聞いたんだったか。


「んっ……私も……」


 我慢大会はもうおしまい。いつもより積極的なのも、敏感になっているのも全部チョコレートのせいにして。

 さあ、愛し合おうか。

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