03 トレントの魔女(3)


その日、ギルドに屋敷の探索を依頼した男が来た。

このミュンデ伯爵領の領主のドラ息子のジョスラン・クレマンソーであった。何やら影の薄い男を後ろに従え、ギルド職員のタデウスに聞いている。

「この依頼を達成した奴は誰なんだ。聞きたいことがある」

ソファに座ってふんぞり返って、横柄な態度である。


「ご依頼の達成はしておりますね。何か他にございましたか?」

タデウスは丁寧に聞いた。このような胡散臭い依頼は普通は受けないものであった。

しかし、相手は一応貴族のご子息であるので誰かが依頼を受けたようだが、答える代わりに質問で返す。何か疚しい事があればボロを出すかもしれない。

「何かなかったか聞きたいんだよ、死体とか……」

「は?」

「いや、何でもない」


この男の噂はロクな事を聞かない。禁止薬物の絡む、いかがわしいパーティを開いたとか、不法な奴隷売買をしているとか。

後ろにいる影の薄い男も、呪いの薄影男という、そのまんまな姑息な魔術師であった。もちろんブラックリストに入っているが、この街ではまだ事を起こしたという報告は入っていない。


タデウスの返事が気に入らなかったのだろう。ジョスランは前のテーブルを足で蹴飛ばして立ち「話にならんな。他所で聞いてやる」と、足音も荒く男を従えて出て行った。


「あのドラ息子、また何かやらかしたのかしら」

「いやーね」

ギルド職員やら冒険者やらが鼻息荒く出て行った男を見送って陰口を聞く。

ジョスランは鼻つまみ者で有名で、この頃では勘当待ったなしと言われている。

タデウスは少し考えて「しばらく留守をする」と、ギルドを出て行った。



  ***


「あたしはカカシ、もといトレント、じゃなくて魔女のユーディト。一宿一飯の恩義は返す女」

ユーディトは誰もいない部屋で独り言ちる。すでに階下でうろうろするくらいには体調も回復していた。まだ少しトレントであるが。


ユーディトが階下に来ているのは、多分に邪な思惑が入っている。ユーディトはまだ色仕掛けをしたことがないし、トレントでは色仕掛けは無理だろう。胃袋を掴む方なら出来るかもしれないと思ったのだ。

しかし無謀だった。


ユーディトはまだトレントの身体から完全に回復していなくて、細い腕は丸太か薪のままだ。フライパンは重たいし、包丁も重たくてちゃんと使えないし、キャベツも大根も油の容器も何もかも重たい。


「オイ、何やってんだよ」

この家の家主セルジュが帰って来た。

「あ、お帰り、セルジュ」

「ただいま。で、コレ何? ギトギトのフライパン、ぐちゃぐちゃのキッチン、床に散らばる野菜くず」

 必死になって格闘した結果がこれだった。


買って来たものをテーブルに置いて、ひどいキッチンを見回すセルジュ。

「いちいち言わなくてもいいじゃない。手に筋肉が付けばもっとちゃんとなる、筈よ」

「あぶねーから座っとけ、まったく」

「ごめんなさい。お願い、追い出さないでくれる?」

「はあ、誰か出て行けって言ったか?」


セルジュは床の野菜くずを片付け出す。そのままの姿勢で聞いた。

「アンタ、ここに居たいの?」

男はぶっきらぼうに聞いたが、それは酷く優しく確かめるような声だった。


「もちろん、もちろんだわ」

ユーディトの返事にセルジュの動きが少し止まった。


(顔が見たいわ。今どんな顔をしてるの?)

(抱きついていい? キスしていい?)

(ちょっと、そこで掃除してないで立ってくれる。こっちに来てくれる?)

(そうか、あたしが手伝えばいいのか)


トレントはひょこひょこと、床に居る男の側に行った。



そこに、ドンドンドン!! とドアをたたく音。

「おいっ! いないのか!!」

喚く声まで聞こえる。

「何だよ、うるせえな。今いいとこなのに」

セルジュが玄関に行ってドアを開けると、男が二人立っていた。


「セルジュっていうのは、お前か?」

「オレだけど」

聞き覚えのある声にユーディトはひょこひょこと玄関の方に歩いて行く。

ドアの外に居た男は、ずかずかと中に入って来た。じっとセルジュを見ている。

「君、可愛いね」

ちょっと何、この展開。ていうか──。


「アンタ、あたしに呪いをかけた、領主のドラ息子のジョスラン・クレマンソー」

「恋人?」

セルジュが不審げに聞く。

「違うわ。勝手に恋慕して、振り向かないからって呪いをかけて」

「失恋した腹いせかよ」

ドラ息子を見てフンと小さく鼻を鳴らした。


ジョスランが慌てて言い訳をほざく。

「違う、私は呪いなんかかけていない。この女が、私にのぼせ上って、妙な魔法を使ったのだ」

「この嘘つき男!」

(その言葉は聞き捨てならないわ!)


「あたしはね魔女なの。でも惚れ薬は出来ないの。

 無から有は出来ないの。それはこの世の摂理に反するの。

 でも存在するものを、表に出す事は出来るのよ。

 例えば自白剤とか、例えば告白の薬とか──。


 そう、死んだ者は生き返らないの。でも生きていたら何とかなるわ。

 手とか指とか無くなったものは、戻らないの、

 でもそこにあったら、くっ付けることは出来るの。

 これがこの世の理。


 魔女の魔法はとても地味なものなの」


しかし、ジョスランはユーディトの言葉を無視して、セルジュの手を取った。


「私には君だけだ」

ドラ息子は金髪碧眼の、背の高いなかなかイケメンな男だった。

「勘違いすんなオッサン、オレ男だって」

振りほどこうとするセルジュの腕を、小脇に抱え込んで出て行こうとする。

「性別なんかどうでもよい。さあ、私と行こう」

セルジュの背中を悪寒が走った。蕁麻疹が出ないのが不思議なくらいだ。


「やっぱりね。こういう男だと思ったのよ。女にも男にも節操のないイカレた、タラシ野郎」

トレントはその細い腕を組み、セルジュがよくする、無表情に上から下を見下ろす顔でジョスランを見た。

「ユーディトか、その恰好、ざまはないな」

ジョスランが嘲笑う。


「ちなみに、お前に呪いをかけたのは私じゃない。この男だ。」

開き直って言う。後ろに影の薄い男が立っていた。

「私は希代の魔術師。あのような軽い呪いなどお手の物。礼金はたっぷりと」

こんな外道は、お金が目当てと相場が決まっている。

「まあ、この女のこんな姿を見ただけでも儲けもの。惨めだなユーディトよ」

「うるさいわね」

この男に騙されて、あの屋敷のあの椅子に座ったのが運の尽き。もう少しで死ぬところだった。

でも、そのおかげでセルジュに会えたのだから、運命って分からない。


「まともに惚れ薬も作れんくせに」

「だから、それは誰にも作れないのよ。あんたバカ? 何回、言ったら分かるの」

「もう構わん。惚れ薬なんぞいらん。麻薬漬けにするだけだ」

「何てことを」

この男、何処までクズなんだろう。

「お前もその内してやるから、少しは綺麗になって待ってろよ」


ジョスランは捨て台詞を残して、セルジュの腕を掴み、連れてきていた男と一緒に、家を出て行こうとする。


「ちょっと! 私の男を、連れて行かないで!!」

(ご飯が……)

しかし、ユーディトのその言葉は、セルジュの別のスイッチを押してしまったらしい。

「私の男……」

「あ」

余計なことを言っただろうか。このまま見捨てられたらどうしよう。ユーディトはまだトレントなのだ。フライパンは重いし、包丁も重いのだ。死活問題なのだ。

そして他の男より、誰より、断然セルジュが良かった。


「いいな、それ」

ゆっくりと無表情に上げた顔の、唇だけが片方上がった。



それからは早かった。セルジュはジョスランの腕を取り、ついて来ていた男に投げつけた。

男二人は、家の外に放り出された。

「風よ、我が意を聞け。ウィンドストーム」

セルジュは男二人に向けて、風属性魔法をたたき込む。

「うわぁぁぁーーーー!!」

男二人は叫びながらどこかに飛ばされていった。


騒ぎを聞いて駆け付けた近所の人々が、呆けた顔で飛んで行く二人を見送った。



「無事だったか」

ギルド職員のタデウスが声をかける。

「何か様子がおかしかったんで来たんだ。死体が無かったかと、しつこかったし。話を聞かせてもらってもいいか」

「ああ」



呪いはこの国では禁呪だった。ドラ息子ジョスランはとうとう親に勘当された。

どういう訳か呪いが返ったのがセルジュのウィンドストームと一緒で、ジョスランと男はくっ付いてしまった。物理的な意味で。



その内、ユーディトは並みどころか、大変美しい魔女に回復したけれど、セルジュは蕁麻疹が出なかったし、ユーディトはその家を出て行かなかった。


二人は結婚し、セルジュの家を薬屋にして、ユーディトが薬を作り、材料はギルドの依頼を受けつつ、二人で採集しに行った。

時々喧嘩したけれど、とっても仲が良かったという。




  一話 終

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