第15話 気まぐれ

『………、貴女のため…………』

誰かの声が聞こえる。知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える優しい声。


苦しさと愛しさが混ざり合ってどれが現実でどれが夢か分からない。ふわふわとした微睡みが心地よくずっと眠りについていたいと思うけれど、自分の名前を呼ぶ声に心が揺れる。先ほど聞こえてきた声とは別の声だ。

痛みを堪えるように震えている声に起きないといけない、そう思った。


妙にすっきりした気分でユーリが目を覚ますと、金色の瞳と至近距離で目が合った。一瞬の沈黙の後、楽しそうに細められた瞳に反射的に飛び起きると脇腹に激痛が走る。


「痛っ!!」

思わず声が出たが、それでもベッドから下りてナギと距離を置く。一方のナギは身体を起こして楽しそうに忍び笑いを漏らしている。


「あはは、元気がいいね」

人を小馬鹿にしたような態度に腹が立つが、気を失う前の記憶がよぎり左肩から手首にかけてそっと触れる。脇腹が痛むのは肋骨を何本か傷めたせいだが、赤いドラゴンに引き裂かれた傷のほうが重傷だったはずだ。違和感はあるが痛みが少ないことに疑問が湧いた。


「……私に何をした」

「治療しながら教えてあげるよ。おいで、ユーリ」

少年の姿から青年の姿に変わっていたナギは、かつて対峙した時の魔王と同じ姿で素直に言うことを聞く気になれなかった。


警戒していたはずなのに少年の外見から無意識に警戒が薄れていたようだ。そんな自分に舌打ちしたい気分は状況が分かるにつれて、意識が覚醒するにつれて不快感が増していく。


(そもそも私はあいつと同じベッドに寝ていたのか?)

そのことに気づいて、吐き気すら込み上げてきた。意識のない状態で何をされたか分からないが、何らかの嫌がらせをされていたとしても不思議ではない。

ここがどこなのか、スイはどうしたのか聞きたいことは山ほどあるのに、目の前の男に訊ねる気になれずユーリはただ睨みつける。


膠着状態の中、床がきしむ音が聞こえノックもなく扉が開いた。

「っ!ユーリ、起きたのか!まだ安静に――ああ、そういうことか」

後半の言葉は呆れたように力を失くし、スイの視線はナギに向けられている。


「スイ、何があったか全部話せ」

ぱっと見た限りスイに大きな怪我はないようだ。そのことにささくれた気持ちが少し和らいだが、それを表に出すことなくユーリはぶっきらぼうな口調で言った。


スイはソファーにユーリを座らせると、ユーリが気を失ってから現在に至るまでについて話し始めた。治療のため魔の森から街に移ったこと、ユーリが2日間目覚めなかったこと、表面的な怪我の状態は治せたが体の内側についてはしばらく時間がかかることなど淡々と告げられ、気持ちが少しずつ落ち着いてくる。


(あれから2日も眠っていたのか…)

怪我を負ったうえに疲労が極限に達していたとはいえ、さすがに寝過ぎだ。遅まきながら怪我の状態が気になって確認しようとシャツを捲りあげたが、間髪置かずにスイが引っ張り下ろした。


「……下着をつけているとはいえ、人前で簡単に肌を晒すな」

どこの父親だ、と言いたくなったがスイの言い分も理解できたので、反論せずに違うことを口にした。


「起きた時にあれと同じベッドにいたが、私は純潔を失ったのか?」

その言葉にスイが固まった。一瞬本当にそうなのかと信じかけたが、くすくすと笑う声とともに楽しそうな声が否定した。


「まだ何もしてないよ。ちゃんと意識がある状態でないとつまらないからね。ユーリが寒そうだったから温めてあげたんだよ?」

「………………ほんの数分とはいえ離れるべきではなかった。すまない」


感謝して欲しいとでも言いたげなナギの口ぶりだったが、もちろん相手にしない。怪我のせいで発熱したことも、寒気を感じていたことも覚えているが誰かに温めてもらった記憶はなかったから適当な言い訳だろうと思った。

(大方目覚めに気づいて嫌がらせのつもりでベッドに入った、といったところか)


「……体調はどうだ?大丈夫そうなら少し食っておけ」

そう言ってスイは戻ってきたときに手にしていた紙袋から果物をはじめ、いくつかの食糧を取り出した。体力を戻すには食事を摂ることが必要だ。スイは温かいミルクをコップに注ぎユーリに手渡すと、器用にリンゴをすり下ろし始めた。

それがアンズでなかったことに、安心した気持ちと残念に思う気持ちと相反する感情が湧きおこる。


(何だか少し変だ。夢のせいか?)

夢の記憶はほとんどないが、どこか懐かしさのような感傷が残っていて前世の記憶も含まれていた気がした。スイに対して不安定な感情を抱いてしまうのはそのせいだろうか。


「ユーリ、食べられるか?」

考え事に気を取られていたユーリは口元に差し出された匙をそのまま口に含んで――勢いよく噎せた。


「ユーリ、落ち着け。水を飲むか?」

背中をさすってくれるスイに返事も出来ない。リンゴの欠片が気管に入ったことによる息苦しさとその振動で発生する肋骨の痛みに無言で耐える。羞恥で顔が赤くなるのが分かったが、それも咳き込んでいるせいだと言い張れないこともない。

ようやく収まって顔を上げると心配そうなスイの顔と、どこか観察するような感情のないナギの表情が視界に入った。


言い知れない不安を感じて身体を強張らせるユーリを見たナギは、貼りつけた笑みを浮かべてソファーに近づくと、器に残ったすりおろしリンゴを匙に載せてユーリに差し出す。

先ほどのスイと同じ行為だが、口にしたいと思わない。だが不穏な気配を感じとったユーリは、ナギの手から匙を奪いそのまま口に突っ込んだ。


眉を上げたナギは無言でユーリをじっと見つめていて、ユーリも逸らすことなく視線を返す。奇妙に張り詰めた空気の中、ナギがふっと表情を変えたことで先ほどまでの緊迫した雰囲気が霧散した。


「早く良くなって、また僕を楽しませてね」

告げられた言葉の意味に、自然と右手が腰に伸びたが丸腰状態の自分に気づく。一方のナギは既に興味を失ったかのように薬の調合を進めている。


スイに視線を向けると短剣をそっと懐にしまうのが見えて、自分の感覚が間違っていないことを知る。何が魔王の機嫌を損ねたのかは分からないが、一歩間違えればその苛立ちをぶつけられてもおかしくない状況だった。

魔王の気まぐれによって仮初の平穏を与えられていることをユーリは嫌というほど思い知らされたのだった。

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