62・とある少女の ①

 気づけばまた、暗い場所で薄いモニターの前に座っていた。

 ああ、またこの夢か。三度目ともなると、さすがに慣れてきたように思う。初めて見た時は戸惑いもしたが、ゲームでの彼女達の情報が少しでも欲しい今では、待っていたと言っても良いくらいだ。


「順番的に――ああ、やっぱりそうよね」


 モニターの向こう、私は見慣れた後輩の姿を見つけた。



※  ※  ※  ※



 三人姉妹の末っ子として生まれたこはるは、いたって平凡な少女だった。飛び抜けて何かに秀でているわけではなく、致命的な欠点もない。可愛らしい容姿をしているが、それだって普通の範囲内だ。

 普通ならそれで十分だったのに、不運だったのはこはるがそれで満足してもらえる環境に生まれなかったことだろう。二人の姉は容姿も学力も優れており、近所でも評判の神童だったのだ。


「あの二人の妹だもの、こはるちゃんもきっと優秀なんでしょうね」

「お姉ちゃんを見習って頑張るのよ」

「こはるちゃんは、あまりお姉ちゃんとは似てないのね」


 まだ幼稚園に通ううちから、常に姉という比較対象と目標が傍らにあった。それでも、物心ついた時から『お姉ちゃんみたいに』が当たり前だったこはるは子供なりに努力をしたのだが、小学校受験は失敗。

 両親は落胆を隠そうともせず、幼児にはわからないだろうとこう言った。


「こはるはあまり優秀ではないみたいね」


 受験のための塾に通っていた頃から、何度も聞いた言葉だ。打てば響くような姉達と違い、こはるの平凡さにガッカリする大人は多かった。

 だからといって、不遇な扱いを受けたわけではない。子供として十分に可愛がってもらい、衣食住は何一つ不自由なく、誕生日にはケーキとプレゼントが用意される幸せな子供だった。

 それでも、どうしたって姉と比べられる環境に、こはるの心は少しずつ擦り減り劣等感で埋め立てられていく。親戚の集まりで向けられる目に。祖父母のくれるお年玉の金額の違いに。何気ない親の言葉に。私立の姉達とは一人だけ違う、ランドセルの色に。


「二人とも綺麗で優秀で、私達も鼻が高いよ」 

「二人とも頑張ったね。お年玉は奮発しておいたよ」

「こはるは上の二人と違ってあんまり勉強が得意ではないみたいだから、伸び伸び育てればいいと思って」


 誰も悪気があって言っているわけではないのに、姉達を褒める言葉の最後に「それに比べてこはるは……」と聞こえてくるようで。誰からも期待してもらえない自分が悲しくて、身の置き場がどこにもなくて。


 凄いねって、誰かに褒めてほしい。

 良い子だねって、誰かに頭を撫でてほしい。

 私にも期待してほしい。


 誰か。

 誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か!

 お願い、誰でも良いから!


「誰か、私を見てよ……」


 小さなこはるの切実な願いには誰も気づかず、欲しい言葉をくれたのは、ただ一人だけだった。


「こはるちゃん、もう夏休みの宿題終わったの? すっごーい!」

「こはるちゃん、ピンク似合うよね。可愛い!」

「こはるちゃん、いつも頑張っててえらいね」


 小さな頃から、幼馴染の葵だけがこはるを肯定してくれる存在だった。葵と一緒の時だけ、擦り減った心が癒されるのを感じた。葵の隣こそが、自分の居場所なのだと思えた。

 ずっとそんな穏やかな関係でいられれば良かったのに、残念なことに幸せな時間は長く続かないものだ。

 小さな子供のうちは二人だけでいられたが、学校ではそうもいかない。社交的な葵はクラスの人気者だ。彼女はこはるの隣ではなく集団の中心にいるようになり、こはるはいつの間にか、葵を取り巻く友人の一人になっていた。

 こはるにとっての葵は唯一無二だが、葵にとってのこはるは違う。幼馴染という特別さはあるが、仲の良い友達の一人でしかない。その温度差は、こはるにとって耐え難いものだった。


「私には……葵ちゃんしかいないのに」


 こはるが葵を追うのはいつものことだが、その逆はない。葵が他の子に笑いかければ胸がざわついたし、自分より誰かを優先すれば猛烈な嫉妬心に駆られた。

 それでも、葵と一緒にいられれば良かった。自分は幼馴染で、親友なのだという自負がこはるを支えてくれた。いつからか恋心を抱くようになり、焦燥感は日に日に強くなっていったけれど、それもなんとか我慢することが出来た。

 しかし――、


「え、風邪?」


 健康優良児だった葵が、小学校六年の冬に初めて学校を休んだ。


「ううっ、せっかくあと少しで皆勤賞だったのにぃ」

「残念だったね。みんなには言っておくし、しっかり寝て早く元気になってね」

「うん。……こはる、一人で大丈夫?」

「もう、小さい子じゃないんだから。大丈夫だよ!」


 逆に心配する葵に対し、深く考えずに返事をしたこはるだったが、学校についてすぐに『大丈夫?』の意味を理解した。


「えー、葵ちゃん休みなのー?」


 登校してすぐ、葵を中心としたいつものグループの友達に欠席を知らせたが、今日はいつもと勝手が違っていた。

 何もなくても葵のそばに寄ってきた子達は、こはるのところにわざわざ来ない。

 来ないならこちらから行けばいいが、どう話しかけたらいいかわからない。

 グループの輪に入っても、どう振る舞えばいいのかわからない。

 そこで、こはるはようやく気づいた。あの『大丈夫?』はこういうことだったのだと。自分は葵の友達だが、彼女達とはキチンと友達になれていなかったのだと。

 葵がいなければ、自分は独りなのだと。


 これまでの自分の人間関係は葵のおこぼれだったと理解したこはるは、さすがに焦った。このままじゃダメだ。見た目も能力も平凡で、友達すらまともに作れないなんて、誰にも見てもらえるわけがない。


 ――変わらないと。


 それ以降、葵以外とも関わっていこうとしたけれど、これがなかなか上手くいかない。小学校でのポジションは既に確立されてしまっていた。それならばと中学では葵に頼らず友達を作ろうとしたが、三年間葵と同じクラス、同じ部活になったことで、結局は似たような状態になってしまった。

 葵のそばにいる限り、自分は葵のバーターにしかなれない。それならば、別の高校に行けば葵離れが出来るのではないかとも考えたけれど、散々悩んだ結果、同じ高校を選んだ。

 葵に頼りきっている今の状況は抜け出したいけれど、離れるのはもっと嫌だ。好きだからそばにいたいという理由はあったが、それ以上に葵がいない場所に行くのが怖かったのだ。


 葵のおまけでいたくない。

 対等になりたい。

 振り向いてほしい。

 自分が欲しいと思ってるのと同じくらい、葵にも求めてほしい。

 私を――私だけを見てほしい。


 だから、中学でのことを教訓にして、高校では違う部活を選んだ。


「こはるも美術部に入ろうよ」

「ううん、ごめん。私は料理部にするね」


 クラスは同じだけど、葵のいないところでちゃんとやっていく。そう決意して入った料理部では、先輩とも同級生とも上手くやれた。初めて、葵を介さない関係が築けた。

 家で手伝いをしていたおかげもあって、料理の手際は良い方だ。


「若島さん、盛り付け上手!」

「美味しそう! こはるちゃん、すごいね!」


 何かにつけて褒めてくれる部員達の言葉に戸惑いながら、こはるは少しだけ自分を認めることが出来た。嬉しい。楽しい。葵のそば以外でも、居場所が出来た。

 教室での交友関係は相変わらず葵で霞んでしまっていたけれど、部活動の中で回復した自信は葵との関係や教室での振る舞いにも影響を与えた。


「こはる、最近なんだか楽しそうだね」

「うん! 部活、すごく楽しいよ」


 大人しく微笑むだけだった笑顔も明るくなり、友人との会話にも積極的に入れるようになった。自信を持つことで勉強にも身が入り、成績も上がった。葵を追いかけるだけでなく、時には葵を置いていくようになった。

 いつもそばにいた幼馴染が離れていく喪失感を、今度は葵が味わう番だ。元々、自信が足りないだけで魅力的な女の子だったこはるが、花開いていく様を間近で見て惹かれないわけがない。一緒に宿題をする真面目な横顔に見惚れ、プールでは水着姿に胸を高鳴らせた。

 文化祭の日、こはるがそれまで秘め続けていた胸の内を伝えたのは、料理部の友達との仲睦まじい様子を見た葵が、嫉妬でつい八つ当たりをしたことがきっかけだった。


「葵ちゃんが好きなの! 私には、葵ちゃんしかいないの!!」


 ようやく言葉に出来た恋心。

 決死の覚悟で差し出したそれを受け取ってもらえたこはるは、泣きながら葵の胸に飛び込んだ。愛しい人の腕の中、仄暗い笑みを浮かべ、そして――、



「嬉しい……。これからはずっと、私だけを見ててね……」



 そう言って、こはるは葵の背中にそっと手を回した。

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