60・先輩と後輩
「若島ちゃん、お昼一緒に食べようよ」
翌週の美術室、陽子がそう声をかけた瞬間、美術室の空気が変わった。
筆を動かすのを止め、顔を上げる者。チラリと見て、黙々と描き進める者。何も変わらないようで、聞き耳をたてる者。反応はそれぞれだが、それぞれが『陽子がこはるをお昼に誘う』という意味をきちんと理解していた。
「あの、私……」
「遠慮しないの! たまには可愛い後輩とお昼食べたいんだってば。ほら、お姉さんがジュース奢ってあげるから!」
「えっ、あ、えっ!?」
さすが陽子、あの性格だけは本当に真似出来ない。私があれと同じことをしても、キャラじゃなさ過ぎてわざとだというのがバレバレだ。そもそも、私が誘った場合は即座にこはるに断られるし。
こはるの返事を無視して「いいよねー、詩織」と今頃聞いてくる陽子に、仕方なさそうに「ええ」と頷く。あくまでも誘ったのは陽子という体裁を取りつつ、戸惑ったままの後輩を引き連れ、いつものように生徒会室へと向かった。
「じゃ、約束のジュース買ってくるけど、若島ちゃんは何がいい?」
「いえ、あの、結構です」
「答えなかった場合、激マズと名高いコンポタサイダーを買ってくるけど」
「……カフェオレでお願いします」
私は飲んだことないが、うちの高校の自販機にはコーンポタージュ味のサイダーが売っている。本来優しい甘味であるはずのコンポタをそのままの濃度で無理やり炭酸に仕立て、やけに人工的な甘さまで加えられている暴力的な味だと、度胸試しで飲んだクラスの子が言っていた。どうやら、その悪名は一年生の間にもしっかり轟いているらしい。一年生の頃は、なんでこんなものがいつまでも売っているんだろうと思っていたが、何のことはない。ゲームのネタだった。
さて、陽子が退席して私とこはるは二人きりになったわけだが、当然これも計画通り。陽子がいたら可愛い後輩の皮をかぶったままなので、こうなるようお願いしておいたのだ。こはるもそれがわかっているのか、苦々しい顔をしたまま決してこちらを見ないようにしている。
「私とお昼食べたら、島本さんの反応が心配?」
静かな昼食も悪くないが、それでは誘った意味がない。拗ねた様子のこはるに煽るように聞くと、眉間の皺が少しだけ深まった。
「……私を誘おうって言い出したのって、絶対に杉村先輩ですよね?」
「ああ、やっぱりバレるわよね。一応、気は使ったのよ。それとも直接お誘いした方が良かった?」
「いいえ、陽子先輩で良かったです。杉村先輩は注目の的ですから」
「不本意ながらね。でも、私は何も悪くないと思うのよ。あなたの大好きな島本さん、もう少し空気読んでくれないかしら」
カチンときたのか、その通りだと思ったのか。こはるの口元がグッと歪むが何も言い返してこない。しばしの逡巡の後、「空気を読んでるからだと思います」とため息混じりに口にした。
「どういうこと?」
「葵ちゃんは周りの空気を読めるし、自分で空気を作れる子です。だから、自分がどこまで好きに振る舞っていいか、しっかり把握してるはずですよ」
「ああ、なるほど。確かに、私とあなた以外は島本さんの今の行動に嫌な感情は持ってなさそうね。というか、島本さんのそういう性格がわかってても好きなの?」
天真爛漫と傍若無人は紙一重だ。好意的に見てもらえる間は天真爛漫と言われても、そこに少しでも悪感情が加われば、自分勝手だとか傍若無人と言われることになる。
それを自分で把握できるのは大したものだけど、小狡いというか計算高いというか、あまりいい印象は持てない。
「余計なお世話ですよ。葵ちゃんのことは、いいところも悪いところもいっぱい知ってますから」
「そうね、ごめんなさい」
「いいえ、それより私をお昼に誘ったのはなんでですか?」
なんでと聞かれても。一人で寂しそうだったからと答えたら、また余計なお世話だと怒られるだろうか。
「同情ですか? 一人でご飯を食べてて可哀想とか、自分にも原因があるんじゃないかとか、責任感じちゃいました?」
あ、しっかりバレてる。まあ、わかるか、この状況なら。
「そういう気持ちもあったわ、ごめんなさい」
「さっきから謝ってばかりですね。別にいいですよ」
「同情っていうか、誰かが一人でいるのを私があまり見たくなかったのよ。私の大切な友達も孤立してしまっていた時期があるから、どうしても重なってしまって」
可哀想とか、責任とか、そういった気持ちが少しもなかったわけじゃないが、それだけで声をかけるほど私は優しくないし、親切でもない。
そう伝えると、こはるは「ああ」と納得したように頷いた。
「その友達って、前に一緒だったあの子ですか?」
「ええ、今はもう大丈夫だけど」
「そうですか。……あんなに綺麗で、椿ヶ丘に通うくらい頭が良くても、そんなことがあるんですね」
「え、椿ヶ丘の生徒って知ってたの?」
「電車で何度か見かけましたよ、杉村先輩と仲良さそうに登校してるところ」
「あー……」
そうか、そういうこともあるのか。
こはるに見られたということは、葵にもきっと知られている。この場合、電車で紗良といる時に話しかけてこられなくて良かったと思うべきなのだろうか。
紗良は葵にあまり良い印象を持っていないみたいだけど、出来ることなら今後も関わらせたくはない。
「葵ちゃんが羨ましがってましたよ。……私も羨ましいです」
「え?」
一瞬、告白されたかと思ったが、それこそまさかだ。どういう意味かと続きを促すつもりでこはるをじっと見つめると、ずっと真顔だったのがほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「羨ましいですよ、先輩もあの子も。綺麗で、頭が良くて、大事に思い合える友達がいて。私は見た目も成績も全部普通だし、葵ちゃんともこんな感じだし……」
「ありがとう。でも、若島さんも可愛いわよ」
「お世辞は結構です」
私も紗良も、わかりやすく整った顔立ちをしているとは思うが、こはるだって十分可愛らしい。
例えるなら、マーガレットやスズランのような可憐な花を、薔薇や百合と比べるようなものだ。自分が薔薇や百合のようだと言うようでおこがましいが、そもそもの系統が全然違う。
どうやらこはるは、あまり自分に自信が持てないでいるようだった。絵を褒めた時にも感じたが、自己評価が低いのかもしれない。
「島本さんとのことはともかく、若島さんは可愛いって本気で言ってるのに。性格もツンツンしてるけど、そこがいいわよね」
「先輩、Mですか?」
「失礼ね。……昨日、若島さんが絵を描いてるところを見て、仲良くしたいと思ったのよ」
昨日、陽子にこはるを誘うことを提案したはいいが、あの時点ではまだどこまで関わるか迷いがあった。こはるに近づくことのデメリットを考えると、やはり誘わずにいた方がいいのではないかとも思っていた。
「もしかして、作品には人柄が表れるとか言います?」
「言わないわよ、そんな恥ずかしいこと。名画を描いたのが奇人変人なんて、よくあることでしょう? これは個人的な考えだけど、人柄が表れるのは描く時の姿勢で、作品に表れるのは作品への愛だと思ってるわ」
姿勢といっても、背筋が伸びているとかの話ではない。絵を描くスタイルとでも言うべきか。
慎重に色を選んで、他の紙できちんと確認してから色を塗り、何度も確認して丁寧に仕上げていく様は、彼女の誠実で几帳面な人柄を窺わせた。
それに、まだ絵は描きかけだが、対象への愛情も伝わってきた。
作品への愛は意外と伝わるものだ。前世で散々薄い本を読んで感じたのだが、推しカプを描いた作品は拙くてもそこに作者の熱を感じるし、逆に技術が高くても作品への愛がなければ、空虚でつまらない出来になる。
こはるの描く絵には、それがあった。一枚目の桜の絵には葵への、今描いている絵には飼っている猫への。
ちなみに、『未完成ラプソディ』を頒布していたサークルでは脚本担当の人にお会いしたが、特に印象に残っていない。ただ、差し入れを渡した時に面白かったと伝えると、困ったようにお礼を言った姿は覚えている。
「あれだけ私を嫌いって言っておきながら、今もこうして聞かれたことに生真面目に答えてくれるとこなんて、本当そのまま。そういうとこ、私は結構好きよ」
不思議なのは、なぜこはるが紗良ルートであんな暴挙に出るかだ。今、目の前にいるこはるは、恋敵であるはずの私と話していてもとても冷静だ。そんな行動をとるタイプにはどうしても見えない。
こはるに近づこうと決めたのだって、少しでも仲良くなれば悲劇を阻止できるかもしれないという打算が一つの理由だ。綺麗事だけではない。
「……私は嫌いです」
「あら、残念」
それは私か、それとも自分の性格か。
どちらのことかは、きっと聞いても答えてくれないだろうし、聞くのも野暮だろう。
「話題を変えましょうか。今日から貴女が私たちとお昼を一緒に食べるようになれば、島本さんはどういう反応をすると思う?」
「多分、自分も一緒に食べたいって言うと思います」
「そうね。でも私、島本さんと一緒に食べるつもりはないの」
笑顔でそう言い切ると、性格悪いなコイツ、という目で私を見てきた。目は口ほどに物を言うとは、まさにこのこと。
ま、そんな性格の悪い女を好きになったのが、こはるの好きな人なわけだけど。二人とも、それぞれ趣味が悪い。趣味がいいのは、紗良を好きになった私くらいだろう。
「そうなると、今度は私に近づいてくるかもしれませんね」
「正解。それもどうかと思うけど、しばらくは追いかけるんじゃなくて、私をエサにして追いかけさせたら?」
「エサって……」
「いつまでも離れてるつもりはないんでしょう? でも、自分からまた戻るのもシャクだろうし、追いかけさせて適当なところで戻ってあげたらいいわ」
ハッとしたように、こはるの目が見開かれ、次の瞬間にはじっとりとした目で睨みつけられた。
うんうん、いいね。予想通りのその反応。
「やっぱり性格悪い……」
「何言ってるのよ、こんなに後輩思いな先輩に対して。あ、陽子、もう入っていいわよー」
はい、ここでネタばらし。
私にじっとりと向けられていた視線が勢いよく扉へと向けられ、呼ばれた悪友が「はいはーい」と笑顔で姿を現した。
「いやぁ、純粋な一年生が悪い先輩にそそのかされる様を、楽しく聞かせてもらったよ」
「おかしいわね、杉村先輩ステキ! ってなるはずだったのに」
「いやいや、ならないでしょ」
おまたせ、と置かれたカフェオレには目もくれず、唖然とした表情で固まるこはるに「これ考えたの詩織だから。私は言うこと聞かされただけ」と陽子が余計なことを言う。自分だってノリノリで実行したくせに。
「自販機までの往復で、こんなに時間かからないわよ。おかしいと思わなかった?」
「……やっぱり性格悪いですよね」
悔しげに顔を歪めるこはるに、私と陽子は顔を見合わせ、ごめんねと笑った。
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