82・【番外編】紗良視点⑪

 海外にいる両親とは、結構マメに連絡をとっている。文字でのやりとりはもちろん、週に一度はビデオ通話で話しているくらいだし、親子仲は良い方だろう。

 詩織さんのところと同じくらい、うちのお父さんも子煩悩……というより娘離れ出来ていないから、あの二人を会わせたらずっと娘トークをしていそうだ。もし、私と詩織さんが親公認で付き合えたとしたら、そんな日が来るのだろうか。


「うーん、なんだか妄想が癖になってる気がする……」


 恋って恐ろしい。私、こんな夢みがちな性格じゃなかったはずなのに、最近は『詩織さんと恋人になったら』の妄想が止まるところを知らない。

 好きだと言えば、好きだと微笑み返してほしいし、手も繋ぎたい。いつもは少しだけ間を空けて座るソファで寄り添って、甘い言葉を囁き合い、その合間に何度も口付けたい。

 遊園地とか映画館とか、定番のデートもしてみたい。詩織さんはお化け屋敷とかホラー映画が苦手なイメージだけど、どうなんだろう。ものすごく怖くても、強がって平気って言いそうだ。引きつった顔で平気と言い張る詩織さんは容易に想像できて、可愛いなぁと顔が緩んだ。

 ああ、また妄想の詩織さんで笑ってしまった。これはミハルちゃん的ムッツリにカウントされるのだろうか。

 どこまでも広がる妄想の海に身を委ねていると、テーブルに置いていたスマホがけたたましく鳴った。時計を見ると、いつの間にか両親とのビデオ通話の約束の時間になっていた。

 日本はまだ早朝だけど、向こうは夕方。結構な時差があるから、ビデオ通話の時は時間を決めておくようにしている。


「紗良ー!久しぶりー!」


 応答ボタンを押した途端、テンションの高いお父さんの声と画面いっぱいの笑顔。元々陽気な人ではあったけど、海外に行ってから更に拍車がかかっている。向こうの空気はさぞかし肌に合っているのだろう。お父さんの大きな顔の後ろでは、呆れたような笑みを浮かべたお母さんが小さく映っていた。


「はいはい、5日ぶりだけど久しぶり。お母さんもね。あ、結婚記念日おめでとう」

「ありがとう、今年でついに20周年よ」


 20周年の結婚記念日は磁器婚式というらしい。磁器や陶器の食器を贈るのが一般的で、お母さんが好きな食器ブランドのマグカップを色違いで買ったのだと、先日写真が送られてきていた。

 理想の夫婦とまでは言わないけれど、娘の私から見ても仲のいい夫婦だ。いつかは私も生涯の伴侶と出会い、結婚して子供を産んで、この二人みたいになるのだろうとぼんやり考えていた。──つい先日までは。


「この後、ディナーに行くんだっけ?」

「そう! せっかくの20周年だから、ちょっと奮発したぞ! 紗良が一緒じゃないのは残念だけどな」

「あはは、久しぶりに夫婦水入らずの結婚記念日を過ごしなよ」


 私は私で楽しく過ごしているから気にしなくていいと言うと、お父さんがそれはそれで寂しいと肩を落としつつ、そのくせ満更でもなさそうな様子を見せる。うん、やっぱり仲がいい。

 それからしばらく、お互いの近況や他愛もない話をしていると、「そういえば」と思い出したようにお母さんが言った。


「昨日ね、紗良は将来どんな人と結婚するのかしらって、お父さんと話してたんだけど……」

「紗良はまだ結婚なんて考えるのは早い!」

「ですって。紗良が結婚する時は、きっと大変だから頑張ってね」


 頑張らなくていい! と拗ねるお父さんを弄り、お母さんがコロコロと笑う。

 お父さんはまだ早いって言うけど、日本の法律では私も結婚できる年齢なんだけどな。なんて言ったら、ますます拗ねそうだから黙っておいた。結婚記念日くらい、機嫌よくいさせてあげよう。


「紗良のお相手は、そんじょそこらの男じゃ認められないぞ。そうだな、詩織さんぐらい出来た人じゃないと」


 おっと。冗談で言ったんだろうけど、その言葉は見逃せない。

 というか、会ったこともないのに名前が出るなんて、お父さんの中で詩織さんはかなり高評価みたいだ。まあ、私が散々褒めちぎってるからなんだけど。


「じゃあ、私、詩織さんと結婚しよっかなー」

「えっ」

「確か、スウェーデンって同性婚できるしね」

「えーっと、紗良……?」


 半分本気だけど、にこにこと笑顔で詩織さんと結婚しようかと言ってみたら、お父さんの眉毛がおかしいくらいに下がった。反対に、お母さんは楽しそうに「あら、良いわね」と乗っかってくる。


「娘が増えるなんて嬉しいわ~。帰国したら、是非紹介してね」

「はーい。じゃあ、それまでに口説き落としておかなきゃね」

「紗良ぁ~!?」


 お父さんが情けない声をあげるけど、「冗談だよ」なんて絶対に言ってあげない。悪気がなかったとはいえ、先に私の地雷を踏んだのはそっちの方だ。ささやかな仕返しくらいはさせてもらわないと。


「それより、そろそろ用意しないとディナーに間に合わないんじゃない?」

「あら、本当。ほら、お父さん、急がないと」

「紗良~! 変な虫を寄せ付けないように気をつけてな! あと、夜道と戸締りには気をつけて、ちゃんと早寝早起きして健康的な生活を」

「はいはい、心配しなくて大丈夫だから。楽しんできてね」


 忙しない2人を「またね」と送り出してから通話を切ると同時に、ふぅ~と大きく息が漏れる。

 正直、ちょっと焦った。他意はないんだろうけど、親の口から好きな人の名前が出てくるのって、こんなにドキドキするものなんだ。


「……結婚かぁ」


 まだ恋に気づいたばかりで、将来のビジョンなんて何も見えていない。両想いにすらなってないのに、それこそ気が早い話だ。

 数ヶ月前には私が恋をするなんて想像もしていなかったんだから、何年も先のことなんてわかるわけがない。そんなものより、今の自分の気持ちを大事にしたい。

 テーブルにだらしなく頬杖ついたまま、そんなとりとめのないことを考えていると、握ったままだったスマホが短く鳴った。LAINの画面を開くと、お母さんからだった。


『前は結婚や恋愛の話をしたらイヤな顔をしていたのに、随分と反応が柔らかくなっていて安心したわ。今度はお父さん抜きで話しましょう』


 ……これはどこまで気づいているんだろう。っていうか、母親と恋バナなんて、それこそイヤだよ。これはごまかし一択だ。

 返事は後でしようと、液晶画面を下にしたスマホをテーブルにそっと置いて席を立つ。お茶を淹れるためキッチンに向かう私の背後で、もう一度短くスマホの着信音が鳴った。

 どうせお母さんから追加でスタンプでも送られたんだろうと未読スルーしたところ、一時間後、それが詩織さんからだったとわかった時の後悔ときたら! なんてタイミングだ!

 後悔した勢いで、これまで使わずにいた『おはようのチュウ』のスタンプを送ると、ネコが『好きぃぃ!!』とハートを飛ばしてるスタンプが秒で返ってきた。見事な返り討ちだ。


「もう! 詩織さん、こういうとこ! こういうとこだよ!!」


 私の最近の頑張りに全然気づかないどころか、こんなの送ってきて! 鈍感! 天然! 小悪魔!!

 こっちはスタンプひとつ選ぶだけでも大変なのに、即座にこれが返ってくるってどういうこと!? 意識されてなさすぎて、かなり凹む。いっそ開き直って『私も大好き(ハート)』とか送ってみようか。──無理。次に会った時、まともに目が合わせられなくなっちゃう。

 どうしよう。少しでも意識してもらえるように、かなりわかりやすく好意を伝えてきたつもりだけど、足りなかったかな。でもこれ以上何したらいいの?


「強敵すぎるよ、詩織さん……」


 想い人のあまりの鈍さを嘆く私のもとに、陽子さんから『詩織が紗良ちゃんの膝枕をご所望でーす』とお知らせが届いたのは、この日のお昼すぎだった。




※  ※  ※  ※




『昨日、夢見が悪くて寝不足らしいよ。なんか元気ないし頭働いてないし、目の下にクマまで作ってせっかくの顔も台無しだから、しっかり癒してあげて』


 詩織さんからも来ると連絡が来てからしばらく後、陽子さんから追加でLAINが届いた。最初に届いたふざけた文章から、単純に詩織さんが揶揄われたのかと思ったけれど、そういうわけでもないらしい。そんなになるほどの悪い夢って、どんな夢を見たんだろう。

 本当はちゃんと家のベッドで寝た方がいいんだろうけど、来るというなら精一杯おもてなし致しましょう。

 軽く片付けて、服も着替えて、お迎えする準備が整った頃、詩織さんはやって来た。久しぶりに見る制服姿で、聞いてた通り目の下にクマをこさえて、なんだかちょっと気まずそうな様子で。

 迎え入れ、早速どうぞ! と膝にお招きしたところ、詩織さんからは「今日は遠慮しとく」と固辞されてしまった。なんでも、年上の矜持というものがあるらしい。私としては年齢なんて関係なく、頼ったり頼られたりする間柄でいたいんだけど、これは私が年下だから思うのかな。口にはしないけど、頼ってもらえないのは少しだけ寂しい。

 膝枕なんて無理にするものじゃないし、わかったと言って引き下がったが、それなら私にも考えがある。頼れる年上でいたいのなら、その望みを叶えてあげようじゃないか。

 本当はこんな形で実現させるつもりではなかったけど、ここはもう勢いだ。何も言わずに私達の隙間を埋め、寄り添うように左腕にしがみつく。詩織さんが驚いているのが伝わってきたけど、気づかない顔で「じゃあ、今日は私が甘えるね」と言うと、真っ赤な顔のまま固まってしまった。可愛い。

 これは恋人への甘え方じゃないのかと、やや体を引き気味で詩織さんが異議を唱えるが、まったく同意見だ。だって、そのつもりでやってるんだから。


「じゃ、今だけ恋人ってことで」


 我ながらあざとい。こんなの、学校でやったら翌日から机か靴が消されるかもしれない。

 しかし、ここまですればさすがに効果はあるみたいで、過去最高に慌てた様子の詩織さんは小さく震えていた。ちょっとやり過ぎたかな。今日の目的は癒すことだし、このあたりで勘弁してあげようか。


「それで、詩織さんはどんな怖い夢を見たの?」


 私の質問に、詩織さんは初めこそ隠そうとしたけれど、追及すると気が進まないながらも見た夢について教えてくれた。なんでも、私が殺される夢だったという。

 悪夢について思い出しているのだろう。凄惨な内容をゆっくりと語る彼女は辛そうに眉を寄せ、私の手を握る指先はひんやりと冷たい。


 ──ああ、大事に思われてるな、私。

 ごめんね、不謹慎にも嬉しいと思っちゃったんだ。

 詩織さんはこんなにも胸を痛めているというのに、なんて酷い話だろう。それでも、目の下のくっきりとしたクマも、指先の冷たさも、悲しげな声も、その全部が私のためだとわかればなんて愛おしいのか。


「大丈夫だよ、詩織さん。ほら、私はちゃんと生きてるからね」


 抱きしめてしまいたいのを我慢して、握った手に力をこめる。

 今日、ここに来るように言ってくれた陽子さんに感謝しないと。こんな状態の詩織さん、一人になんてしたくない。何より、今の詩織さんを慰められるのは、きっと夢で殺された私だけだったから。

大丈夫、大丈夫と何度も繰り返していると、硬かった表情もいくらか和らいできた。

 どうしたらもっと元気になってもらえるか考えて、いっそ実際に遊びに行って何事もない楽しい記憶で上書きしてしまえばいいんじゃないかと思いつく。映画だけじゃなくて、またあのお店のパンケーキも食べに行こう。スタダのハニーレモンフラペチーノも、詩織さんと飲みに行きたかったところだ。

 決して、私が詩織さんと遊びたいだけじゃない。……少しはあるけど。


「何かあっても、今度は詩織さんが守ってくれるんでしょ?」


 なかなか返事をしない詩織さんの鼻を突いて言うと、ぽかんとした顔がへにゃりと歪み、情けなく笑った。目の下のクマも相まって、それこそ美人が台無しの酷い顔だけど、──私、この顔好きだな。私のために情けなくなっちゃう詩織さんの、この優しい顔がすごく好きだ。

 だけど、こんな顔ばかりさせないように、私もしっかりしないと。

 詩織さんが私を守ろうとしてくれるのは嬉しい。でも、私だって守られっぱなしは嫌だ。守りたいし、頼ってもらいたい。対等になりたい。

 願望ばかりでまだ何も実現出来ていないけど、絶対そうなってみせる。そうしたら、自信を持って「好きです」って言える気がするから。


「紗良はどんな映画が好きなの?」

「うーん、SFとかアクション系かなぁ。せっかく大きい画面で観るんだし」


 わかった、とさっそく検索してくれる詩織さんに、ふと思いついて聞いてみた。


「ねえ、詩織さんってホラー映画いける?」


 今朝の妄想を確認してみたら、検索の手を止めた彼女は一瞬口元を引きつらせた後、とっても綺麗な笑顔で「大丈夫よ」と言った。──目を泳がせながら。

 あまりにも想像通りで、可愛くておかしくて、耐えきれずお腹を抱えて笑う私に、詩織さんは恥ずかしそうに頬を膨らませた。

 ああ、本当に可愛い。私の好きな人は、世界で一番可愛い女の子だ。

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