第8話 英雄の帰還(AD2199(宇宙暦99年))

★第一章


「そうか、ヒッグス粒子と重力波は見つかったか」


 つい、さっきまで塩原猛志は自分達の未来である911、311の事を知って、ショックを受け、ニュートリノに質量があった事に感動していた。尤もノストラダムスの予言とされているものが外れた事については感動がない様だったが。


「私は宇宙人よりも、幽霊が実在すると証明される方に全財産を賭けてもいい」


 そんな事も言っていた。複雑系科学から考える、体毛のない水棲哺乳類の知性の高度化仮説等も。


 〈メデューサ〉は無人を前提に運用されるが、乗組員になった者の為のレーションが備蓄されている。


 塩原はレモンジュースのパックをストローで吸う。


「目標座標近辺、到達」〈メデューサ〉の声がコックピット内にいる虹美達の脳裏に響く。


 宇宙全体に広がる〈メデューサ〉の存在確率を〈スーパー・バイザー〉が一点に集約する。


 皆がシートに座っている。全天周モニタが虹色のオーロラを映し出し、コックピットはそのサイケデリックな色彩の光を浴びて、不気味に色づいていた。カーブを描いた天井も、フラットな床も外部宇宙を映し、乗っている者達を虹の色彩の中に不思議に鎮座させていた。


「転移座標の平行宇宙は〈呪術的距離〉がSF方向に偏っている様ね」シートの上で四足で立つアリスは青猫の毛並みに複雑な色彩の反射を這わせながら、何処か呆れた様な声を出した。「カレだけじゃなく、虹美のせいもあるかしら」


「しかし〈ブラックマザー〉は〈穴〉として全ての平行宇宙に共通する唯一のものになろうとしているのだから、何処に転移しても辿りつく事が出来るはずだ」


「そうね」塩原の言葉にアリスが答えた。「それがアナタの考えた設定なのね」やはり呆れた調子に聴こえる。


「10光時以内に九隻の艦隊。そして恐らく幾つかの軍用艦の残骸。わたしの記憶に間違いなければ、国連宇宙軍の第十三艦隊ね。わたし達の〈魔女の鍋〉計画の実行を観察していた」コックピット内の全員の心に響く〈メ

デューサ〉の念話。「そして無数の異常物体の集団による巨大瀑布の様な影。可視範囲内全ての宇宙空間にレーダーをさえぎる濃霧。〈全知全能機関〉の仕業ね」


「〈メデューサ〉、〈穴〉を探して。きっと念視出来る範囲内に〈ゴーゴン艦〉を吸収した〈ブラックマザー〉が作動しているはずよ」


「念視探知実行。探知成功。可視光、不可視光、電磁波、エネルギーを吸収する〈キビシス・フィールド〉を展開している〈穴〉が進行方向、2光時先にあるわ。これが〈全知全能機関〉ね」


 〈キビシス・フィールド〉は〈穴〉だと皆が理解していた。全ての波長の光、物質を吸収して逃さない故に。


「そこにもう一人の〈メデューサ〉がいるのね」何処かあきらめに似て小さく叫ぶ、虹美。「この未来宇宙のそこに今、貴方が姉妹艦と一緒にいるんでしょう」


「いや、もういないだろう。私達はこの未来宇宙の〈メデューサ〉が飛び去った後の時空に来たはずだ」塩原は全天周モニタで明滅する情報記号を観察する。「同じ者の存在の重複が起きない可能性が高いはず。その方が私達の転移可能性が大きくなるからだ」


「アナタは何が起こったか知っている感じね」と塩原の方に顔を向けず、アリスは皮肉めく。「自分が構想している小説のあらすじは憶えている様ね」


「エントロピーのない複数の完全物質は情報的に同質であり、呪術的座標は同位置だ」宙空のイメージアイコンに指を触れる塩原の呟く様な、それでいて強くしっかりした口調。


「貴方が何を言ってるのか、解らなくなるわ」それを聞いた、虹美はふてくされた体になる。その顔は虹色を帯びている。


「〈穴〉は一つだけ。おかしいわ。わたしの姉様達と〈ブラックマザー〉がいるならば〈穴〉は三つのはずよ」


「三人は今や〈呪術的距離〉が限りなく同一に近いんだ」〈メデューサ〉の疑問に、モニタの映像光を顔に浴びながら塩原は答える。「〈全知全能機関〉は予知推測した宇宙の量子的位置をサイコキネシスで自分が望む様に組み替え、現実の変容を実行しているんだろう。予知推測は二隻のゴーゴン艦のメタ演算で補強しているんだ。虹美、君が〈メデューサ〉と合体する様に〈ブラックマザー〉も〈エウリュアレー〉〈ステンノー〉と合体してるんだ」


 光の縞模様を全身に這わしている虹美はその塩原の言葉を聞いて、眉を唾で濡らした指で整える。


 コックピット内は何処か神経症的な雰囲気。


「第十三艦隊が存在する宙域から、大量の怪物がこちらへ高速接近!」警報の如く〈メデューサ〉の念話が皆の脳裏に響き渡った。「数値でカウント出来ない! とにかく大量! 超光速でこちらへ接近中!」


「超光速?」と虹美。


「〈空間的距離〉よりも〈時間的距離〉よりも〈呪術的距離〉の支配が強いのよ! 〈全知全能機関〉が生み出した魔物達は!」とアリス。全天周モニタの一角、ぎらつく虹色のオーロラに支配された宇宙からそれにはっきりと黒色を映す濃密な雲海の様な怪物の群の接近を〈メデューサ〉は感知している。


 まるで暗黒の小宇宙だ。


 羽のあるものもないものも、見かけの距離を光より遥かに速く詰めてくる。


 光の速さでさえ何時間もかかるであろう距離なのに、錯視図形の様に互いに手を伸ばせば握り合えるほどに近い。


 艦隊を襲っていた怪物達が〈メデューサ〉を襲撃してくる。


「合体よ!」アリスが叫んだ。


 そう言われるのは解ってました、と虹美がシートに深く腰かける。ヘッドレストへ下りてくる金属の輪。赤いレーザーポイントが虹美の額に点る。


「アナタもよ! 塩原猛志!」アリスがまた叫ぶ。今度はとりたくない手段を嫌嫌、行使せざるを得ないという風で。


「本当に私で大丈夫なのか」不安さを隠さないで塩原は後列に配されたシートに深く座る。彼の頭を囲む様に金属の輪が下りてきて、内側から赤いビームが額へ照射される。


 虹美の左眼が渦を巻く。


 同時に二人の頭脳、認識が拡張される。


「わたしは嫌なのよ」と〈メデューサ〉の念話が呟く。


 〈メデューサ〉のセンサーが二人の感覚器になる。無数のマニピュレータが黒くなった〈メデューサ〉表面から一気に伸張。視界がコックピット内から外部へ拡大した。


 情報戦闘艦の支配域が虹色の宇宙の中に大量の墨液をこぼしたかの様に染み渡った。


 巨大な玄武の影。


 そして、その表面から真空の宇宙にふさわしくない朧が流れ出し始めた。


 霧。


 乳白色の霧だ。


 虹が炎の様に渦巻くバーチャルドラッグの如き宇宙で〈メデューサ〉の周囲から、迫り来る暗黒の闇に負けない勢いでフラクタルなエッジの濃霧がを噴出し始めた。


 大樹状の白霧は凄まじい勢いで枝根を張り巡らす様に巨大化していく。


 その表面に並び、全てを構成している英雄霊が半身を起こす。


 一人一人が英雄譚の具現。


 ざわめく、正義の灰色の霧。


 甲冑。兜。盾。英雄達は剣を、刀を抜き、銃を、槍を、弓を構えた。


 〈全知全能機関〉からの黒い霧が魔物達によって成り立つ様に、合体した〈メデューサ〉の白色の霧も英雄達の霊によって成り立っていた。


「ヴァーチャルでも効果あるのね」


「それが邪視能力よ、〈メデューサ〉」


「アリス、サポートをお願い」


「これが宇宙規模まで視野を広げるという事なのか……!」


 白い濃霧の中心で四人。


 幽霊を創造する虹美の能力。〈メデューサ〉と塩原との合体はそのリアリティを極限まで増幅させていた。


 無数の英雄達の無数の感覚が敵を無力化させていく。


 この超大容量の宇宙の占有。


 二つの黒白の流れに〈時間的距離〉〈空間的距離〉をまたぎこえ、呪術的エネルギーとして奔流を衝突させた。


 正面衝突する黒白の大瀑布。


 沸騰する、拮抗。


 暗黒と白輝が打ち消しあう。


 閃く、広大なオーロラ。絡み合う白と黒。黒に近い灰色。白に近い灰色。長虫。もつれあう灰色の迷宮。


  正面から顎を噛み合わせる黒と白の巨狼は己が同士のエネルギーが迸るまま、先導の幾百体の戦鬼達を飛沫として泡立たせ、こぼれさせる。飛沫の一滴一滴が戦うものの身体だ。


 実態と虚構がかけ離れている妖物ほど強い。


 自然は曖昧さを許容するが、人間は許容しない。推測で情報空隙を埋めようとする。〈メデューサ〉と〈全知全能機関〉は互いの既知領域の占有を図って、巨大エネルギーをぶつけあった。


 それは絶縁を破壊して八方へ分裂するスパーク。


 最強のもの同士がぶつかり合う矛盾。矛盾は幾つもの結果がそれぞれの兵士の数だけ平行小宇宙を生じさせ、破片として散らばっていく。ほどけていく黒と白の微細分子は虹色の宇宙へ溶けて消える。


 長い黒髪を振り乱す〈メデューサ〉や彼女に乗り込んでいる者達は、魔物の恐怖や狂気に飲み込まれない。


 戦闘経験を積み、確実に強くなっているのだ。


「ワタシも合体するわ! 一気にふきとばすわよ!」


 そして艦内でアリスも合体した。


 〈メデューサ〉の占有範囲は更に拡大した。


 アリスの中空の十字に視界が収まる。


 黒髪を振り乱す〈メデューサ〉は魔物を石化させる。


 導火線に火が点く様に、暗黒流が先端から固化を始め、根元へと超高速で辿り始めた。今は確実に上回っている。生まれたばかりの強力なものと、〈経験智〉を積んで、強力になってきたものの差か。


 〈全知全能機関〉と〈メデューサ〉との戦いは今、確実に〈メデューサ〉が押していた。


「私達が勝っている」と戦いの中、左眼を渦巻かせている虹美の意識が感想を漏らす。


「ワタシ達との戦闘経験の差ね」とアリスの意識が告げる。


「もはや、あれでは〈全知全能機関〉の名に値しないな」と塩原の意識が。「もっとふさわしい名が必要だ。あいつという情報を特定する〈意味〉が」


「そうか……そうね。あれは……ORIHIMEね」


 〈織姫〉。虹美は自分が思いついたかの様に、彼女に既に名づけられていた名を口にした。


「名づけか……それはいいわね。相手の情報を固定出来る」アリスが言う。それは悪戯っぽい笑いだと、彼女を直接見ているわけではない虹美が思う。


「〈織姫〉か。ならば牛を連れた男が必要だな。それには私がなるか」塩沢が冗談めかしてそう言うと、


「アナタ程度なら役には不足ね」アリスがそう返したが、すぐに「……いや、実はそうかもしれない。この怪物や幽霊達の墓標群となった、この〈意味的座標〉には。物語を終わらせる者達の出会いが……」それだけ言い、そんな思念に支配された様にシリアスに押し黙った。


「〈全知全能機関〉に異常な動きが!」


 〈メデューサ〉の思念が叫んだ瞬間、皆の意識が虹色の宇宙に空いた巨大な黒い〈穴〉に集中した。


 〈空間的距離〉〈時間的距離〉を曖昧にした〈穴〉が歪んでいる。


 呪術的に強大化している。三次元物体が二次元的な影を落とす様に三次元的な影を宇宙空間に落としている。


 暗黒星雲。〈穴〉は輪郭を複雑に棘棘しく変化させていた。


 〈全知全能機関〉=〈織姫〉が本気を出そうとしているのだ、と虹美達四人は理解した。それはそれまでにあった勝利の予感を消散させるドラマチックな変身だ。


 細部までも観測者の視覚焦点に合う、均整の取れた美しい姿態。


 スマートに長い首。長い尾。黒い両翼を大きく左右に広げる、十字架形の壮烈なシルエット。


 魚の様に身をくねらせる、妖艶さ。


 ドラゴンという名の暗黒空間。


 時間的には最新の存在であるが、呪術的には太古の黒竜。〈織姫〉は巨大なエルダー・ブラックドラゴンの威容を身にまとい、虹色の宇宙に君臨。真空の宇宙空間で耳をつんざく咆哮を響き渡らせる。


 三次元に物質が落とす影が二次元である様に、四次元存在のこれが虹色の宇宙に落とす影は三次元だ。三次元でありながら、どの様に身を翻しても他者の眼には黒いシルエットに見える。


 物理的実効力のある情報体。


 生きている闇。


 破局。


 終焉。


 実体ともそうでないとも言えない、この宇宙に確実に存在する魔法。


 眼光もない頭部で顎が開き、ブラックホールのジェットの如き直行する轟声と光線を直上に吐いた。


 直線的な放射は光年の〈空間的距離〉スケールを超越して、一つの銀河を撃ち砕き、小宇宙を破壊する。



★第二章


 〈メデューサ〉の中でもつれ合う四人の中でアリスの意識が呟く。


「アイツが終末の具現化なのね……〈メデューサ〉! 〈邪視〉攻撃! 全力で!」


「ラジャ」


 黒髪を振り乱す〈メデューサ〉の周囲で次元が音を立てて渦巻いていく。


 玄武色の竜が再び、光線の轟流を吐いた。今度は〈メデューサ〉に向かって。


 アクティブ・センサー。〈メデューサ〉が無数の視覚器付きマニピュレータで情報を収集。敵を特定して行動を固化してしまうのと同じに、ドラゴンのブレスはアクティブな破局情報のスキャナであり、それが命中した対象はポテンシャル・エネルギーを破局的な最低状態で特定されてしまうのだろう。エントロピー。特定は状態決定でありストレスによる破壊だ。そして、その情報エネルギーは〈メデューサ〉の比ではない。


 光速と距離のスケールを無視して、白い光が〈メデューサ〉へとわずかな間で到達する。


 ドラゴン・ブレス。


 〈メデューサ〉の〈邪視〉は通用しない様であった。


「全力で防御! 全反射モード!」


 アリスの叫びの思念に〈メデューサ〉は超反応。


 彼女は艦表面を再び全き鏡にした。


 流線型の鏡が太い白光を受け流した。エントロピーの嵐が吹き荒れ、航行機能に多大な負荷がかかる。


 エネルギーを全反射。正面から叩きつけられた白い大瀑布が艦表面にそって、幾筋もの太い支流に分かれる。


 既に地球で地平線まで多い尽くす大人数を一瞬で石化してみせたパワーを見せた〈メデューサ〉だが、今の態勢を保つのが精一杯。


 収納が間に合わなかった何十本もの触手が引きちぎられ、傷口からナノマシン・メタルリキッド、銀色の血が流れる。


 まさしく彼女達二人の力量差は明白だった。


 何十秒続いたかと思える激流をやりすごした時、疲れきった〈メデューサ〉本体は虹色の宇宙のただそこに浮かぶのみだった。


「これは次射までもたないわ。呪術的乱流、再計算」機動演算に負荷がかかり続ける〈メデューサ〉の素直な感想が皆に届く。「正面衝突では勝てない。脱出した方がいいかも」


「奇策で行こう」言葉を割り込ませたのは塩原の意識だ。彼は自分の記憶を思い出すのと同時に、新しいアイディアを絞り出す苦悶の風体を声音で表現していた。


「何かいい案があるの?」虹美は自分の心に芽生えそうな絶望を制しながら、彼に訊く。


「……〈ヒロイック・テクスチャ〉だ!」


「何それ」


「今、私が名を考えた」意識が合体している〈メデューサ〉内の他の三人に塩原が意を伝えた。「神話儀礼的戦法だ。呪術的戦法とも言おうか。呪術的な名前を付加して、名前と個人情報を補強するんだ。タロット占いが宇宙をシミュレートする物なら、現実という物語の生成エンジンとしても有効なはずだ」


「……アナタの言う事がさっぱり解らない」アリスが、塩原の回答にはっきりとした意志で態度を伝えた。


 それは虹美も同じだった。しかし彼女は思った。「それがアリスに伝わらないというのは、貴方が今まで考えた事がなかった独創的な思いつき? アドリブ?」


「そうだ」塩原は即答した。「〈メデューサ〉とお前の情報操作力を使う。いいか、これから私の言う事を理解しろ。理解は力になる」彼は説明する為の言葉を探した。「人間の人格、個性とは言わば、作家が登場人物を書く事で自分自身の物語世界へ介入する様な、そのインタフェースとしての人物情報だ。〈ヒロイック・テクスチャ〉とは内部の人間の物理法則、世界規則と外部の世界の物理法則の緩衝体。船外活動強化服の様な物だ。これがあれば、真空の宇宙でも超高重力の惑星でも恒星内でも存在出来る。……理解してるか、〈メデューサ〉?」


「言語的に理解は難しいけど、合体しているあなたの意識と論理はモニタリング出来てるわ」


「あたしも」


「ワタシも」と虹美とアリス。「少なくとも狂的なまでに異常スレスレだけどね」


「〈全知全能機関〉……〈織姫〉の意識はこの宇宙の外にいる」塩原が続けた。「竜の形をした〈穴〉。私達は〈ヒロイック・テクスチャ〉をまとい、その〈穴〉に降りていくんだ」


「アナタのレベルメータは今、狂的異常な方へ振りきれてるわ」とアリス。


「我我は神話的キャラクターになる。今、外部宇宙は〈織姫〉が支配する虹色宇宙の物語世界だ。その一方的な破壊的干渉にさらされている。そこで私達は自己データにデータを重ねて、自分達を呪術的神話的に補強する。演劇的な現実。ヒーローになるんだ。そして〈織姫〉であるドラゴン……正確に言えば〈織姫〉が作ったドラゴンの形をした〈穴〉に飛び込む」塩原が説明する。「〈メデューサ〉。タロットカードの概念は知っているな。それの実行プログラムを組み上げて、投影しろ。グラフィックはお前のデザインセンスに任す」


「わたしがシャッフルしたって、結局は数学的ランダムの域を出ないんじゃないんじゃないの?」


「能力者は確率を偏らせる。確率のランダムさは呪術的意味に引き寄せられ、偏る。対象を意味するカードが現れるはずだ。人は誰でも『現実』という物語の主人公。その物語の登場人物として演じさせられている役割は生きる方向性、『意味』でもある。物語の登場人物はそれぞれ、アーキタイプ。原型がある。タロットがアーキタイプを表示するんだ」


「要は自分を強化出来るコスプレね」アリスがばっさりと論を切り分ける。「〈虹眼〉の力で、英雄霊を出現させる様に、ワタシ達を呪術的神話に登場するキャラクターに変身させて、あの〈織姫〉が産み出している呪術的空間に対応出来る様にするのね。生身のワタシ達がそこで生きて、活動出来る……」


「神話儀礼的戦闘。そして〈全知全能機関〉が隠れている〈穴〉……竜の内部に飛び込んで、討つのね」虹美は何とかして塩原の妄想につきあおうとする。塩原の、論理的な妄想に。


 〈全知全能機関〉は正常な心境と幻想を区別しない。


 この宇宙では、論理のある妄想は強いのだ


 何故ならば、彼女が狂った妄想その物の様なものだから。


「この宇宙は妄想で出来上がっている」塩原はきっぱりと言い切った。「〈エウリュアレー〉〈ステンノー〉、そして〈ブラックマザー〉は、三機揃っているから〈全知全能機関〉でいられるのであって、他のゴーゴン艦を引き離せば〈ブラックマザー〉は弱体化出来る。ええい、もどかしい。どうせ合体しているのだから直接、私の意識を覗けば、説明は早いだろう。〈メデューサ〉、私の意識を開放する。補助を」


「ちょっと、あなた、何を……! ええ、解ったわ。あなたの思考を皆に無制限開放するわよ! 準備はいいわね」


「いつでも」


 塩原の言葉と同時に、滝の様な思考の流れが三人の人格の内側に流れ込んできた。いや、内側と外側の境界がなくなったのだ。


 病的なのではと思える、怒涛の超理論の洪水。虹美、アリス、〈メデューサ〉はその荒れ狂う理論に対して、自我を保つのが精一杯となる。振りほどかねば、狂う。


「これが塩原の論理か……自分達が嵐に翻弄される木の葉の様ね」


 アリスの意識が彼女達の意志を伝えた。


 塩原いわく。


 意識とは外部情報と脳との間に生じた、半独立した生きるカオスの渦であり、未来と過去の狭間に現在という自覚を生じさせている。


 当然、自分達自身の肉体も意識も平行宇宙の情報の一部なので、各平行宇宙そのものと同じに他の平行宇宙から半独立している事になる。


 直接〈穴〉に潜るのは、相手の心理世界へ入るのと同じ。世界観に合わないと拒絶、しかし従属的すぎれば相手に支配されてしまうだろう。管理権を相手に渡す事になる。世界観に組み込まれてNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)化してしまう。自分が自分でなくなるのだ。


 その中間、どのような世界観にも受けいられながらも自我を確立できる存在として。古代神話の英雄人格、つまりペルソナをまとう。


 古い英雄神話とは物語の基本的パターン。物語のパターンは有限だ。それは現代までも通じている。


 英雄物語のキャラクターとは、他者による人間観察基本パターンであり、人間心理の普遍パターンでもあるはず。それをであるならば人間的知性のあらゆる世界観にも対応し、また人間的自我の根本部分を強調した姿で自己確立したままでいられる。


 自分のそういう部分を見つめ、他者の相手はそういうものだという観察の境界線が自我なのだ。


 自分を象徴する様なキャラクターでなければならない。


 〈ヒロイック・テクスチャ〉。


 生身を違う物理法則に対応させ、自我を守る為の装い。物語宇宙の装甲宇宙服。戦いのドレス。


 ロールプレイング。英雄霊を自分の内側から引き出してまとう。


 自我に重ねる。英雄の質感を与える。


 〈合体〉した四人の『内側』に束ねられたタロットカードのメジャーアルカナ、一揃いが現れた。


 二十二枚のタロット。〈メデューサ〉が仮想的に投影した、共有心理的なヴィジョンだ。


 〈メデューサ〉がリアルタイムで表示する様様な平面インジケータよりも明るく、四人の意識が囲む虹色の宇宙空間の中央に浮かんでいる。


 皆が見ている前でカードは高速でシャッフルされる、


「私がめくるわ」


 塩原の論理を受け入れた虹美の意識は、カードの山に「めくる」という意志を送った。


 シャッフルが止まったカードの一番上が表に返った。


 ナンバーⅡ〈女教皇(ハイ・プリーステス)〉。


 知恵を表す、知性と閃きのカード。


 途端、虹美の意識に形が生じた。


 意識空間に浮かんだ少女。素肌にまとう、麻の緒を引いた、露出面積の多い、木綿の貫頭衣。


「まるで天鈿女命(アメノウズメ)ね。日本神話の踊る女神」


 アリスが笑って説明する。


 説明がなくても虹美には解っていた。引きこもる女神天照大神(アマテラス)の岩戸の前で踊り、天から降りて猿田彦の妻となったという。


「これが私の〈ヒロイック・テクスチャ〉?」


「そういう事だな」


 オレンジの髪のままの虹美に塩原が即答した。自分の言葉には確信と責任があるという風に。


「裸踊りでもする?」


 アリスのいやらしい声にそっぽを向く虹美のビジョン。


「次は私だな」


 塩原の声がして、カードの山の次の一番上がめくられる。


 Ⅸ〈隠者(ハーミット)〉。


 最高の知性と知恵を隠した、深き闇のカード。


 塩原の意識が人型に形作られる。


 牛の角が生え、青灰色のローブを着込んだしょぼくれた男。右手には光を発する五芒星を閉じ込めたランタン。


「何だ、これは? こんな神話のキャラクターがいるのか?」


「必ずしも神話のキャラというわけじゃないのね」


 塩原の疑問を、アリスが笑う。チェシャ猫めいて。


「次はワタシ」


 アリスの意識が山札をめくる。


 Ⅷ〈力(パワー)〉。


「パワー? 8番のカードってストレングスじゃなかった? ……いや、これでいいのか」


「そう。それでいいのよ」と〈メデューサ〉。


 男性格であるストレングス以前の姿である、古きパワーのカード。女性格。


 確固たる自信。獰猛な野獣をも鎮めるという霊的な優しき力。


 実体化。アリスの意識は青銀色の毛並みを持つ獣のラインの若い女性型ロボットとして結実した。まるでジャパン・アニメのキャラクターの様な。


 デザインにあざとさを感じるわ、と〈メデューサ〉の意識が感想を漏らす。


 その感想を弾き飛ばす様にアリスの尻尾が大きく揺れる。


「最後はアナタよ」


「解ってるわよ」急かすアリスの意識を振り切って〈メデューサ〉は『めくる』という意識を送った。彼女自身が創造し、シャッフルしたカードだがそれを『操作』する事はせず、ランダムに任せている。


 ねだるな。


 与えよ。


 そして勝ち取れ。


 誰かの運命、つまり人生が他人にとっての物語であり、タロットカードが物語生成エンジンとして機能するならば〈呪術的距離〉が最も近い姿として顕現するはず。


 タロットカードの山札の一番上がめくられた。


 Ⅹ〈運命の車輪(ホイール・オブ・フォーチュン)〉。


 回り続け、いつか止まる。幸運か不運か、流転する運命のカード。


 〈メデューサ〉の意志は、全体を銀色に輝かせる燃料電池を糧とする美しい大型バイクの姿をとった。


 無人のまま、心臓であるエンジンを高音で轟かせる。


「これがわたしの〈英雄〉としての姿なの?」


「そうよ」アリスが寄り添う。「いまどきの神話なら全然そういうのありよ」


「ショックだわ。人の姿をとれると思ったのに」


「でも滑らかなラインがセクシーよ」


 人型のアリスは〈メデューサ〉のシートにまたがった。熱いエキゾーストが高音の蒸気と共にマフラーから噴射される。蒸気は宇宙で冷えて氷霧の雲に変わる。


 四人の意志は虹色の宇宙に漂う実体になっている。実際は〈メデューサ〉内部にいるはずなのだが、彼女の輪郭は外と内が曖昧になっていて、四人の存在可能性は宇宙全体に広がっていると感じられた。


 虹美は息苦しさを憶えるかと思ったがそんな事はなかった。むしろ周囲の宇宙の広大なる空間に全方向への無限の落下感を感じる。「真空も極低温も放射線も平気なのね」


「それが〈ヒロイック・テクスチャ〉だ」と塩原の得意気ともとれない言葉。真空の宇宙で声が届く。


「離れないで」とアリス。「二射目が来るわ」


 四人は互いの位置を確認して、この相対的位置の〈空間的距離〉感を固定する。


 黒い古竜が白いドラゴンブレスを吐き出した。


 その大エネルギー流は〈空間的距離〉の制約を無視して一気に〈呪術的距離〉を辿って、四人に向かってきた。


 直撃。


 轟音。


 白い奔流を受け止めたのは正対したバイク形〈メデューサ〉の先端だった。


 銀河系をも砕くエネルギー奔流は塩原と虹美をかすめて、後方へと流れが割れる。刃に裂かれる大河の様。それでも四人が受けるプレッシャーは相当なストレスだった。


「限界だわ!」〈メデューサ〉のインジケータ・ランプが発声に応じて明滅する。


「一気に行くぞ!」青灰色のローブをはためかせながら塩原が叫んだ。


 塩原と虹美は〈メデューサ〉の輝く車体に掴まった。


 銀色の大型バイクの金属質の車輪を一瞬、空転させ、虹色の宇宙を全速力で駆け出した。掴まった塩原とアリスの衣装の裾が真空の大風を受けた様にはためく。


 ドラゴンへのカウンターアタック。


「今、この宇宙は空間より時間より呪術的作用の支配が強い」塩原の大きな声が仲間達に響く。


「これは魂のカスタマイズだわ」白銀の〈メデューサ〉にまたがったアリスの呟き。皆に聞かせるべくの声で。


 白いエネルギー流をゆるやかな螺旋で遡る。そのエネルギーで発する引力に捕まらないギリギリの間合いで。


 〈織姫〉に急接近。それへの〈空間的距離〉〈時間的距離〉は実数値にするにも馬鹿馬鹿しい遥かな遠方だが、放たれているドラゴンブレスを逆に辿った〈呪術的距離〉は実体で十数秒で辿りつけるほどの近縁だった。


 〈織姫〉は黒い〈穴〉だ。


 それが見る間に視界一杯に巨大化する。四人はその黒いあぎとに一飲みされる大きさしかない。


 三次元の物体の二次元の輪郭の影として存在する〈穴〉へと全員が突入する。


 凄まじく暴力的な衝撃。


 四人は生まれた場所へ戻るかの様に暗黒の輪郭の内側へとびこんだ。


 身を引き裂かれる様な乱流の苦痛。


 シートに座ってハンドルにしがみついていたアリスも振り落とされ、四人は巨大な〈穴〉の各所へと散らばって落ちていった。


 穴の中へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る