第25話 答え

ざわざわと木々が擦れる音にユーリは身体を強ばらせる。野宿は慣れているのに祓魔術を簡単に使えない今、通常よりも警戒心が高くなっているせいで少しの物音にも反応してしまう。


行く当てもなく唯一の望みである王都を目指せる訳もなく、中途半端な場所で日が暮れた。

王都ディアナートには当代の聖女と精鋭の祓魔士がいる。だが彼らが魔王とともに行動するユーリの言葉を信じてくれるとは思わなかった。顔見知りであるカルロですらあのような反応を示したのだ。

喉を癒すためにも安静が必要だが、人のいる場所には行きたくなかった。


焚き火から爆ぜる音がしてユーリは無理やり眠ることを諦めて身体を起こすと、すぐに声を掛けられる。

「眠れない?ホットミルクでも作ってあげようか?」


豊富な魔力と長い眠りのお陰でナギはほとんど睡眠を必要としないらしい。

返事をするのも億劫で黙って首を横に振った。これからの方針を考えないといけないのに、脳がそれを拒否している。


(……スイ)

ひんやりとした感触のコインを握りしめて心の中で呼びかけるが、何も起きない。

自分を殺した男に縋ろうとするなど、何て滑稽なことだろう。

思わず自嘲的な笑みが溢れた。


元祓魔師だが今は魔物であり、ユーリにどんな感情を抱いているかなど分かりはしないのに。

殺したのは愛情であっても、長い年月の間に変質していてもおかしくはない。側にいたのもまた殺すつもりだったのかもしれないし、再会してすぐに魔王が側にいたから機会を伺っていたという見方だってできる。


(でも、だったら私はどうすればいい?)

平穏な生を望めないのなら、魔王に魂を奪われて永遠に囚われるのならば――。

(ああ、そうか。


それが希望なのか諦めなのか分からなかった。

だけどそれを選ぶのならばユーリにはまだやらねばならないことがある。炎の揺らめきを見つめていると少しだけ気持ちが和らいだような心地になって、ユーリは目を閉じる。そして誘われるままに眠りについた。



ユーリが意識を手放したことを確認して、ナギは森の中に足を踏み入れた。

「ゼクレト」

忠実な部下の名を呼べば、すぐに姿を現し平伏する。だがゼクレトは無言のまま顔を上げようともしなかった。

何のために呼ばれたのか、見当がついているらしい。


「まだ捕らえられていないのか」

「お詫びのしようもございません」

地面に額づいて詫びるゼクレトに何の感情も覚えない。だが言い訳もせず自分の非を認める姿勢は評価できる。


「もう少しで聖女は僕に堕ちてくる。彼女を絶望させるには、完全に僕の所有物にするにはが必要なんだ。分かるよね?」

「はい、ご恩情に感謝いたします。必ずや生け捕りにして我が君の元へ連れてまいります」

それだけ聞けば十分だった。用が済んだとばかりに背を向けるナギに一礼してゼクレトは現れた時と同様、音もなく姿を消す。


少しずつ目の輝きが失われていくユーリの姿は、ナギの独占欲を満たした。

自分の仕掛けた罠が彼女の心に影響を与えていることが、たまらなく心地よい。壊れてしまえばきっと興味を失うのだろうと分かっていても、必死で抗う様子が哀れでたまらない気持ちになる。

誰にも頼れず救いもなくただ受け入れるしかない状態になった時、彼女がどういう行動に出るのか。


元の場所に戻ってきたナギは、焚き火を挟んでユーリの寝顔を見つめた。過酷な訓練のせいか小柄で華奢な体躯の少女はただ静かに目を閉じている。


「大切な物を全部失うまで、君は僕を拒み続けることができるのかな?」

魔物と戦い剣を振るうために必要な筋力は付いているが、初対面ならば信じられないほど戦闘には不向きな外見。指先は荒れ、手足どころか身体中に傷痕が残っていて痛々しく虐待されていると言われたほうがまだ納得できるだろう。


(今世でも聖女となるべく生まれてきただろうに、僕から逃げるために必死で鍛錬を積んだ。僕のユーリは本当に可愛らしいことをする)


次の手は既に打っているし、ナギ自身が動かなくても人の欲望は際限ない。勝手にナギの思うとおりに事は運ぶだろう。

いくつかの近い未来を思い描くナギの口元には昏い笑みが浮かんでいた。



翌朝、まだ日が昇る前にユーリは目を覚ました。睡眠をとったおかげで心身ともに昨日よりはましになったと感じる。当面の間、森に留まることを決めたユーリは食料の確保と野宿に適した場所を探すことにした。

ナギはユーリが採取する山菜を興味深そうに見ているが、手を出すことも口をだすこともしない。観察されていることに気づいてはいるものの、ユーリもまた何も言わなかった。


(まだ悟られては駄目だ。私ができる唯一のことを)

この世界は優しくない。だけどそれを諦める理由にしたくなかった。もしも生まれ変わった意味があるのなら、前世でやり残したことがあるからだと思いたい。

女神の采配は人の思考が及ぶものではないのだろうが、ユーリはそれを信じることを決めた。


奇妙に静かな時間が流れて喉の違和感が薄れた頃、それは起こった。

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