54・包囲網

 ゲームでの『詩織』ルートの夏休みイベントは、他の二人に比べて地味だった。

 こはるは同級生の幼馴染らしく、一緒に宿題をしたりプールに行ったり、近所の公園で花火をしていた。紗良は水族館とゲーセンデートだっただろうか。

 それに比べ、詩織は美術部の活動で二人きりになりいい雰囲気になるとか、一緒に画材を買いに行く程度。美術室のエピソードは、主人公が美術室で寝てしまい、起きたら『詩織』がそばで本を読んで待っているというありきたりなものだ。夕焼けに染まる教室で、「可愛い寝顔だから、奪っちゃおうかと思ったわ」と唇をつつかれるというエピソードだが、今の私なら絶対そんなこと言わないので、これは余裕で回避出来る。そもそも、二人きりになんてならない。

 画材だって、今はこはるも美術部なんだから彼女と買いに行くだろう。もし私が行く流れになったら、こはるか陽子のどっちかに投げて回避しよう。

 よし、これで私の夏休みイベントは逃げ切れる! いや、逃げ切ってみせる!

 そして、私も紗良も葵獲得のレースからは降りているのだから、こはるには是非とも頑張ってもらいたい。私と紗良のために!

 本当なら葵やこはると顔を合わせる部活には行きたくないのだけど、文化祭の出展物が何も描けていない状態なので、出ないわけにはいかなかった。こんなことなら夏休みまでに適当に何か仕上げておくべきだったけれど、今更そんなことを言っても仕方ない。

 七月中は家で百合をモグモグしていた私も、八月からは真面目に登校していた。


「杉村先輩、お久しぶりです!」


 美術室に行くと、待っていましたとばかりに葵が駆け寄ってきた。相変わらず目を輝かせて、幻の尻尾を大きく振って。小柄で黒目が大きい彼女は、すごくポメラニアンっぽい。

 だが、そんな葵を微笑ましい顔で眺めている部員たちは何なんだ。なんだかやけに注目されている。


「良かったねー、葵ちゃん。杉村先輩来ないのかなーってずっと言ってたもんね」

「そうそう、ご主人様を待つ忠犬って感じだった」

「もー、やめて下さいよぅ! そんなに言ってませんからー!」


 あ、これは面倒なパターンだ。からかっているように見えるが、これは完全なる援護射撃だし、先輩たちからのそれを無遠慮に叩き落とせるほど、私の面の皮は厚くない。

 先輩たちに可愛がられている葵は、私への好意を隠していなかったのだろう。考え過ぎかもしれないが、先輩たちから『葵ちゃんを悲しませるなよ』という圧を感じる。それを頬を軽く染めながら否定する葵の態度は、天然なのか計算なのか。どちらにせよ、やりにくいったらありゃしない。

 こはるはどうしているだろうと、そっと彼女の様子を伺ってみると、窓際の席で前を向いたまま黙々と筆を動かしていた。


「あー、えっと、久しぶり。……じゃあ、頑張ってね」

「えーっ、それだけですか!? 素っ気なさすぎますよ~!」


 そうは言っても……何もなくても関わらないようにしてるのに、この空気の中だと更に近づきたくない。

 小学生の頃、好きでもない男子と何故か噂になって、話しただけで冷やかしが飛んできた時のことを思い出す。ああいう時の、迷惑だと言いにくい雰囲気は厄介だ。冷やかす側が応援してあげているつもりだからか、それを迷惑がるとこっちが悪者にされてしまう理不尽さがあった。


「おっ、詩織、めちゃくちゃ歓迎されてるじゃーん。葵ちゃん、私も歓迎してよー」


 どうしたものかと対応に困っていると、どうやら今来たらしい陽子がその場の空気をかき消すように葵に声をかけた。


「陽子先輩は昨日も来てたじゃないですか」

「えーっ、毎日会っても歓迎してよ。つれないなぁ」


 ヘラヘラと葵を上手くあしらう陽子に、助かったとばかりにその場を離れる。席はもちろん、葵から遠いところを確保した。いつも雑に扱ってごめん、陽子。貴女はとっても頼りになる最高の友人だよ!

 安堵のため息をつき、ふと前を向くと、暗い目でこちらを見ていたこはるに顔を背けられた。真夏だというのに、ゾクリと背筋に寒気が走る。

あの目は――ヤバい。せっかくイベントが沢山の夏休みだというのに、頑張って好感度を上げてほしいのに、ヤンデレ化しかけてるかもしれない。


 まずいな、『詩織』ルートが地味で回避しやすいからと油断していた。

 こはるは美術部に入ったし、葵と紗良は仲良くなっていない。私だって、葵ではなく紗良を好きになった。今はゲームとは状況が全然違うのだ。それなら、各キャラクターの行動や発生イベントが変わってくることも、十分考えられたはずなのに。――甘かっただろうか。


「よっ、お疲れ」


 葵とのやりとりが済んだ陽子が、近くの席に軽い鞄を投げるように置いた。


「……お疲れ。助かったわ」

「あはは、珍しく素直だねー。お礼はお胸で?」

「この間、紗良に余計なこと言った件、チャラにするわ」


 覚えてたか、と陽子がくっくっと笑う。

 もちろん、これで済ませるつもりはない。後で、ジュースくらい奢らせてもらおう。アイスをつけてもいい。

 それにしても面倒なことになったものだ。まさか部員たちが葵の味方につくとは予想していなかった。さすが主人公、愛されてる。

 いっそ真正面から告白されればきっぱりとお断りするのだが、こういうじわじわと外堀を埋めてくるような戦法ではそうもいかない。これを戦略としてやっているのなら侮れないが、どうなのだろう。

 私の知る限り、ゲームでの葵は天真爛漫でまっすぐなキャラクターだった。困っている人がいれば手を差し伸べ、誰かを否定するようなことも言わない。好奇心旺盛で、明るく人懐っこい性格。

 部活での彼女を見る限り、そこから大きく外れる行動はとっておらず、普通にいい子だ。そんな回りくどい手を使ってくるようには思えない。


 なのに、何故だろう。

 時々、その屈託のない笑顔がやけに恐ろしく、私の胸の奥でアラートが赤く点滅しているように感じるのは。

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