第4話 怒らせちゃ、ダメ、ぜったい


「落とし穴から出られて良かったね、おじさん」


「トマスだ。おじさんではない」


 三人がかりで何とかトマスを引っ張り上げ、僕たちは岩壁に空いた大穴から、迷宮ダンジョンの中へと足を踏み入れていた。

 トマスはずっと不機嫌だ。


 一方、アリサはすっかりご機嫌である。

 何故なら、僕が彼女を褒めて褒めて褒めちぎったから。


 彼女に逆らってはいけないという防衛本能。

 貴族としてつちかってきた社交スキル。

 更には、持って生まれた優しい風貌から繰り出される渾身の笑顔。


 余すところなく、十全に発揮した。

 僕、グッジョブである。


 結果、アリサ曰く「ビリっときた」らしく、ずっと隣についてくるようになってしまったのだが。


「ねぇねえデイビッド、本当に迷宮ダンジョンを閉じるの、手伝ってくれるの?」


「ああ、もちろんだよ、アリサ」


「わぁ! 嬉しい!」


 アリサはそう言うと、僕の腕にしがみついてきた。

 僕はかなり驚いたが、引き剥がすのが怖かったのでそのままにした。

 内心、冷や汗だらだらである。


「おい、金髪女。馴れ馴れしく坊ちゃんに触れるな」


「うるさいよ、おじさん」


「まあまあ、いいじゃないかトマス。アリサも仲間とはぐれてしまって不安なんだろう」


「いやそんなタマじゃないだろうに」


「――ビリッとしていい? おじさん」


 アリサの声が低くなり、僕の腕を離した。

 ――マズい。


「俺はいくら脅されてもそんな不可思議な現象信じな――むぐっ!?」


「ほ、ほらほらトマス! もう迷宮ダンジョンの中なんだから静かにね!」


「むぐっ!? むぐむぐ……!」


 僕は、トマスの口を慌てて手で押さえた。

 トマスはさっきアリサの魔法を見なかったから、平気でそんなことが言えるのだろう。

 だが、僕の心の平穏のためにも、せめて彼女たちが国に帰るまでは悪態つくのを我慢してほしい。


「――トマス。アリサは怒らせちゃだめだ。まじで、だめ、ぜったい」


「ぷはぁっ! わ、分かりましたよ。坊ちゃんがそう仰るなら」


 僕はトマスの耳元で忠告を口にしてから、手を離す。どうやら納得してくれたようである。


「あ、あの、デイビッド様、トマス様、巻き込んでしまってごめんなさい。それに、アリサが無理強いを――」


「いやいや、いいんだ、ソフィアさん。この迷宮ダンジョンを放置しておいたら、僕たちの国にも被害が及ぶかもしれないからね。どっちみちこの領地を治める者の息子として、見過ごせないよ」


 実際、迷宮ダンジョンの外にまで毒茸トードストゥールが広がっているし、さっきの魔物化した鹿だって、森によくいる種類だった。

 僕たちが迷宮探索のお供をしているのは、アリサが「もうちょっと一緒にいてほしい!」と駄々をねたからではないのである。決して。


「デイビッド、何話してるの? あたしとも、もっと話そうよ!」


「あ、ああ、もちろんだよ」


 僕は慌てて笑顔を貼り付ける。

 ――アリサには逆らえない。

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