1 因習村へいこうよ(4)
その後、代わる代わる村人にお酌され、断れる雰囲気でもなく呑みすすめた。村人たちは村からほとんど出たことない(たぶん、そういう設定)らしく、都会の話を聞いてきた。循環バスの一律料金だとか、コンビニとの距離だとか、大学のこと。さして珍しくもない都会あるあるを呂律が怪しくなるまで披露した。大学のある京都は大都会ではないのだが、瑞尾村と比べれば京都駅も摩天楼か、などと思ったり。人生で一番喋ったのではないかと思うぐらい、他人と会話した気がする。
到着してから一時間が過ぎたころにはすっかり出来上がっていて、食事になにが盛られているだとか、疑う暇もなかった。ぼくの引き籠りがちな声帯では、アルコールと宴会の声量に耐えられず、かすれた隙間風が聞こえるだけになってしまった。
宴もたけなわといったところで、村長の
「頤村長のお兄さんが県の議員ですから、テーマパーク化でも色々融通してもらったようですよ。祭りにも人一倍尽力してらっしゃいます」
白井がこっそりと耳打ちしてきた。それはつまり、ほかにもテーマパーク化の候補地があったけれど、親戚のよしみで根回ししてもらったという話だ。耳打ちするぐらいがちょうどいい音量の話に違いない。不正だか、賄賂だかしらないが、ある所にはあるものだ。
「本日はお集まりくださり、誠に感謝いたします。会食の用意から衣裳の仕立てをしてくださった婦人会のみなさま、神輿等の準備をしてくださった青年会の皆々様。そして、村にいらしてくださった方々には、重ねて感謝申し上げます。ご協力のおかげで、滞りなく、予定通り開催の運びとなりそうです」
やんや、とは言わないまでも、小さくない拍手とガヤが村人から飛ぶ。柱にもたれ、酔った頭で見回しても、外からやってきたキャストと、本来の村の住人の見分けがつかない。みる限り年齢別の人口比の偏りは少ないように思う。年寄りが多すぎず、若者もそれなりにいる。もっとも、この場にいないだけかもしれないけれど。
「今年は毎月の自治会費に加え、県と市からの助成金もでましたので、こうして公民館の立て直しも叶いました。例祭は例年になく盛り上がることでしょう。村人だけでなく、外の目もあるということで、一層張り切らねばと思う次第でございます――」
年長者らしい口上の冗長な話を聞き流していると、外から奇妙な音が聞こえてきた。
ざりっ、ざりっ、と重いものを引き摺るような。
酔い過ぎたせいで耳鳴りでもしているのかと思ったが、見回してみると美折と目が合った。不審な音は彼女にも聞こえているらしく、聞き間違いではない。ほかにも、酔いつぶれて半分眠っている海砂利を除いた外部の人間は、みななにかに気付いて、不穏な目配せを交わした。
音は大きくなり、近づいてくる。
来馬や白井を含めた村人たちは一切気づいておらず、あるいは意図的に無視しており、不気味で仕方ない。これから間違いなく何かが起こる。ジェットコースターが落ちるためだけに、ゆっくりとレールを登っていく感覚だ。尻の下がむずがゆく居心地が悪くなる。襲いくる恐怖を期待し、好奇心と緊張が歩みを揃える。
因習村におけるアトラクションの予兆に、ぼくは身を固くした。
夜山に木霊する、甲高い悲鳴。
突如、外から叫び声のようなものが聞こえた。
甲高く、金属を引き裂いたような、鋭く、細長い悲鳴。
「い、今のは……」
しゃべり続ける頤氏の前で、思わず膝立ちしてしまう。
「はは、都会の人は聞いたことありませんかな。あれは鹿の鳴き声ですよ。夜中に聞こえると吃驚しますでしょう。夜は九州鹿が、そこらじゅうで鳴きよるのです」
「鹿、ですか」
京都市内でも北の方では、夜中に鹿が鳴くことなんてしょっちゅうだ。初めて聞く人間なら間違うかもしれないけど、ぼくや美折は違う。美折は視線を音の聞こえた方に投げたまま。
鹿なんかじゃない。ぼくにはもっと恐ろしいものに思えてならなかった。
鹿、鹿か。直感では否定していても、この期に及んで事件ではないのだと自分に言い聞かせる。
跳び上がった心臓をなだめて、腰を下ろす。
頤氏は再び喋りはじめ、ぼくは一息つこうとした。
座るとすぐさま、つ、つ、と袖が引かれる。隣までやってきた彼女がぼくに、小さく耳打ちする。
「音が止まった」
それが鹿の鳴き声の話でないことはわかった。
「すぐそこ」
目線の先は、玄関を示していた。
ぼく、美折、弐座、シェリ、天王寺。訪問者たちの視線が一点に集まる。唯一、海砂利だけが緊張感なく、いびきをあげていた。
ホラー映画でいう、暗闇を見つめる、無音の空白。緊張の糸が張りつめていく。
予感、予兆、恐怖演出の前の空白。
「瑞尾村のさらなる発展と――」
頤氏の声が遠ざかる。
そこ、に何かがいる。
「ごめんくださぁい」
公民館の引き戸が叩かれる。すりガラスのサッシに影が映りこむ。
「ごめんくださぁい」
叩く強さが増していく。鍵は掛かっていないのに、扉を壊さんばかりに叩きつける。
「ごめんくださぁい!」
中を覗こうとしてガラスに顔を押し付ける。蹴られた扉が歪み、サッシがレールから外れる。
弐座や天王寺は腰を浮かして、いつでも飛び出せる体制を取った。
美折がぼくの身体にしがみつく。けれど、その口元は吊り上がっていた。彼女のピアスがぼくの首筋に押し付けられ、小さな棘の痛みが現実感の基準点として主張していた。
酔ってみる夢じゃない。ぼくらはまだ、現実空間に立っている。
ぼくは固まって動くことができない。
「締めといたしまして、皆さま、お手を拝借――」
村人たちは一向に気にした様子もない。異質な空間だ。公民館の扉ではなく、ぼくの頭蓋骨が叩かれているようだ。ガン、ガン、ガン。脳が揺らされる。
「いい加減にして、もう限界よ!」
シェリが叫び、湯呑を掴んで玄関の扉に投げつけた。湯呑はガラスを割って、外に飛び出していく。
ぴたりと殴る手が止む。割れ目からちらりと覗いた服の切れ端は酷く汚れていた。玄関から人影が離れる。
再び、耳が痛いほどの静寂が訪れる。いつの間にか頤氏の話も終わっており、村人たちも含め誰一人音を発しない。目線だけを走らせて辺りを伺う。光の届かない暗闇に、なにかが潜んでいないかと。
十秒……二十秒……壁掛け時計の秒針の音だけが響く。
息を詰める。
「もう、いなくなったの?」
緊張が限界を迎え、シェリが恐る恐る口を開く。
暗闇には何もみえない。
ぼくらが油断するまで待っているのか。
『いよォ~おッ』
パンッ!
突如、集った村人たちが、一斉に手を叩く。
「え?」
頬に飛んだ、濃熟した朱色の粘っこい汁。
思わず、そちらへ視線を動かしてしまった。
台所で調理する光景がフラッシュバックした。
まな板の上。皮が分厚く、その分よく熟したかぼちゃだ。菜切り包丁では歯が立たず、出刃は見当たらなかった。代わりに見つかったのは薪割用の斧。大上段から狙いを付けて、大きく振りかぶった。鏡開きのような小気味の良さで、かぼちゃはぱかんと殻を開く。真っ二つになったかぼちゃの断面が、ぼくの視界に映る。
オレンジを通り越して、赤く染まった果肉。厚い果肉の層のしたに、熟した濃いわた。どろりとした液状に溶けた果肉が流れ出す。半分腐ってしまっているのか、甘ったるさのなかにすえた臭いが同居している。鼻から吸い込んで息を詰まらせる。
畳に果汁が染みこんでいく。
「海砂利くんッ」
シェリの金切り声で我に返った。
現実の状態を直視した。
振り下ろされた斧が畳を突き破って、床板に突き刺さっている。喉の根元まで真っ二つに割れた海砂利の姿。襤褸を纏った老人が、彼の脳を素手で攫っている。かぼちゃのわたを引き千切るようにして、中身を掻き出している。
「ごめんくださぁい、ごめんくださぁい!」
老人は皺に垢が溜まって、皮膚のひだが盛り上がっている。しゃがれた声からは男か女かわからない。
老人は耳障りな叫びで、海砂利の中身を熱心にほじくり返す。
玄関を叩いていた声の正体はこの老人だ。いつの間に入ってきたのだろう。物音ひとつしなかったのに。
「ごめんくださぁい、だれかぁ、いませんかぁッ」
恐怖がぼくらを縛り付けて、だれも動くことができなかった。
目の前で起こった出来事が信じられない。こんなことはアトラクションの域を越えている。
「さぁ、片付けましょうか」
そんな中、村人たちは終わった宴会の片付けを始める。鉢と大皿を下げ、残り物をタッパーに。洗い物をするひと、テーブルを拭いて片付けるもの。自然と役割を分担して、てきぱきと作業が進められる。
老人の存在や海砂利の身に起こった惨劇をまったく無視して。それが何よりも不気味で、気持ちが悪かった。
「だれかぁ、いらっしゃいませんかぁ」
気持ち悪さがこみあげてくる。
「いないですかぁッ」
胃の内容物が逆流し、抑えきれない。
「ごめんくださぁい!」
老人の叫びが脳髄を痺れさせる。
手足が震える。
酔いが氾濫する。
寒い。昔、感じたことのある、骨の軋む寒さだった。
アトラクションが。悪夢の国のアトラクションがはじまったんだ。
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