イーグル・レディ・ゼロ

海原 みつる

第1章 傭兵と少女

第1話 滅んだ世界の空で


 ────この世界は痛みに満ちている。


 始まりは、今から二百年以上は昔の出来事だ。


 南極大陸・・と呼ばれていた陸地で大規模な地殻変動が観測された。地球内部のマントルの巨大な上昇流──スーパーホットプルーム──が地表に到達したことをきっかけとする一連の火山活動は、複数の破局的な噴火を引き起こしたと伝えられている。

 湧き上がるマグマが大地を裂き、山を跡形もなく吹き飛ばす光景は人々を恐怖させるには十分だった。


「まるで地獄の釜の蓋が開かれたようだ」


──と誰が言ったか今では分からないが、それを由来に、この一大事変を”ハロウィンの悪夢”と呼ぶようになった。先達の考古学者によれば、ハロウィンとは地獄から魔王が降臨し世界が滅ぶ日という意味の言葉だ。


 だがしかし、悪夢も所詮は夢。真の破滅の予兆にすぎなかったことを、人々は数ヶ月後に知ることになる。


 終焉は当然ながら南からやってきた。世界中の国家という共同体が、南方から順番に通信を途絶していったのだ。そのうちの一つが最後に残したメッセージだけが、当時の人々に何が起こっているのかを知らせることに成功した。


「天に届く水が迫ってくる。我々は方舟を造ることをおこたった」


 今に伝わる”ノアの方舟伝説”になぞらえたそれは、原因こそ嵐でなかったものの事態を的確に示している。

 地球史上、類を見ない規模の大爆発と共に砕かれた大地は海底へと没した。最悪だったのは南極という土地が氷塊に覆われた極地であった故に、急激に海水面が上昇したことだ。たった数日のうちに巨大な波濤が地上のありとあらゆるものを押し流し、生物種の実に九割以上が絶滅したと言われている。


 単に「大洪水の日」と呼ばれるその日を境に、人の歴史は一度途絶えた。空前絶後の大量絶滅を彼らがどうやって生きのびたのかは判然としないが、数え切れない苦難があったであろうことは想像に難くない。


 およそ百年が経過して秩序というものが再び息を吹き返すと、次第に記録が残されるようになった。だが残念なことに、新たな人類の歴史書には、およそ海上での戦争に関係する事柄しか綴られていない。


 残された陸地の殆どは生存に適さない。寒冷化によって凍り付き、有毒物質を含む火山噴出物に覆われた「死の支配する世界」だ。

 人々は母なる大地に根付くことを諦めざるをえなかったが、一方で大量の鉱物を採掘するのは海の上では不可能だった。それらの資源は新たな生活圏として建造された浮島フロートの維持のためには必要不可欠であり、人類は陸地を完全に離れることはできなかったのだ。このことが僅かな陸地とその周囲の海域の支配を巡った生存競争の激化を招いた。


 世界中の浮島フロートが締結した唯一の条約が「陸上での破壊行為の一切を禁ずる」というただ一文である事実が現状の全てを物語っているだろう。

 

 残された陸地は不可侵としながらも、今日も人は人を殺し続ける。滅んだ世界でも人は変わらず人なのだ────




「────『大洪水後の人類史』序文、ね……」


 資料室で端末にインストールした本の冒頭を読み終えて、一息つく。腰掛けていたベッドに倒れ込むと、照明をボンヤリと反射する天井の隅に錆がついているのが目についた。


「この浮島フロートが造られて十年は経つんだったか……」


 唐突にブザーが響き渡って、部屋の外から声が届く。


「レイ!そろそろ出撃だ」


「分かった。今行く」


 さて、仕事の時間が来たようだ。今日もまた戦いに身を投じようじゃないか──変わらず人であるために。





 鮮やかなオレンジに染まった空が時計回りに消えていき、かわりに頭上を覆ったのは黒々とした海だった。すかさず右腕を前方に突き出すと波間は背後に消え、足下から夕焼け雲がせり上がってくる。


「──ケツを取って油断したな」


 握りしめた操縦桿を揺らし、目標に狙いを定める。目前のガラスに投影されたカーソルとふらふら動くソレが重なった瞬間、引き金を引いた。


 甲高いうなり声を上げた機銃によって咲き誇るのは炎の花だ。爆音と共に散っていく金属の欠片は夕日に鈍く輝き、いつか見た桜吹雪を思わせた。


「こちらスカー。グッキル、ゼロ!」


 ノイズ混じりの通信に短く答える。


「ゼロだ。指示求む。次の獲物はコールネクスト?」


「マックスがサメ頭に食いつかれそうだ。いけるか」


了解コピー。問題ない」


 空中には無数の線が入り乱れ、その間を埋める爆発を愛機と共にくぐり抜けていく。


 ここは戦場。痕跡は風が運び去り、残骸は波間に消える。誰が憶えることも無いほどにありふれた──戦闘機乗りが互いを殺し、殺される空の一つにすぎない。


「今日、死ぬのは俺じゃない……尻尾取りゲームドッグファイトは得意だからな」


 あまりに繰り返して馴染んでしまった言葉を口にすれば、腹の底から力が湧いてくる気がした。





「ゼロ!後ろにッ……────」


 ひときわ大きな爆発音と共に警告の言葉が途切れた。


「くそっ!隊長機スカーがやられたか」


 司令塔がやられたことに思わず悪態をつきながらも、機体を左に急旋回ブレイクさせて敵の鼻先から逃れる。これで味方の統率をとる人間がいなくなった。他人ヒトの心配をするよりちないで貰えた方が助かったんだが、死んだやつに何を思っても無意味だな。


 今は、敵を倒す。生き残る。それだけが重要だ。


 こっちが二機の敵を撃破する間に、味方が五機は爆散している。どうやら今回の依頼は大ハズレもいいところだったようだ。内心で舌打ちをすると、無線が入った。


「こちらサーペント。負け戦だが、最低限の目標は達成してぇところだなぁ」


「ゼロだ。撃たれながらで、あのデカブツをやれるのか?」


 敵の後ろをとるために機体を振り回しながら問う。


 目まぐるしく入れ替わる視界。そこに一瞬写った巨大な影──敵の軍事基地である”浮島フロート”──、その撃破が最終目的だと伝達されている。


 あれは浮いている島フロートとは名ばかりの鋼鉄の要塞だ。ハリネズミのように乱立している対空砲をよけるのも至難の業なうえに、作戦の前段階である護衛機の排除は未完了。損害の方が大きくなった現状で攻撃するのは、はっきり言って自殺行為としか思えない。


「俺が突っ込むが、援護カバーがいる。ゼロ、やってくれぇ」


「あいにく、俺は破滅願望デストルドーなんざ持ってない。断る」


「前金は貰ってるよな。ゼロは途中で依頼を放棄した、って依頼元うえに報告したらどうなるかなぁ?」


「何機の敵をったと思ってる!?受け取った金額分の仕事はしたぞ。ほら、もう1機追加ワンモアだ」


 理不尽に対して言い返しながら、身体は戦闘行為を継続する。機銃で敵の機体に穴をあければ、また一つ火の玉ができあがった。


「ま、お前が逃げるなら依頼は完全に失敗だぁ。けどまぁ、金は欲しいんでね。その場合、敗因が俺じゃないことは主張するさぁ。一匹狼のお前と、連中に顔が利く俺。どっちの言葉を信じるだろうなぁ?」


 露骨な脅しをかけてきやがる。自分を含めて傭兵にまともな奴はいないが、こいつは特に気にくわない。


「聞いていた数より倍は敵がいたうえに、やっこさん達は俺たちを待ち構えてたんだ。そもそも不可能な任務だった以上、俺のせいでもない」


「あぁ、そうだな。ごもっとも。至極真っ当なご意見だが、それについて判断するのは俺たちじゃないよなぁ?」


 ムカつく言い方だが事実には違いない。いつの世も金を支払う雇用主には逆らいがたいものだ。なんともまぁ、悲しくなる雇われのさがじゃないか。くそったれ。


「畜生が!敵が倍なんだ。追加報酬も倍は要求してやる」


「ハッハァー!そいつぁ贅沢できそうだ。胸が躍るねぇ」


「ったく──ヘビ野郎が」


 次の瞬間、操縦桿を押し込んで機体を急降下させる。


 浮島フロートの甲板は大概硬く、爆弾を雨あられと降り注がないかぎり有効打にならないだろう。ならばどうするか。上が無理なら横からだ。


 サーペント機は大型の対艦ミサイルを搭載している。それを目標の土手っ腹に突き刺す心積もりだろう。俺の仕事はそれを敵に邪魔させないことだ。非常に不本意だが、他人のために命を賭けなければいけない。今日は全くもってツイてない一日だ。


「分かってると思うが、超低空戦だ。海に飛び込むなよぉ」


「黙って働け。それが嫌なら、よく回るその舌を噛み切ってくれても構わないが?」


「そうカッカすんなって!仲良くやろうぜぇ」


 本当にいちいちしゃくさわる奴だ。





 海面すれすれまで降下したことで位置エネルギーを速度に変え、海面に白く跡を残しながら一直線に浮島フロートを目指す。即座に俺たちを追ってきた敵は二機。狙いは一機がサーペント、一機が俺か。奴らが追いついてくるのには若干の時間差がありそうだ。


「サーペント、前に出ろ。そっちを先に片付ける」


了解だアイアイ隊長殿キャプテン


 俺を狙っている敵も迫っている。あまり悠長に機銃で狙う時間は無いはずだ。

 

 そう思考したら即座に使用兵装を短距離ミサイルに切り替えた。数発しか搭載できない上に金も掛かる代物だが、敵を倒す時間をほんの少しでも短縮できるのだから贅沢は言っていられない。


「──」


 敵機を視界の中心に捉えてから一瞬の空白。ピーと言う電子音と表示されたカーソルが、ミサイルが敵を捕捉ロックオンしたことを示した。同時に発射ボタンを押し込む。放たれた爆発物は、自動で目標を捉えてまっしぐらに飛翔した。


 この距離なら当たると確信したとき、コックピットに異変が生じる。


「っ──!もう、追いつかれたか」


 瞬間、断続的に響き渡ったのは先刻よりも低い電子音だ。敵のミサイルの照準レーダーを検知した音は、次第に間隔が狭まり連続したものに変化した。つまり完全に狙いが定められ、ミサイルが今にも襲いかかってくることを意味する。


「この程度でれるとでも!」


 死んでたまるか。ただその一念が身体を突き動かし、訓練で何度も反復した動作を実行する。操縦桿は左へと押し倒され、機体が反時計回りに横転ロールした。直後にフレアを放出し、多数の熱源がミサイルのレーダーを騙す。


 時間をあけずとどろく大小二つの爆発音。遠くは敵機、近くは虚空。コンマ数秒の反応速度の差が結果を二分するのが戦闘機の近距離格闘戦ドッグファイトだ。


 今のは危なかった──が、次はない。


 ミサイルを回避すると同時に横転ロールしたことで、敵より速度が落ちた。俺を追い越して尻を見せてしまった奴の末路は一つだ。何度目か分からないうなり声を上げる機銃によって、もう一機も炎と共に水面に消えた。


「若いってのに、やっぱ、いい腕してるなぁ。ゼロさんよぉ。たしか20歳ハタチか、そこらだろぉ?」


「でなきゃ、生きてないからな。というか、お前もそんなに年は変わらんだろう」


「ハッハァー!ちげぇねぇ」


 一呼吸ついて、近づいてくる浮島フロートに意識を集中する。あとはサーペントが対艦ミサイルとっておきをお見舞いすれば、任務は完了したも同然だ。そのあとはうまく離脱できるように……


「おい!3機目が────」


 全体に行き渡っていた意識が偏ったその一瞬は、致命的な隙になった。

 

 サーペントの警告と同時、今にも沈みそうな日輪にシルエットが浮かび上がる。西日に隠れるとはやってくれるじゃないか。


「っ────」


 声を上げる暇も無く、急接近した敵機の機銃に機体が破壊されていく。

 咄嗟に引いた操縦桿は役目を終えて、機体は上昇し続けるも操縦不能に陥った。


「制御装置と無線はやられたか」


 すぐさま後方で爆発音が響いた。サーペントと敵どちらが生き残ったのか、確認している余裕はない。このままでは浮島フロートの上空に到達してしまうのだ。上昇によって減速して真っ直ぐにしか飛ばない戦闘機など、対空砲のいい的でしかない。


 緊急脱出ベイルアウトの準備操作を終えた瞬間に身体が硬直する。脱出したとして、ここは敵地だ。命の保証などない。それでも──


「今日、死ぬのは俺じゃない」


頭に響くけたたましい警告音をまじないのように唱えた言葉でかき消して、俺は最後のボタンを押した。

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