下書き_2023.2月末頃



 小説は好きだけど、小説の書き方指南書みたいなのは小説じゃないから読んだことがない。


 ぶっちゃけ本を読むのに尋常ではないエネルギーを消費するから読みたい本しか読みたくない。文庫一冊読破したら、次の日は大体寝込むとわかっているわけだし。自傷か。


 三浦しをん「マナーはいらない 小説の書き方」だけは、書店で見かけてちょっと気になった。


 でもやっぱり読みたくねー!!


 それは単純に、好きな小説を書く人のバックヤードを見たくない気持ちよね。

 例えばヨーロッパの古い織り機が、ぱったんぱったんレースを編んでいく様子は魔法みたいで、レース以上に美しかったりするよ。良いバックヤードだったなってなるよ。


 でも美味しくてお洒落なカフェで、うっかり先輩バイトが新人バイト叱ってるとこなんて絶対見たくないじゃん。そういうのが億劫。そんなアレでわざとSNSを見ないようにしてる作家や芸能人なんてわんさかいます。


 多分だけど、そういう人を「わー!」ってキラキラした気持ちで眺めるにはインスタがいとよろしなのだろうな。

 その人自身が好きならTwitter、その人が見せてくれる夢が好きならInstagram。



 それでも私は小説の書き方を読むべきタイプの人間かもしれない、と突然思い至った。

 アレよ、これまで考えずとも感覚的にできていたことが、誰かが指摘されているのを見たりして、自覚すると急にできなくなんねん。


 もともと感覚でやってたことだから、一度わかんなくなるともう取り戻せない。何もかもわからん。


 パスケース落としたの? 色は? 模様は?

 えっと〜何年も前からポケットに入っててぇ……わかりません〜! でも絶対落としたんですぅ!! みたいなん。


 混沌。

 経験を重ねて、学ぼうとすればするほど、不慣れな武器は増えてゆく。その代わりに見えない何かを忘れ、何かができなくなってゆく……。


 忘れちゃってできなくなったことを、またできるようにするための指南書、と思うと、価値爆上がり。俄然、辞書よりそばに置いときたい。


 ちょっと書かずにいて、久しぶりに好き勝手に書くと「なんか調子戻ってきたな」と謎に感じていたのだが、多分これだ。戻ってきたっていうか、いっぺん忘れてうまくできなくなって苦労していたのを、また忘れて逆に労せずできるようになったんだわ、きっと。


 私は結構マニュアル人間で、マニュアルブックを貰わないまま「良い感じにやって」と言われても全然できない。まあ、それは大多数の人がそうかもしんないけど。


 でもお作法がまあまあ決まっている自由律、つまり接客とかには苦手意識がない。相手によって毎回対応が違うことに自由性を見出しているまである。

 それくらいしか楽しみがないと言ったら、うんまあそれもそう〜て感じですが。


 ガッチガチの「これだけやれ!」というベルトコンベヤーぶーんて回ってくるお仕事や、封筒折りまくる内職なんかも超苦手だ。

 そもそもベルトコンベヤー、回るの速すぎ。


 結局マニュアルあってもなくても仕事できない何もできなーい! ウェーーイ!!


 これも脳みそのクセみたいなもんなんだろうか。


 発達障害の人が「日常の中でこういうことに苦労します」という一覧を見ると「へえ〜」と思うけど、私のちいかわな脳みそも、十数年に及ぶうつやら障害やら投薬治療やらで複雑な感じになっちゃったのだろうか。


 正直、私の脳みそは生まれたときからこんな感じだった気がしないでもないけど……。


 私は志望校を定めたら、急に何を為すべきかがわかってきてガンガン成績を上げるタイプだけれど、実は志望校を自分一人では決められない。ちょっと泣く。










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