1 因習村へいこうよ(2)
無事に試験期間が終わり、夏季休業が始まって一週間後。旅行により提出期限が早まったレポートを必死で片付けた。美折が参考資料といって渡してきた因習もののミステリやホラーのリストを捨て置き、この一週間は大学の図書館に籠り切りだった。お気楽な先輩と違って教職を履修していたぼくは、それなりに授業数も多く忙しかったのだ。だから、映画や小説などで因習村の何たるかを予習している暇はなかった。
忙しくしていたら、いつの間にか当日になっていた。
週末に開かれるという村のお祭りに合わせて、三泊四日の行程。“村人”として先乗りしている来馬から送られてきた地図だけが頼りだ。
九州の中央山地の奥深くにあるという辺鄙な村らしく、移動だけでも一日がかりになる。前日の夜に京都駅から夜行バスに乗って博多まで移動。博多で朝食をとったあとは、新鳥栖から九州新幹線で熊本県八代へ。九州新幹線の車内は四列シートで、自由席でもグリーン車のような快適さだった。夜行バスの狭苦しさで一睡もできなかったらしい美折は、リクライニングを全開にして眠りこけていた。
その後、八代からレンタカーで数時間。九州のほぼど真ん中に向かって、不案内な山道をうねっていく。九州の背骨にも例えられる中央山地は標高が高く谷が深い。おかげでアップダウンもやたらと多い。圏外になりがちなGPSは役に立たず。ハンドルを握るぼくはペーパードライバー。助手席の美折は開いた地図を何回転もさせて、そのうちに飽きて放り投げてしまった。
彼女は寝ることにも飽いて、ぼくは厳しいヘアピンカーブの道で眠気に負けるわけにもいかず、自然と話題は目的地の因習村へと向けられる。
「美折さん、目的地についてぼくはなんの知識もないのですけど、本当に大丈夫なんですか?」
周囲の風景から人家が消えて二時間は経つ。道路だけは舗装されているものの、それもいつまで続くことか。木立の切れ間から覗いた風景は、ひたすら山稜が折り重なって続いていく様子だけ。人里がある気配がまるで感じられない。あったとしても文明の光は届いているのか不安になる。生まれてこの方、電気とガスのない生活などしたこともない。
「因習村型テーマパークって確か、地方の少子高齢化対策でもあるって話でしたけど……こんな住みにくい奥山にひとを増やしても意味ないんじゃ? そもそもこんな場所に誰が移住したがるんですか。絶対にまともな身の上じゃないでしょう」
「ほんっと、酔狂な趣味よね」
「そうじゃありませんよ。ボットン便所とか、五右衛門風呂とかカンベンですよって話。あと虫も苦手で。出るんでしょ、掌大の蜘蛛とか、畳の隙間からムカデとか。いくらうまいと言われても、蜂の子とかイナゴも無理ですから」
「案外デリケートね。因習よりも生活面の心配なの?」
「生活面も、心配なんです。こんな山奥でなにかあったら助けも呼べない」
下手をしたら遭難しそうだ。現に、地図上の道を正しく辿れているのかさえ怪しい。さっきの分かれ道は、三十分前にもみたものと同じではなかっただろうか。木々に囲まれた山中は、何度も折れ曲がり方角も判別できない。こんな緑の迷宮でガス欠でも起こそうものなら、気付いてももらえない。
「滅多なことにはならないと思うよ。ほら、気付いてる? さっきから道路のアスファルトが新しい」
彼女の指摘に従って、視線をずらす。引き直されたばかりの白線は汚れておらず、アスファルトは油が浮くぐらいに新鮮だ。すれ違いもできない一本道で、長時間カーブに晒されて、道路の状態を気にする余裕もなくなっていたようだ。
「全国十二か所展開、官民一体の一大プロジェクトだよ? なにかあったらお偉いさんの首がいくつか飛んじゃうかもね。地域振興、伝統文化の保全、地域資源の再評価に、地方移住計画と。今日八代で降りたときに気付かなかった? 因習村にかこつけたキャンペーンとか、伝統産業のプッシュに、地域の伝承のアニメーション。効果があるかはともかく、それなりに国からお金が出ているんだと思うよ。自治体相手にばら撒いているとも言うけどね。立派な道路を作っておけば、地方のお年寄りは喜んで与党に票を入れてくれるし」
「そんな身も蓋もない言い方……」
「田舎者にとってインフラは生命線なの。徒歩十分の距離にコンビニなんてないのよ。割と大袈裟じゃない効果はあると思う。ホラー要素でミーハーな若者を釣るより、そっちがメインかもしれない」
妙に身につまされた、重みのある言い方だった。そういえば、来馬の地元はバスが一時間に一本もこないような田舎だと聞いたことがある。彼女も同郷だから、田舎ならではの経験があるのだろう。
「まぁ、そんなだから、それほど心配はしなくていいよ。電気も水道もガスもあるんじゃないかな。寒村的演出でないことはあるだろうけど。昔ながらの生活ってヤツ」
「どこまでもテーマパークってことね。作られた伝統に、作られた生活か」
「シラけた?」
「いや、十二分に不安です。なにも知らないことで恐怖すら感じますよ」
ホラーテーマパークとしての内容が依然として不明瞭なままなことに変わりはない。せめてジャンルだけでも分かれば心構えができるのに。スプラッタだけはやめてくれ。
「美折さんは因習村テーマパークの内容はどのぐらいご存知何です? 裏事情的な奴ではなく、出し物の方で」
「こういうのって基本的にネタバレ厳禁だからなぁ。SNSでの評判はいいみたいだよ。内容には触れられないけど、心霊系の考察掲示板には土地柄と結びつけて怪現象を推察するみたいなものはあったよ。因習村十二か所の詳細は公開されていないけど、おおよその位置は特定されているから」
「すると、これから行く村の考察も?」
「宮崎との県境の方で平家残党の伝承が残っていて、それ関連で追討ちを恐れて閉鎖的な時代錯誤の村だ、みたいなものなら。未だに平家の子孫が権威をもっていて、平安時代の風習がタイムカプセルみたく残っているとかね」
どうやら彼女は試験そっちのけで、村について調べていたようだ。三回生でゼミなんかもあるだろうに。ある意味大学生らしいといえば、らしいのだが。好奇心にはとことん負けてしまうひとだから仕方ない。
「卵についてはどうなんです?」
「さてね。何の卵かもわからないものだしね。来馬くんの言葉から蛇に絡めて調べてみたけど、蛇の石にまつわる伝承しかみつからなかった。卵じゃなくて石なのよねぇ。蛇が卵を呑んだ話ならあったよ。あとは、蛇に見える石だとか、石になった蛇だとか。蛇からは離れたほうがいいのかも」
そういって彼女は、小さな楕円形を掌の上で転がした。
「なんにせよ、思ったより大掛かりで少し安心しました」
相変わらず道は狭いままだけど。申し訳程度の落石防止の法面補強が心強く感じられる程度には、落ち着いたかもしれない。
「安心って、なぜ?」
「手の込んだ遊園地ってことでしょう? 国にしろ、自治体にしろ、色々と協力しているなら、滅多なことにはなりませんし。因習っていっても、マヤの生贄だとか、人柱だとかいう血腥いことにはなりっこない」
「村丸ごとひとつだからね。その地域の伝統や文化がお題目としてあるし。実のところ、忌まわしい因習だとか、ホラーサスペンスみたいなものは二の次なんじゃないかな。むしろ、訪問者である私たちの方が、地域のひとの生活を乱さないように気を付けないといけないかも。いくらテーマパークでも、実際にそこで人が生活しているわけだから」
「そう聞くと、本当に民俗調査にいく研究員みたいだ」
「ま、因習って言うからには、非常識、非道徳的ななにがしかがあるのは間違いないんだけどね」
「不安にさせたいのか、安心させたいのか。どっちなんです?」
美折は悪戯っぽく瞳の奥を光らせる。どうやらぼくを揶揄って遊んでいるらしい。長距離の移動で退屈を募らせているのだ。時折途切れるガードレールを気遣って、急かさないだけありがたいと思うことにした。
その後、一度も対向車とすれ違うことなく、ふたつみっつ峠を回り込んだところで、村境を示す標識に出会うことができた。消えかかった木製の板には、黒いペンキで『瑞尾村』と書かれていた。
村へと向かう道には太い丸太を組んだ柵が囲み、物々しい雰囲気を醸し出していた。車一台がやっと通れる道幅の一本道が続くほか、左右を斜面に挟まれて谷になってる。通るときは開門していたけれど、容易に閉じ込められそうだった。
いくら細い山道とはいえ、公道に検問みたいな真似していいのだろうか。
なにかがあれば閉じられる。簡単には逃げられない。中に入った人間を逃がさないようにするためか。あるいは中にいるものを外に出さないようにするためか。
不安な影が頭をよぎっていった。
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