神の贋作は悩み考える -2
「……あれはいったい、誰だったのでしょう」
セレナとリベリオの部屋を掃除していたエヴァは、夜に起きた告解部屋での事を思い出していた。
「いかがされました、エヴァ」
「あ、いえ、なにも、すみません手が止まっておりましたね」
「それは気にしていないのですが、なにやら難しい顔をしていたので」
セレナから見ても、エヴァは顔に出ていたらしい。表情が豊かではない自覚があったエヴァにとっては、そう言われるのがなんだか不思議な感覚だった。
「昨日は少し寝付けなかったので、ご心配おかけしてすみません。今は元気ですので」
「そう? ならいいのだけど」
若干疑うような目を向けてきたセレナから逃げるよう、部屋の反対側へ移動する。
「本当にそうか?」
が、すぐに自分の移動した先を後悔した。ドアの近くであったそこには入ってきたばかりのリベリオがいて、見下ろすようにエヴァにじっと視線を向けていた。
「あ、ごきげんようリベリオ様」
「なにがごきげんようだ、昨日なにかあっただろ」
『けっして、告解部屋での事が気になるとかじゃないからな』
不覚にも、笑ってしまいそうだった。
無意識で丸聞こえであるリベリオの声は、最初出会った時よりも比較的素直で聞いていて愉快に思えてしまう。本人に伝えたらどんな顔をするかわからないそれを頭の隅に追いやりながら、小さく首を横に振る。
「本当に、なにもやましい事はございませんから」
さすがに偽物祭司相手でも、色恋の話をするのは気が引けた。だからと思い伝えた言葉に、リベリオは少しだけ納得いかないよう目を細めていたがすぐにわかった、と言葉を落とす。
「今日は午後から外への布教活動があるから、後で二人ともついてきてくれるか?」
「喜んで」
「えぇ、もちろん」
それが、侍従役の仕事であるから。
エヴァとセレナの返事を聞いたリベリオは、椅子に座ると布教活動のためなのか書類に目を通し始める。こうやって見れば、偽物かなどわからないしましてや教皇の息子と言われても誰も信じないだろう。
「そういえば、あの集会はどうなった」
「あの……あぁ、コーラルのですね」
どうなった、というのはおそらく彼女達がまだ集会を開いているかという点だろう。
そう捉えたエヴァは記憶から手繰り寄せるように聞いている話を整理して、それがですね、と言葉を続ける。
「元々集会は控えていたそうなのですが、そのタイミングになにやら本当に幽霊騒動が起きたそうですよ」
「…………ほう」
言葉の間が、やけに気になった。
「それがきっかけで、幽霊が出るとかで子どもも別の部屋とかを希望するようになったそうで……やってはいるようですが、あの小屋には誰も寄り付いていません。と言っても、どちらにせよ院長にマリネッタ副院長が耐震状危険だから、と前々から閉鎖を促していたようで今回の事を期に入れなくなっています」
「……そうか」
なぜだろう、目線を合わせてこない。
あからさまでわざとらしい態度にエヴァも顔を覗き込むが、ふと聞こえてきてしまった声につい頬を緩めてしまった。あぁ、なるほどと。
『待て、あの時話したのは街で伝わってる怪談でここにはないだろ、母さんがよく話してたけど作り話だし……』
(この方は、時々私の存在を忘れているのかと思えるくらい声をダダ漏れにするのですね……)
信頼されているのか、それとも存在をないものとされているのか。後者なら悲しいと思いつつ、あの、エヴァはわざとらしく顔を覗き込む。
「……ところでリベリオ様、その幽霊がどんなものだったかは気にならないのですか?」
「気にならないな!」
やけに気が入った言葉に、エヴァもセレナも笑ってしまいそうになる。そんな、そこまで言わなくとも。これでは幽霊が怖いと暴露しているようなものだ。
慌てふためくリベリオをしばらく観察したエヴァは、すうと目を細めながら別の事を考えていた。
(それに私としては、幽霊騒動よりもあの声が……)
集会メンバーが誰かを確認した日の、コーラルがいなくなった日の夜。
誰のものかわからない、心の声がエヴァに届いていた。
(最初は集会についてバレたという声だったのかもしれないと思ったけど、それならもっと前に聞こえるはず)
つまり、なにかバレてはいけない事をしていたのが四人の中にいたという事だ。
それがなになのか、エヴァの中でどうしても引っかかりがある。けれども確証がない今は、これ以上なにも言えないのが現状だった。
「……シスター、突然黙って今度はどうした」
「あぁ、いえ、幽霊話を頭の中で整理していまして」
「そんな整理はしなくてもいい」
なにかをごまかすように立ち上がったリベリオは、まるで逃げるようにドアの方へ歩き出した。
「少し回廊を歩いてくる」
「お供しますよ」
「さっきの話はするなよ」
よっぽど、話が嫌だったらしい。
そんな態度に出されたら逆効果になる事もあるのに、と一瞬言いかけたが、そこまでいじめるのは可哀想だからやめておく。
「すみません、少し出てきます」
「えぇ、ごゆっくり」
部屋を出て、しばらくはリベリオにつくよう歩いていく。角を曲がった先にある回廊は普段と同じように見えたが、エヴァにはある場所に集まる人だかりが気になってしまった。
「あれは……」
そこにいたのは、合唱隊のシスター達。
笑い声が聞こえる辺りから悲しい事ではなさそうなはずなのに、同時に聞こえてきたのは泣いているような声で、なにが起きているのかわからない。
「シスター、なんだあの人だかりは」
「それは、ですね」
リベリオも、気になったようだ。
小さな声で聞いてきたリベリオに頷きながら、じっとエヴァは合唱隊の方へ目線を向ける。
『おめでとう』
『元気でね……!』
『幸せになってね』
(……あぁ)
断片的な言葉ばかりだったが、エヴァにはじゅうぶんだった。
「婚姻が決まったシスターの見送りです」
「婚姻の……?」
「そうですが……」
一瞬戸惑ったような表情を見せてきたリベリオに、エヴァもつられて困惑したような声を出してしまった。
まさか、そんな教皇の息子であり偽物でも祭司の格好をしているような男が、ヘロンベル教の婚姻を知らないわけがない。
そう思いながら顔をじっと見ていると、聞こえてきたのは想像と少し違った声で。
『婚姻の制度は知っていたが、本当に決まった人に会うのは初めてだ……』
(……あぁ、なるほど)
すっと、腑に落ちた。
ヘロンベル教が中心として動くヴィカーノ皇国で、この婚姻の自由を知らないという人はほとんどいない。ただしリベリオは、母親が亡くなった後父が教皇として洗礼を受けたという珍しい境遇だ。婚姻や色恋は知っていても、直接的に触れるような機会がなかったのだろう。
「あれぇ、エヴァだ」
そんな事を考えながらリベリオとシスター達を交互に見ていたところで、また違う声が背後から聞こえてきた。その声にはリベリオも聞き覚えがあるようで、同じようにエヴァと声した方へ目線を動かすとそこにはふわりとした優しい笑みを浮かべるリリアが立っていた。
「リベリオ様も、ごきげんよう」
「ごきげんようシスターリリア、あちらのシスターは婚姻が決まったのですか?」
「えぇ、そうなのです! ねぇエヴァ!」
「あ、え、なに?」
自分の事のように喜ぶリリアは、ぐるりとエヴァの方へ顔を向けてきた。まさか自分を見られるとは予測できず、つい声が上擦る。
「エヴァは、時々美味しい物を差し入れくださってた伯爵家の長男さん覚えてる?」
「えぇ、もちろん覚えてるわ」
少し前、教会には隣町でも有名な伯爵家の長男がよく顔を出していた。近くに教会もあるのにと思っていたのと、その心の声はやけに一人のシスターに向けられていたものだからよく記憶に残っている。
「あの伯爵家の方とね、彼女は幼馴染みなんですって。一度は付き合って上手くいってたけど、彼のご実家が事業で傾きかけて負担になるからと彼女の方から別れを切り出し、それからシスターになったのだけど……彼の方は諦められなかったみたいでね」
「それで、復縁したと」
よくある話だった。
シスターは基本的に、世俗から離れ神に仕える身の存在。志願する女性の中には、生涯の愛を誓った相手と別れた事をきっかけにする人も少なくない。彼女も漏れずその類だったようで、彼が足繁く差し入れを持ってきたのは彼女に会いたかったからなのだろう。
『けどロマンチックだなぁ、大恋愛じゃん!』
(まぁ確かに、聖職者を婚姻まで持っていくのは誰であっても大恋愛ね)
色恋に寛容とは言われていても、だからと言ってそれを免罪符のように婚姻をするわけではない。
シスターはそれぞれ、一人一人に理由があり教会の門をくぐっている。エヴァのように身寄りがなく孤児院から流れるようにシスターになった者や、誰かのためになりたいとシスターになった者。人との別れなどから神に縋る者と様々だが、完全に同じというのはほとんどない。
自らの意思で、神に仕えているのだ。
それをやめてまで好きな人と生きる道を選ぶのは、聖職者としてかなりの勇気が必要だ。
(私には、わからない話だ)
エヴァには、彼女や彼や、もちろん他の誰かの恋愛観についてもわからない。人の心に触れ続けた彼女にとってはそれすらも真実なのかがわからなくて、苦手というよりも得意ではない、という表現が一番合っている。
(けど、先生は……)
前院長が、エヴァに教えてくれた事。
神は人が好きだから、人の心の移ろいや儚く脆い感情も好きだと。だから世界ができてから、人々は恋をするのだと。
楽しそうに、なにかを懐かしむように笑っていた前院長の表情は今でも思い出す事ができて、同時に寂しくも羨ましくも思えてしまう。
(私もいつか、先生みたいに思えるのでしょうか)
そんな、誰にも話さない事を考えていると、ふとどこから別の足音が聞こえてきた。
「ほらそこ、なにを仕事もせず回廊で立っているのですか」
「げ、マチルダきちゃった……!」
隠れるように声をひそめたリリアは、じゃあね、と小さく手を振りながら逃げていってしまった。
手を振り返そうとした時にはすでにいなくて、まるで小動物のようだというのが感想だ。
「ほらそこも……あら、シスターエヴァとリベリオ祭司、ごきげんよう」
「……えぇ、ごきげんようシスターマチルダ」
小さく頭を下げて、言葉を交わす。
どうやら彼女の意識は二人以外に向かっていて、その挨拶だけで興味をなくしたようにふいと顔を逸らされてしまう。
「ほらみんな、ずっと喋ってないで持ち場に戻りなさい!」
マチルダの声に反応したシスター達は、それこそリリアと同じで逃げるように散ってしまう。それを見たマチルダも、なにやら肩を落としたと思うとそれ以上はなにも言わずじっと回廊の外へ目を向けている。
「……ずいぶんと、スパルタなシスターだな」
「えぇ、彼女は相談役ですから」
「相談役……?」
首を傾げたリベリオは、そのワードにピンときていない様子だ。
「教会によっては名称が違いますからね……マチルダのついている役の相談役は、早い話が教育係です。見習いさんの指導や相談を受け持つから、相談役。まだシスターになれていない見習いさんに作法を教えたりするのが、マチルダの仕事です」
エヴァも、見習いの頃はマチルダにかなり厳しく指導されたのを、よく覚えている。
この教会でも年長者の部類である彼女は、まさしくシスターの鏡と呼ばれるのが似合う女性だ。厳しく、そして神に仕える身としての立場に誇りを持っている。そんな彼女だからこそ、相談役は務まるのだとも思える。
そんなリベリオ曰くスパルタの彼女は、全員がいなくなったのを確認するとなぜか溜息を零していて――
『いいな……』
「…………え?」
そんな、場違いに羨むような心の声を零していた。
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