第18話 魔獣退治

町はずれの牧場に到着すれば、人の好さそうな主人から歓迎された。


「いや、勘違いかもしれないけど幼い娘がいるから心配で。謝礼もあまり出せなくて申し訳ないが、食事ならたっぷり準備するから遠慮なく食べてくれ」

「仕事ですのでお気遣いなく。暗くなる前に周辺を見て回ります。夜は納屋をお借りしても?」


申し出を遠回しに断ると主人は残念そうな顔をしたが、納屋の使用を快諾してくれた。牧場の敷地は広いが、家畜を管理するために視界は大きく開けている。住居近くの納屋も家畜小屋との行き来がしやすく目が届きやすそうだ。


外に出るとナギが話しかけてきた。

「くれるというなら貰っておけばいいのに。栄養を摂らないと怪我の治りが遅くなるんでしょ?僕はちゃんと大人しくしてるよ?」


主人の後ろにはその妻と思しき女性と7、8歳くらいの少女がいた。彼女らに背中を向けていた主人は気づかなかっただろうが、二人の視線はずっとナギに向けられていたのだ。


女の子は単純に綺麗なものに見惚れているようだが、妻の視線にははっきりと熱が込められていた。共に食事を摂ればさすがに夫も気づくだろうし、そうすれば依頼どころではない。


(こいつの瞳には相手を魅了する力でもあるのか?)

少年の姿の時には老若男女問わず気に入られていたことを思い出す。精神に影響する力を持つ魔物はそうそういないが、同士討ちのリスクが一気に高まるので大人数での討伐は逆に危険だと何かの書物で読んだことがある。


不意にナギの手がユーリの頬に触れるが、鋭く払いのけてユーリは距離を取った。ナギの能力を検討していたせいで隙があったのかもしれない。


「残念。僕に見惚れていたのかと思ったのに、やっぱりユーリは他の人間とは違うね」

魅了が通じないという意味か、それとも外見に騙されないという意味なのか。判断がつかないものの、ユーリは出ない答えを探すことを止めて魔物の襲撃に備えることにした。



風が少ない穏やかな夜だった。細い月が弱々しく辺りを照らしている。屋根の上で監視を続けていたユーリは、異変を感じ取ってそっと周囲を窺った。

一匹の狐が警戒しながら暗がりから姿を現す。残飯を狙って森から出てきたようだが、ユーリが察知したのはそれではない。


遅れて異変に気付いた狐が、はっとしたように顔を上げたが逃げる間もなく黒い影に引き倒される。一撃で絶命させられたようで叫び声は上がらず、代わりに血生臭い匂いが漂ってきた。それが合図となったかのように、犬に似た獣の姿をしたルカロンが次々と現れた。

ルカロンは小型の魔獣であるが、群れで行動するため数が多くすばしっこい。フェリーデよりも仲間意識は薄く慎重な性格だ。森に逃げ込まれれば全て退治することは困難だろう。


(人里に出てくるなら森で食糧が手に入らないということだろう。飢えた獣には餌で釣るのが最善だな)

手の甲に短刀を走らせるとピリッとした痛みとともに血が溢れてくる。手を空中に伸ばせば、血が滴り落ちて地面に落ちていく。


狐の死骸を取り合わんばかりに貪っていた影の動きが止まり、暗闇に何対もの目が浮かび上がる。慎重な動きだが明らかにユーリの血に反応してじわじわと歩みを進めていく。


「……勿体ない」

ぼそりと呟く声は無視して、射程圏内に収まったルカロンの群れにユーリは障壁を展開して、聖力を込めて詠唱した。


「氷の刃よ、敵を貫け」

障壁を通過した氷柱がルカロンに降り注ぐ。断末魔も障壁に遮られて届かないが、地面が赤黒く染まっていく。


本来は防御のための障壁が、逃げ場のない攻撃が降り注ぐ残酷な処刑場として使用されていることを知ったら聖女や祓魔士から眉を顰められるだろう。

攻撃と防御は相反するが、自分が生み出したものであれば互いに打ち消すことなく効力を保つことができるのではないか。ま試行錯誤の段階だったが、上手くいったようだ。

屋根から降りてまだ息のある魔物を浄化の力で絶命させる。魔物といえどいたずらに苦痛を与えることは本意ではない。


背後から手を引かれてよろめくが、足に力をいれて踏みとどまった。

「――何だ」

「治療だよ」

薄く血がにじむ手の甲に唇を落としたかと思うと、舌で血を舐めとられる。

嫌悪感でぞわりと肌が泡立ち振り払おうとするが、びくともしない。


飢えを満たすかのように喉を鳴らし執拗に舌を這わせる様子に、頭の中で警鐘が鳴り響く。

咄嗟に最大限の力を行使して障壁を張ろうとするが、ナギの予想外の行動に驚いてしまったため、完成する前に霧散してしまった。


「――はい、終わったよ。ごちそうさま」

ぺろりと唇を舐めたナギは満足そうな笑みを浮かべている。一方ユーリは無意識に何度も唇を手の甲でこすっていた。術が完成する直前に引き寄せられたかと思うと至近距離に金色の瞳があり、そこに灯る僅かな感情を読み取ろうとした瞬間、唇を奪われた。


「……次やったら殺す」

「ユーリが悪いんだよ?あんな低級の魔獣相手に君の血を与えたりするから。君は僕の所有物なのに」

「お前の物になど絶対にならない。賭けを提案してきたのはお前だ、忘れるな」


怒りは収まらないものの、このまま魔王に戦いを挑むのは無謀でしかない。気持ちを切り替えたユーリは、ルカロン以外の魔物がいないか確認すべくナギを置いて歩き出した。

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