2 宵宮祭をたのしもう(1)
ほーぼーばっぽぼー、ほーぼーばっぽぼー。
鳥の声で目を覚ますなんて、街中の生活では考えられなかったことだ。山鳩の鳴き声はさえずりというには野太すぎる。どうにも野性味の強い山の朝だった。
起きてみるとそこは公民館ではなく、十畳ほどの客間だった。誰かが運んで布団に寝かせてくれたようだ。障子から差し込む朝日はまだ青い。
昨晩の記憶が上手く思い出せない。公民館で宴会をしていたはずだが、酔いが抜けきっていないせいかおぼろげだ。酷い悪夢を見ていたような気がする。布団を頭まで被っていたのに、手足の末端がかじかむ。指先は白く凍えていた。
現実感が薄い。立ち上がってみても安定感がない。地面に落ちた風船みたいに、ふらふら、ふわふわと足元が定まらない。
「美折さんは……」
部屋には布団がふたつ。ひとつはぼくが寝ていたもので、もうひとつはすでに綺麗に折り畳まれていた。畳まれた布団の表面をなでると、まだ微かに温かい。体温と共に化粧品の香りが鼻を掠めた。美折が寝ていたのだろうか。彼女は何処に。
服のしわを申し訳程度に伸ばして着直し、廊下に出る。廊下の窓は星の散りばめられた磨りガラスで、ぼんやりと深緑色がにじんでいる。
場所を確認したくて窓を開ける。外気の新鮮さが目に染みる。
まず視界に入ったのは、家庭菜園にしては広い畑とトラクターなど農器具の収められた物置。玄関前には軽トラがとまっており、敷地こそ広いが普通の田舎の一軒屋に思える。瑞尾村を貫く唯一の舗装道路に面していて、周囲の山との高低差から公民館より登った位置にあるらしい。
七月だというのに肌寒い。
ふと、家を囲む生垣のなかに人影が見えた。葉の隙間から視線が、じっとこちらを伺っている。中を覗き見ようとしているのか。それとも出ていかないように見張っているのか。ぼくの視線にはまだ気が付いていないようだが。
そのとき、梢から山鳩が飛び立っていった。
思わず反応して視線を外した間に、人影はその場を立ち去る。紺色のスカートが緑の隙間を泳いでいくのがみえた。
「セーラー服?」
あまり気持ちの良い朝とはいえない。寒さに身を震わせて窓を閉めると、物音に気が付いて廊下の奥から住人が顔をのぞかせた。
「おはようございます、ずいぶんお早いですね」
昨日と同じ、スラックスに青い作業着を羽織った白井の姿だった。
「ええ、なんだか眼が冴えてしまって。あの……ここは?」
「昨晩はずいぶん酔っていらっしゃったので、私の実家の方へ運ばせてもらいました。立派な宿なんてありませんで、民家で申し訳ないですが」
白井は卵を手に持って、玄関をあがって来る。鶏小屋があるのか、採りたてらしい。
「突然押し掛けたのに、泊めて頂いただけでもありがたいです」
「朝ご飯はもうちょっと待ってくださいね。といっても、大したものはでませんが」
「お気になさらず。あの……美折さん、えぇっと、ぼくと一緒に村にきた女子大生を知りませんか?」
「上郷さんですね。彼女なら朝一でシャワーを浴びられて、お出かけになりましたよ。車の荷物に着替えがあるから、と。公民館の広場はお祭りで使いますから、ついでに車の移動もお願いしました」
ひとまず彼女は無事だとわかって安心する。人影のことも気になるが、今すぐ彼女も追い掛けるべきか。迷っていると白井が「シャワーでもどうですか」と勧めてくる。
その言葉に甘えお湯を借りることに。山奥でもプロパンガスで沸かすことができるのだとか。最近までは薪炊きの家がほとんどだったというから、テーマパーク化様々らしい。来客用の設備投資を名目に、各家庭の近代化がすすめられていると、風呂場の扉越しに白井が話してくれた。
暖かいお湯を頭からかぶる。芯からほぐれていき、硬直した記憶がほぐれていく。昨晩の事を少しずつ、鮮明に思い返していく。
思い出すのは奇声をあげる老人と、頭を割られた海砂利、そして無視する村人たち。
順当に考えれば、テーマパークの演出だということ。しかし、あれが作り物やトリックとは、どうにも思えない。網膜に焼き付いた惨劇は、常軌を逸していると共に、あまりにもリアル過ぎた。現実の中ではっきりと質量を感じた。果たして作り物にあそこまでのリアリティがあるものだろうか。
本当に海砂利が殺されたのだとすると、警察沙汰どころの騒ぎじゃない。このプロジェクトには、地方再生の旗印のもと、行政が積極的に協力しているのだ。なにか大きな陰謀の一部に巻き込まれている可能性だってある。軽率に騒いだら、それこそ危険かもしれない。
なにか、大きく得体のしれない恐怖が、背中を滑り落ちていった。
白井の用意した朝食は、畑で取れた野菜で作った味噌汁と高菜漬け、とれたて卵の厚焼き玉子だった。ご飯をよそってもらい、朝の畑仕事から戻った白井の年老いた両親と四人で食卓を囲む。白井の両親とは初対面だったから、昨日の公民館の宴会には顔を出していなかったようだ。
「雪原さんは『ウケ』さんのお祭りをみにきなさったんかね」
「ええ、大学の民俗調査の一環で……『ウケ』さんというのは?」
「『ウケ』というのは食べ物を指す言葉ですよ。
白井が文化財行政らしく、地元の神様を説明する。淀みない口調は、市の職員らしいものだった。
「こういう土地柄でしょう? 山ん中で畑にするもの難しい、まして稲作はさらに。狩りにも限界のある。やけん、人も増やせん。そしたら労力の足りん。昔から食べ物には苦労してきたごたです」
「そういうことが……」」
咄嗟にぼくの口を次いで出たのは、テーマパークの客としての設定だった。どこまでがテーマパークの“演出”なのか、その境界が曖昧だった。例祭の内容はともかく、ここで実際に暮らしているようにみえる白井夫妻はキャストには思えない。地域の信仰の場でもあるお祭りに対して、ホラーテーマパークになったから遊びにきたとは言いにくい。
「あの、ひとつ伺いたいのですが……昨晩の宴会でのことなんですが……」
どう切り出すべきか。そもそも聞いていいのだろうか。ストレートに海砂利は本当に殺されたのか、なんて聞けるはずがない。白井の両親はテーマパークのことなど何も知らないかもしれない。
「はい、なんでしょうか?」
食卓を囲む彼らが、あまりにも平常運転過ぎて、昨晩の出来事は酔ってみた夢だったのではないかという気がしてきた。こうも温度差があると、自分の頭がおかしくなったのかと疑いたくなる。
「いえ……昨晩はありがとうございました」
ためらった末に、喉に出かかった言葉を米粒で流し込んだ。何となくだが、今は聞くべきでないと思ったのだ。
ここにきて、昨晩の天王寺の言葉が身に染みて理解できた。
このテーマパークのなにが厄介なのか。現実の生活空間と重ね合わせてテーマパークがあるせいで、どこまで疑っていいのかわからない。誰がキャストなのか、どれが仕掛けの見世物なのか。なにが現実なのか。人付き合いが上手ければ、当たり障りないように探りを入れられたのだろう。
ぼくはすっかり疑心暗鬼に陥っていた。
「にぎやかですと、ウケさんも喜ばれます。しかし……宵宮まで暇でしょう。山と畑ばかりで、見るところもない寒村ですから」
「私は市役所の方に顔を出さなきゃいけませんし、来馬くんは設営作業をしているはず。公民館に行けばひとはいると思うんだけど、みんなそれなりに作業があるからお構いできないだろうし」
ぼくは設営という言葉を深読みして、身を固くする。今夜の前夜祭でも、なにかが起こるのではないかという危惧だ。もし因習村テーマパークの趣旨に沿うならば、一般的な祭りであるような屋台やステージといった無害なものであるはずがない。脳裏に浮かんだのは、古代文明における血腥い生贄の儀式。美折に見せられた映画の、ウィッカーマンの儀式がイメージとして残っていた。因習の言葉から漂う血の匂いは、生贄のイメージとは切り離せない。その場合、生贄となるのは――。
「大丈夫ですか? 顔が青いですよ。お味噌汁が口に合いませんでしたか?」
白井が人の好い顔で、心配げに覗き込む。
「朝は低血圧なものですから。お味噌汁は美味しいです」
そういってお椀を口につけたが、汁は一向に喉を滑り落ちていかない。味などわかるはずもない。張りつめた精神が味覚を痺れさせるのだ。
やっとの思いで嚥下すると、白井家の三人は満足そうに頷いた。ぼくが穿ってみているからだろうか。どことなく薄気味の悪い団らん風景だった。温かさがわざとらしいとすら感じる。
「若いんだから、しっかりと食べなきゃいけませんよ」
出されたものを食べ、美味しいと言う。避けられない同調圧力のような、嫌な重力を、この食卓からは感じた。ぼくは一体なにを食わされているのだろうか。
「せっかくですし、社へお参りしてみてはどうですか? なにぶん山中にありまして、骨折りではありますが。石段がありますので、道を外れなければ迷うようなことはありませんし」
白井が暇つぶしを提案する。
「明日になれば御神体をお迎えしますから、その時にもみることはできましょうけど。落ち着いて社をみて回るなら今日ぐらいがちょうどいいでしょうねぇ」
「ハイキングにはハードかもしれませんが、ゆっくり時間が潰せますよ。虫よけは必須ですけど、藪に分け入らなければ平気です」
子供らもよく遊んでいますから、と白井は軽く言ってのける。
ぼくは美折と合流したかったが、この場で断るのもおかしいので頷いておく。
「そうですね、他にやることもないですし。行ってみたいと思います」
誘導されているような気もしたが、さすがにそれは勘ぐり過ぎだろうか。
「我々村のものからしたら境内が子供の遊び場になるぐらいですが、外のひとにしてみれば、なにやら珍しいものがあるかもしれません」
神社へは村を貫く道を登って行くだけで辿り着けるらしい。基本一本道で道案内の必要もないとか。
一通り話し終えると会話が途切れる。何となく気まずくなって視線を漂わせる。柱にかけられたカブトガニの剥製。神棚と先祖の遺影。ふと、そのなかにひとつに既視感を覚える。初めてみる顔ばかりのはずなのに、どこかでみた気がする。
「あれは私の伯父ですよ。去年の春ごろに昇殿しまして」
一番左の新しいものを指して、白井が説明する。
深く突っ込んで聞くことでもないか、と相槌で流す。昇天なんて珍しい言い方だったから、すこし引っ掛かった。
結局、昨晩の海砂利の件については聞けないまま、朝食を終えた。
わざわざ弁当を作ろうとする白井の母親を、荷物になるからと丁重に断り、白井家を後にする。
「あぁ、そうだ。これを言っとかないと」
玄関のサッシに手を掛けた所で、白井がぼくの背中に声をかけた。
「村境から先へは行ったらいけませんよ。境にはしめ縄と木のお札がしてあるのでわかると思いますが」
「なにか、あるんですか?」
「……いやぁ、この辺りはイノシシが出ますし、マムシもおります。迷ったら捜索隊を出さなきゃいけませんからね。山を甘くみたらいけませんよ」
「気を付けておきます」
きっと、イノシシやマムシ以外のなにかがいるのかもしれない。
最後の忠告はあからさまな怪しさを感じた。
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