第30話 収穫祭
「つまらないな…」
ナギの一言に足元の魔物の背中がぴくりと動く。それでも余計な口を開かないのは不用意な発言が身を滅ぼすことを理解しているのだろう。
「待つのは嫌いなんだよね」
独り言のようだが自分に向けられた言葉だと察したゼクレトは額を地面に擦り付けて許しを請う。
「あと2日で場が整います。どうかそれまでの間――」
お待ちくださいませ、そう続けることはできなかった。待つことが嫌いだという主にそのような言葉を口にすれば命がない。背中に感じる視線に口の中がからからに乾き、身体が勝手に震え出す。
「命拾いしたね。察しの悪い奴は不要だよ」
震える部下にもはや目もくれず、ナギは気怠げに視線を遠くへ向ける。ユーリの存在は感じるが、居場所が不明瞭な状態なのが気に入らない。それでもすぐに行動に移らなかったのは舞台が準備されるのを待っていたからだ。
ディアナートに向かった時点でスイの目論見に気づいた。クラウドへの協力が仰げなかった以上、それ以外の人間に助力を頼むのは間違っていない。
別の目的がある可能性も踏まえてゼクレトに探らせたが、報告を受けて当代聖女で間違いないとの結論に至った。そこで情報を流させ後見人のクラウドも王都に呼び寄せることにした。
スイ、クラウド、当代聖女、この3人を一ヶ所に集めてユーリの目の前で殺すことができれば希望から絶望に一気に堕ちることだろう。そしてその混乱の中でユーリに人を殺させれば契約が履行される。
(もっともすぐに人を殺さなくても構わない)
壊れた心に寄り添って囁き続ければ、意のままに行動させることも容易い。大切なのは救いなどないと思い込ませてしまうこと、そのために邪魔な3人を一気に殺してしまうことだ。
当代聖女の聖力は確かに高いが、教会に大切にしまわれていて実戦経験のない聖女など取るに足りない存在だ。魔物の脅威が減りぬるま湯に浸かった状態の人間は、そんなことも忘れてしまっているようだ。
かつては魔王に対抗しうる存在を育む場であったはずが、今や権威の象徴でしかない。
愚かだと思いながらも、別段ナギにとってどうでもいいことだ。
(女神が創ったこの世界、人と魔物のバランスが崩れれば破滅へと辿るのだろうか)
滅びゆく世界はきっと美しい。その光景を見る自分の隣に壊れた聖女がいる。
人も魔物も等しく消えた世界を思い描いたナギは口元を綻ばせた。
多くの民衆で溢れかえった広場では、誰もが当代聖女の登場を期待に満ちた表情で見守っている。
「どうやってこの状況で近づくつもりだ」
耳元で囁くがスイは困ったような顔で首を振る。何か策があるのだろうが、教えるつもりはないらしい。不満は残るが、堂々と話せる内容でもないのでユーリはそれ以上追求しなかった。
「聖女様がいる限り王都は安全だな」
「ああ、地方ではいまだに魔物の被害があるらしい」
時折聞こえる雑談から王都と地方の隔たりが分かる。聖女の存在が魔物を寄せ付けないという見解は間違ってはいないが、過信してはいけない。
魔王であるナギが王都を襲わないのは単純に興味がないからだ。
(だがもしここにナギが現れれば……)
たちまち王都は地獄と化すだろう。当代聖女と祓魔士が多く存在するとはいっても、護る人間の数もまた桁違いだからだ。
ここに自分がいることで失われる命が格段に増える、そう考えると逃げ出したくなる。自分の命を護っているだけなのに、犠牲者の数は増えていく一方だ。もう誰も傷つけたくないと思う気持ちは嘘ではないが、ユーリが魔王に囚われても人間が無事である保証などないのだ。
だからユーリは戦うことを決めた。共に戦い護り続けてくれた存在が隣にいる限り、逃げたりはしないと。
ユーリの密やかな決意の中、祭事の開始を告げる厳かな鐘の音が鳴り響いた。
豊穣を祈願した祭事で、聖女は土地の恵みを神に感謝するため供物と祈りを捧げる。民衆の前に姿を現すのはその時だけだ。
祭事用に組み立てられた舞台から少し離れた場所に着くとスイは足を止めた。聖女が見えづらく死角になりそうな位置のため、人は少ないが警備に当たる護衛の姿が見える。
「これから騒ぎを起こす。少し離れることになるがユーリが聖女と接触したら呪具を壊すから、心配しなくていい」
「騒ぎを起こせば、周囲が混乱に陥り接触が難しくなるんじゃないか?」
どこか漠然とした説明をするスイにユーリは少し苛立っていた。まるで何かを隠しているかのように感じるのだ。
困ったように見つめる眼差しに不安を覚えたが、急に歩みを速めたスイに腕を取られてよろけそうになりながらも、慌てて付いて行く。
「おい、何をするつもりだ!」
ユーリの不満は大きな歓声によってかき消された。聖女の登場を告げる声に会場が盛り上がりを見せている。
スイとユーリの不審な動きを察知した護衛の警戒したような仕草が目に入り、ユーリは舌打ちしたい気分になった。
「ユーリ、俺はお前を傷付けたりしない。これは聖女に近づくために必要なことだ。身を挺し守ろうとする人間を聖女が見捨てることはないだろう」
耳元で囁かれたスイの言葉の意味を理解した時には手遅れだった。
「駄目だ、やめろ!!」
陽の光に当たり銀色の刃が鈍く光った。衝撃と慣れたはずの臭い、鮮やかな赤が視界に広がる。
「魔物だ!聖女様を守れ!!」
地面に倒れたユーリの視界に護衛に追われるスイの後ろ姿が映った。
「君、大丈夫か?!」
ぐっしょりと胸の辺りを血に染めたユーリは魔物に襲われた哀れな少女に見えるのだろう。痛ましそうな表情で傷口を確認しようと手を伸ばす護衛に、傷口を庇うように手を当ててユーリは首を振った。
ユーリを刺す振りをして自分を傷付け、囮役になったスイの行為を無駄にするわけにはいかないのだ。大切な聖女を守るためどれだけ多くの護衛がいるのかと思うとスイの安否が気にかかるが、今のユーリは聖女に接触することを第一に考えなければならない。
「抱えるぞ。傷の手当てが出来る者が奥に控えているはずだ」
ユーリの返事を待たずに抱えた護衛が天幕に入りかけた時、凛とした女性の声が掛かった。
「その子の治療はわたくしが引き受けましょう」
太陽の祝福を受けたかのような黄金色の艶やかな髪と翠玉のような美しい瞳は悲しげに揺れている。心地良い陽だまりのような気配にそれが誰なのかユーリには分かった。
「もう大丈夫よ、すぐに治してあげるわ」
当代聖女は安心させるように柔らかな微笑みをユーリに向けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます