0 宗教団体

 広げた地方紙の片隅にその記事は小さく載せられていた。人々の記憶にも残らないような文字だけの、印象の薄い情報の羅列。

 小見出しは『山奥の集団食中毒事件』とある。

 九州中央山地の山奥に本拠地をもつ、とある宗教団体で集団食中毒事件が発生した。食中毒なのにであるのには間違いなく意味がある。偶然発生した事故ではなく、人為的に引き起こされた事件だ、という主張だ。この記事を書き切った記者の、わずかながらの抵抗だったのかもしれない。しかし、あえて記事を載せることで、事件をなかったことにするのではなく、なんでもない小事として忘却させられることになってしまった。全てを土に埋め隠蔽すると、ひとはそこに何かがあると疑って掘り起こそうとする。

 疑いすらも抱かせないこと。事実を都合よく切り貼りした上で、あえて世間に公表する。なにもなかった不自然さを残すのではなく、なんでもなかった記憶を残す。そうすれば人々は記憶を風化させ、忘れ去ってしまう。思い出すことを意識することもなく、事実はこの世から消えてなくなる。

 鮮度の落ちた牛肉のユッケ、寄生虫のいる刺身を食べたことによる集団食中毒。記事ではそのように原因が説明されていた。宗教団体の主催する、とある祭祀の会食で用いられた食事に問題があったと報じられている。だが、それは事実ではない。

 その宗教団体では魚の寄生虫であるアニサキスを人工的に培養して、意図的に呑み込むという常軌を逸した儀式が行われていた。真偽のほどは定かではないが、儀式に用いられるアニサキスは、その宗教団体によって特別に品種改良を施されていたとする噂もある。病院に運び込まれた一部の患者から摘出されたアニサキスは、通常の二倍から三倍のサイズがあり、体色は黒に近く、繊毛が見られたとの証言もある。残念ながら摘出された寄生虫は残っておらず、救急外来のカルテに短く走り書きが残っているだけであった。

 このとき運び込まれた患者のなかには、さらに別の重大な疾患の疑いがある患者が複数名いたことが報告されている。患者たちは脳への疾患が疑われていたが、病院のキャパシティを越える人数が搬送されたために詳細な検査を行うことができず、対応に追われるうちに見過ごされてしまったようだ。当時対応した医師の証言をもとに、当該宗教団体へのいくつかの疑念を合わせて考慮した結果、その脳疾患はほとんどの人間社会でタブーとされる、ある行為が原因で引き起こされたものではないかとの予想がたてられた。

 また、この宗教団体には食中毒事件とは別件の疑いもかけられていた。

 オカルト系の雑誌やSNSでの怪談話でしか取り上げられない、あるはずのない空想上の噂話。インターネットのなかにしか存在しない怪事件。本気にされない陰謀論。そうしたもののなかに、一握りだけの事実の糸が存在する。

 失踪者のいない行方不明事件。

 数日間音信不通になっていた友人が、戻ってきたと思ったら、まったくの別人になっていた。声も顔もまるで違うはずなのに、その人間は友人の名を名乗り、友人しか知り得ないはずの知識をもっている。その上、周囲も本人だとして扱っている。異変に気が付いているのは自分だけ。警察に相談しても取り合ってもらえず、病院や公共機関でも入れ替わったことが分かっていない。そのうちにおかしいのは自分の方ではないかと疑い始める。自分の記憶の方が異常で、友人のことをはじめから誤解していたのではないか。そして、ふと鏡を見ると、自分の顔がまるっきり知らない人間のものに変っていた。

 細部はいくつかヴァリエーションがあるものの、大方はこのような内容の怪談話だ。

 見知った知人が全く知らない別人になっていた。自分自身も別人になってしまったように思う。

 相貌失認という脳障害の一種ではないか、とネット上では考察されている。脳の認知機能の問題で、本当に人間が入れ替わっているわけがない。常識的に考えれば。

 では、脳機能の問題でなかったとしたら?

 ひとりの人間をこの世から消し去ることは、そう難しくないとしたら。

 身分証を作り変えればいいか。役所の記録を書き換えればいいか。顔見知りの何人かが嘘を吐けばいいのか。記録と記憶。その双方に、ほんの少量の偽りという毒が流され、すこしずつ、すこしずつ、社会が蝕まれていったとしたら。

 気付いたときには、気付くことができる状態になったときには、もう手遅れになっている。見知った人間が別人になってしまったときは遅すぎる。変化は水面下で起こり、最後の結果として異変が表出するだけにすぎないのだから。

 彼の宗教団体は、その教えは、その習わしは、誰もが見向きもしない間に社会に広がっている。

 それは嘘だ。

 嘘という微量の異物が、何十年、何百年とかけて社会に浸透していくさま。今ではすでに常識に成り代わってしまって、異常を異常だとも思わない。思えなくさせられている。

 あるものをないと言い、ないものをあると言う。妄想に質量を与え、空想で人間社会を空転させる。人間達は存在しないものに怯え、存在しないものに縛られ、存在しないものに奪われる。

 それは設定だ、と誰かが言った。

 ルール、決まり事、法律。あるいは社会そのものが、すでに病巣と化してしまっているのかもしれない。

 いち早く気が付いて警鐘を鳴らした者がいた。

 彼の手記に残されているのは、不死会と呼ばれる宗教団体の幹部と目される人物のリスト。幹部ら不死会の人間は、とある儀式によって魂の不滅を約束された存在だというのだ。不死会の構成員にはそれぞれ課された役割があり、不死は役割を遂行するために必要な能力だ、と記されている。

 判明している不死会の構成員は以下の通り。

『海砂利南戸

 天王寺青蛙

 弐座武秀

 来馬正巳』

 そして、代替わりせずに受け継がれる教祖の名は『上郷美折』。

 不滅にして永遠なる、我らが現人神の人界における御名である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る