今世は立派な悪女(ワル)になる!〜良い子ではダメだと前世で悟ったので、強かに生きます
黄舞@9/5新作発売
第1話
「アイラ。さぁ、皆が待っている。行こう」
エリックが目の前で膝を折り、私の手を恭しく持ち上げ、甲に親愛の口づけをする。
ブライト皇国の第三皇子であったエリックは、今日、これから戴冠。
名実ともに皇国の新皇帝になる。
私は、エリックが身に付ける煌びやかな藍色を基調とした、皇帝に相応しい仕立ての服装に目を向けた。
服装も、漆黒の髪の艶も、そして深い紺碧の目に宿る輝きも、
意志の強さだけはいつも変わりないけれど、私にだけは柔和な笑みを向けてくれる。
「こんな
いたずらっぽく口角を上げ、エリックと視線を合わせる。
エリックは一瞬驚いた顔を見せ、そして再び笑みを返す。
「君が悪女なら、この世界の他の女性は全て羅刹か悪魔だろう。我が愛しき姫」
「ふふ……どうかしら」
立ち上がったエリックに手を引かれ、テラスへと向かう。
途中、これまでの記憶が浮かんでは消えていく。
私には八歳から二十歳になるまでの記憶がふたつある。
今世の八歳で始めに誓ったことは今でも忘れない。
『今世は立派な悪女になる』
広場を見下すテラスの扉をくぐるまでもなく、歓声が聞こえる。
私は、一度隣にいるエリックの横側を見た後、心からの笑みを浮かべ、テラスへと足を踏み入れた。
☆
~前世の記憶~
「アイラ! またお前か!!」
私の養父、マートンの怒声に私は身体を縮こませた。
マートンは私の父の弟で、八歳の時に両親を亡くした私の後見人として養父になった。
父が存命の時に何度も顔を合わせたことがあるけれど、その時に見せていた私への態度など、今は見る影もない。
「叔父様。今回のアイザック商会との取引は私ではなく、ディラックが……」
マートンは私の弁明に、なおさら怒気を強め、怒りのあまり右手を振るった。
強い衝撃と共に、頬に熱を感じた。
右の頬を叩かれ、私は痛みのあまり、口をつぐむ。
「自分の否を認めないばかりか、他人に責を擦り付けるとは! 恥を知れ!!」
痛む頬に手を当てながら、マートンの隣に佇むディラックに目を向ける。
ディラックはマートンの嫡男で、歳は私と同じ。
マートンの怒りの発端となった、アイザック商会との薬草の取引はディラックが持ちかけたものだ。
アイザック商会がこれまで不治の病といわれてきた、奇病サモトランに効く特効薬の主原料として取引を申し込んだ薬草とその製造方法の売買。
多額の報酬と南部で採れるとされる薬草の移送費など多くの金を費やしたものの、特効薬の効果はなく事業は失敗に終わった。
「お父様。今までは姪、俺も従兄として多めに見てきましたが、さすがに今回のことは看過できません。被った負債は全てアイラの資産から弁済してもらうのはどうでしょう」
「ふむ! それは仕方ないな! 心苦しいところだがそうするしかあるまい」
「待ってください。それはどういう……」
戸惑う私に、マートンは一枚の羊皮紙を懐から取り出した。
ディラックは私を見てにやけている。
何かがおかしい。
両親を亡くしてから、私はできるだけ従順に、新しい家族に気に入ってもらえるよう振舞ってきた。
一切の不満を漏らさず、無理な要求にも応えてきた。
その中にはディラックや他の従兄弟の尻拭いも数多くあった。
ディラックは小さい頃から賭け事に目がなかった。
しかし、下手の横好きで、買っても少額、負ける時は大きく負けた。
敗因は明らかで、相手の裏をかく知能も、感情を表に出さない理性も、そして運もなかった。
自分がカモにされていることにも気付かず、マートンに隠れて賭け事をしては、負けを重ねる。
自分の自由にできる金額を大きく負けると、私はあの手この手で損失を補う手助けをした。
それが誠実だと思っていたから。
家族とは互いに助け合う関係だと、信じていたから。
いくら相手がそんな素振りを少しも見せない、粗暴な態度をとっていたとしても。
「ここに書いてあることが読めるか? 今回お前が出した損害は、これまでとは桁が違う」
マートンは嫌な笑みで私に羊皮紙を突き出した。
そこに書かれている文章に素早く目を通し……絶句した。
「下級貴族なら家が傾くほどの額だ。幸い、お前の父。私の兄が遺した遺産はこれよりも十分に多いが……」
「叔父様! これは……この証書はいったい!?」
「いったいも何も。資産管理能力の欠如。このままお前に兄の遺産を任せられないと直訴したんだ。はは。お前のこれまでの素行の悪さを見て、すぐに承認が降りたよ」
「素行の悪さなんて! 私の今までの行動に後ろめたいことなど何も!」
何が起きているのか理解できずに叫ぶ私に、マートンは顔を近付け、ギラギラとした目で私を睨み付けた。
「後ろめたいことは何も? いいや。お前はこれまでに何度も賭け事に興じては、大きな損失を与えてきた。それを補うために、親からもらった服や宝石などをこっそり売っているのを知らないとでも思っていたのか?」
「それは、私ではなく――」
「他にもあるぞ。屋敷内での悪質な悪戯の数々。脚の骨を折り、働けなくなり辞めた者もいる。お前はその者にお詫びに多額の金銭を与えていた。罪滅ぼしのつもりか? 危うく火事になりかけた時もあったな。あの時はお前が火を消し難を逃れたが、そもそもお前の責任だ。まだまだあるぞ」
私は目の前が真っ白になった。
マートンの言っていることは半分間違いで半分合っている。
問題を起こしたのは従兄弟たちの方で、私は被害を補填しようとしただけ。
しかしマートンは問題の原因を全て私のせいだと信じている。
「数え上げればキリが無い。我ながらよくここまで我慢したものだと思うよ。お前は来月で十五になる。そうすれば唯一の後継者であるお前が兄の侯爵位を受け継ぐ訳だったんだが」
「皇帝はお父様が侯爵に相応しいと仰ってくださったんですね!?」
いきなり口を挟んできたディラックの言葉に、マートンは大きく頷く。
そしてディラックは私に侮蔑の視線を投げた。
「はっ! アイラ。これでお前はこの家に置かれる意味も価値も無くなったって訳だ」
「うっ……!」
ディラックがいきなり私の髪を掴み引き寄せたため、私は突然の痛みに呻いてしまった。
「もうお前と俺は従兄弟ですらない。俺は父が侯爵位を賜るのに併せて、父が持ってた子爵位を譲り受ける予定だ。その点お前は、爵位を剥奪され、平民に落ちぶれたわけだ。あはははは!」
「ディラック……どうして……? あなたが困っていた時にあれほど助けてあげたのに……お願い。まだ遅くないわ。あの取引はあなたがやったものだと叔父様に……うっ!」
すがるようにディラックの良心に訴えかけようとしたけれど、掴まれたままに髪をさらに強く引かれ、声が途切れる。
プチプチという音が何度も頭に響き、私は思わず顔を歪めた。
「遅くない……? お前は本当に脳がお花畑だな。昔っからお前の善人面が大っ嫌いだったんだ。これでもう見ることもないがな」
「ディラック。何をやっている。そんなことに時間を費やしている暇はないぞ。これからやらねばならぬことが山のようにあるのだからな」
「はい。お父様。失礼しました」
「さてアイラ。お前はさっさとこの家を出て行け。餞別くらいはくれてやろう。まぁ、兄のことだ。お前と早く会えたら喜んでくれるだろうさ。あーっはっはっは!」
その後の五年は、忘れもできない。
慣れない下町暮らしをなんとか必死で生きようとした。
だけど、二十の誕生日を迎えた朝、私は流行病で最期の時を迎えた。
悔恨の念を抱きながら。
自分の立場を軽んじた行いや他人を無条件に信じていた甘さを悔い、そして、自分の両親が遺してくれた物を守れなかった自分を恨んだ。
意識が朦朧とし始め、死が間近に迫ってきていることを本能で理解した。
私は目を閉じ……抗えぬ死を受け入れることを決めた。
訪れる暗闇。
再び目を覚ますと……私は八歳の頃の自分になっていた。
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