41・生徒会室にて

 百合だけでなく少女漫画も嗜んでいた私は、失恋したり恋愛でショックなことがあれば一晩中枕を泣き濡らし、ご飯も喉を通らなくなるイメージを持っていたのだが、現実はそうでもない。

 泣きはしたが睡眠はしっかりとったし、お腹も空いてご飯もしっかり食べている。どうやら、私の精神はなかなかしぶといらしい。

 回復した紗良と朝から電車で顔を合わせれば、多少動揺はするもののあからさまに顔に出ることもなかった。


「すぐ元気になって良かったけど、まだ無理はしないようにね」

「うん、まだ風邪薬もちゃんと飲んでるよ」


 特に心を乱すこともない平和な会話をしていると、背後から「あのっ!」とやけに硬い声がした。

知らない声だったが、反射的に振り向くと真っ赤な顔をした椿ヶ丘の制服の男子が一人。それだけで、この後の展開がわかってしまってうんざりする。

 いやいや、同じ相手に惹かれているもの同士だ、気持ちはよくわかる。紗良は可愛いからね。好きになっても仕方ない。でも、出来ればこんな公衆の面前、しかも私の目の前で告白はしないで欲しい。お断りしたとしても、それが私の姿と重なってつらいし、オッケーしたとしたら……私はどんな気持ちになるのだろう。想像もつかない。


「あのっ、実は──」



※  ※  ※  ※



 昨日は号泣して体力を使い果たし、朝からあんなことがあって心身共にもうクタクタだ。居眠りもせずに真面目に授業を受けて日直の仕事までして、これから生徒会の手伝いに行く私、すごく偉い!

 もっとも、昨日サボったこともあり、用事があるわけでもないのにサボれないというだけなのだけど。本音を言えば、さっさと帰って眠りたい。

 まったくやる気が出ないまま生徒会室に着くと、来ているのは会長と陽子だけだった。いつもなら、副会長と会計、もう一人の書記がいるのだが。まだ来ていないのかと部屋を見回していると、しばらくは職員室にお使いに行っているとのことだった。


「昨日は急に休んですみませんでした」

「ああ、気にしなくていいよ。お友達は大丈夫だった?」

「はい、今日はもう元気に通学していました」


 本当はもう一日くらい休んだ方がいいと思うのだけど、それを言ったら陽子が過保護だと笑うのだろう。

 昨日あったことは、陽子に話していない。そのうち話すことになるとは思うけど、私自身が消化できていないものを上手く話せる気がしないし、すぐに話す必要もないと思っている。が、一番の理由は悔しいからだ。結局、陽子が言っていた通りになってしまったのが納得いかない。陽子もこはるも、なんでわかったんだろう。片想いのプロだからか?


「それにしても、今朝は凄かったらしいね。私もさっき陽子から聞いたところだけど」

「あー、はい」

「電車の中で他校生からの告白か。いやぁ、ロマンだねぇ」

「会長。その言い方、おじさんみたいだからやめましょう」

「…………うん」


 自覚があったのか、おじさんみたいだと言われてションボリする会長と、肩を震わせて笑っている陽子を放置していつもの机へと向かう。さっさと仕事を始めて頭を空っぽにしたい。

 日常生活より仕事の方が楽だと感じるなんて、女子高生としてどうなんだろう。私が目指したはずの平穏な生活は、いったいどこに行った? こんなはずじゃなかったのに……おかしい。

 ──今朝の椿が丘の男子の告白の相手は、紗良ではなく私だった。

 これでも、ゲームのサブヒロイン。顔はそこそこ良いし、胸も大きい。こんなことを大声で言ったらいろんな方面に喧嘩を売っていると思うが、顔が良くて胸の大きい女子なんてモテるに決まってる。告白だって、これが初めてではない。

 しかし、電車の中で直接告白されたのはさすがに初めてだ。前はホームに降りたところで手紙を渡されただけだった。見せ物になるつもりはないのだから、それくらいの配慮はしてほしい。しかも、よりによって紗良の目の前でなんて。

 ……労わるような優しい目が、生温かかったな。あの子も同じような経験があったんだろう。


「同じ電車にクラスの子が乗ってたせいで一気にクラス中に広まって、そこのバカみたいなのが盛り上がって、とても疲れた一日でした。即お断りしたのに」

「私は盛り上がってないよ。面白がってるだけ」

「余計に悪いわよ!」


 今日の私はすこぶる機嫌が悪い。力いっぱい睨むと、ごめーんと全然悪いと思っていなさそうな謝罪が飛んできた。


「お断りしてたよね。好きな人がいるからって」

「ええ、嘘も方便ってやつね。友田さんの知恵を借りたわ」

「ふーん、方便ねー」

「方便よ」


 顔は見ていないが、ニマニマとしているのが伝わる声で、「へー」とか「ふーん」とか言って煽ってくる。

 言わんとすることはわかっている。さっさと素直になれと言いたいのだろう。多分、取り調べ中の容疑者の気持ちってこんな感じだ。そのうち、カツ丼どうだって言い出すかもしれない。

 そんなことを考えていると、そばで聞いていた会長が、


「これはいるなぁ」


と、可笑しそうに口にした。

 ……余計なことを!


「やっぱりそう思いますよね。詩織、さっきから全然目を合わせようとしないし」

「うん、杉村さんは嘘が下手すぎるね」

「何? ついに認めた? 自覚しちゃった? おねーさんに詳しく話してみない?」

「なんだ、陽子は相手に心当たりがあるのか。私も聞きたいな」


 やっぱり息ぴったり。二人してワクワク顔で迫ってくるのやめてくれませんかね、似た者カップルめ!

 陽子だけなら問答無用で一撃入れるけど、会長相手にそこまで遠慮なく攻撃はまだ出来ない。っていうか、陽子。何も事情を知らない会長の前で、その話を出すな。


「陽子はデリカシーっていう言葉を覚えた方がいいと思う」

「私の辞書に、デリカシーと遠慮と禁欲という言葉はない!」

「そんな落丁だらけの辞書、今すぐ捨てなさいよ!」


 はいそこ! 会長も笑わない!

 何このカップル、本当に遠慮なく幸せを見せつけてくる。もう帰りたい。


「まあまあ、私も考えなしに言ってるわけじゃなくてね。詩織は溜め込むタイプだから、話せる相手は多いに越したことないよ。こういう話題は特に相手が限られるから」

「それは、そうかもしれないけど……」

「あと、私に話したらもれなく会長に伝わるから、どうせならまとめて話しちゃえ! っていうのもある」


 そうね、そういう人よね、陽子って。一瞬でも信じかけた私が馬鹿だった。もう絶対、この落丁娘の言葉を鵜呑みにはしない。

 とはいえ、ここまで見透かされていると誤魔化しようもないか。そんなに嘘が下手なつもりはなかったのだけど。さすが片思いのプロ、こじらせていた年季が違う。

 ふぅ、と小さく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。まあ、いつかは話すつもりだったし、もういいか。


「まだ心の整理がついてないから、相談しようもないのよ。自覚はしたけど、両思いになるために何かするつもりはないし」

「あー、待った。私が話についていけてない。杉村さんの好きな相手はどんな人なの?」

「それは……その……」

「昨日のお見舞い相手の女の子ですよ。椿ヶ丘の一年生で、めっちゃ美少女です」

「へぇ、なるほど」


 言い淀む私の代わりに陽子がサラッと説明をしてくれたが、その説明だとまるで私が面食いみたいじゃないか。もちろん顔も好きだけど、紗良の魅力は顔だけじゃなくて内面から滲み出る可愛さとか、頑張り屋さんなところとかいろいろあって……いえ、なんでもないです。

 結局、押し倒したとか泣いたとかは省略しつつ昨日のことを一通り話し、ついでに母の要請で家に呼ぶことになったことや花火大会に行くことまでを洗いざらい吐いた結果、私には憐みの瞳が4つ向けられた。揃って眉間にしわを寄せてフレンチブルドッグみたいな困り顔になっているが、そんな顔になってまでフォローを入れてくれる必要はない。むしろ、悲しくなるからやめていただきたい。


「知っての通り、私も偉そうなことを言える立場じゃないし、恋は絶対叶えないとダメだなんて言うつもりもないけど、杉村さんはそれでいいの? 友達でい続けるって、結構キツイよ?」

「いいんです。キツイだろうなっていうのは、なんとなくわかりますけど、紗良の幸せが最優先なので」

「自分が幸せにしたい、とか思わない?」


 そう思えたら良かった。あの夢がなければ、そう思って頑張ったかもしれない。

 でも、もし私が紗良に告白して上手くいったとしたら、それは結局あの夢の相手を葵から私に挿げ替えただけになるんじゃないか。こはるが刺しに来ないだけマシかもしれないけど、どちらにせよ紗良を苦しめることになる。

 もしかしたら、ゲームでのハッピーエンドではちゃんと葵を好きになれていたのかもしれないけど、――私は葵ではない。


「それが出来ないから、せめてそばにいて、その手伝いをしたいんです」

「そう。じゃあ、私からはもう何も言わない。杉村さんにはいろいろとお世話になったし、つらければ話くらいは聞く。あと、花火大会に行くなら観覧席のチケットがあるから使ってよ」

「え? いえ、そんな……会長が行くつもりで持ってたんじゃないですか?」

「協賛者観覧席だよ。うちの家が毎年何枚か貰うんだけど、いつも余らせてるから使ってくれた方が嬉しい」


 会長は陽子と行かないのかと思ったが、よく考えたら会長は受験生だ。塾やら勉強やらで、今年は花火大会に行ってる場合ではないのだろう。もっとも、花火大会よりも生徒会の仕事の方が勉強の邪魔になっていそうなものだが。


「あの花火大会、なかなか混雑するんだ。早めに行かないと入場規制がかかるけど、チケットを持っていればその心配もない。それに、混雑した場所で観るよりは紗良ちゃんが変なのに絡まれるリスクも減ると思うんだけど……」

「ありがとうございます。いただきます」


 そのリスクには気づいていなかった! と会長からの提案をありがたく受けた。大人しく話を聞いていた陽子が「過保護……」と呟いたのは聞かなかったことにする。

 陽子の言うように、話すことで少しは心の整理もついた。報われない上に誰にも言えない恋なんて、多分私には抱えきれなかっただろうから、それについては感謝する。陽子より会長の方が、ちゃんと話を聞いてくれるし。

 あとはこの気持ちを上手く友情に変換出来れば完璧なんだけど、きっとそれが一番難しい。この夏休みで自分の気持ちがどう変化するのかなんて、恋愛ビギナーの私には想像もつかなかった。


 そんなやりとりがあった数日後の終業式の日。

 去年よりも随分と上がった成績表を受け取り、あとは家に帰るだけだった私に、珍しく紗良から電話がかかってきた。


「詩織さん……お願い、すぐ来て……」


 嗚咽まじりの懇願に、翌日からの夏休みに浮かれていた気分はすぐさま消し飛んだ。いつも遠慮がちな頼み方をする紗良のこの様子はただ事じゃない。そもそも紗良は、意外となかなか泣かないのだ。彼女にとって、余程の何かがあったとしか思えない。

 大急ぎで荷物をまとめた私は、すぐさま駆け出し紗良の家へと向かった。

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