三話 だって戦国なんだもん(3)
1571年(元亀二年)
武田に人質を計三人(定能の弟と、貞昌の妻と従兄弟)差し出した奥平家は、武田への恭順を認められた。
この機会に奥平親子は武田の軍法を学び、後に徳川に教授する程に習熟する。
何事も無駄にならない、幸運値の高い親子だった。
1573年(元亀四年)一月
正月に武田軍総勢三万が、本格的に三河への侵攻を開始する。
奥平親子は武田の最強部隊・赤備えを率いる山県昌景に従軍すると、主に三河領内の道案内役として用いられた。
徳川は激しく抵抗したものの、徐々に押されて、ついには三方ヶ原で大敗する。
武田に寝返っておいて良かったと安堵する奥平親子だったが、春になると武田の進軍が、ぴたりと止まった。
野田城を囲んだまま、一ヶ月も止まった。
そして、野田城を降伏させると、急に帰国を始めた。
徳川にトドメを刺さずに。
織田の大軍が追撃に来ても、馬場隊に
織田の大軍は、馬場隊を見ただけで潰走するという恥ずかしい珍事が発生したので追撃して来なかったが、武田が背後から織田の大軍に囲まれて潰走した可能性も充分にあり得た。
武田信玄が采配を振るっていれば、このような事態は絶対に起きていない。
「…父上」
「…ああ、ヤバい」
武田信玄が死んだか、指揮を取れない程に死にそうな病状か。
表向きは、病状が優れないので帰国すると公表されている。
死んだとは、絶対に公表しない。
弟が臨時名代として采配を振るい、影武者としてのビジュアルも活かして、遠目には信玄が無事なようにも見せている。
実際は死んでいるのだが、信玄自身が遺言で死を三年は隠せと言ったので、本気で影武者(弟)に信玄として仕事をしてもらっている。
何方にしても、戦争を中断して帰国するようでは、武田は強力な指導者を欠いている事を晒したも同然。
(いや、死んでいる)
定能は、確信する。
(確実に死んでいる。隠しても、分かる)
定能は、義元死後の今川の衰退を生で見聞きしている。
得難い主人を失った喪失感は、秘密を知る上級将官から下へと伝播していく。
秘そうとしても、悲壮感は軍全体に積もっていく。
(健康なら、何年も前から悪かった。健康に関わらず、戦の采配はキレていた。
だから病気であっても、進軍を続けた。
信玄は死んだ。
死んだからこそ、武田は撤退した)
公式に認めなくても、少なくない者が、信玄の死を察した。
そうなると、情勢が大きく変化する。
武田信玄の育て上げた軍勢は強力だが、織田・徳川連合軍の逆襲に耐えられる確率は、低い。
隣国の北条や上杉に助力を求めても、最善でも中立でいてくれるだけだろう。
武田は四カ国を保有する軍事強国ではあるが、織田・徳川連合は十三カ国。
伝説級の指導者抜きでは、守勢に回って消されるだけだ。
武田に、明るい未来は、ない。
実際、この時三万を超えた武田の兵力は、数年で半減する。
奥平親子のみならず、多くの者がこの段階で、武田を見限ったのだ。
見限る以上、人質は高確率で殺される。
定能の脳裏に、これから遠くない未来に失われる若者たちの顔が浮かぶ。
人質に出されて、これから家族に損切りされる者たちの顔を。
(また味わうのか)
都合で家族の処刑を黙認する、外道の罪悪感を。
武家ならではの外交賭博で、また人質が殺される。
「俺たちは、強い方に寝返ればいいだけだから、気楽だよな」
定能は、初めて人質に死なれる貞昌を気遣うが、返事はない。
貞昌は無言で、父の嘆息を受け流そうとする。
将来生き残る為に、人質を見殺しにする選択肢を選ぶしかない。
それ以外の選択肢は無いものかと、思案を巡らせても、武田の領地に潜入して人質を奪還して逃げてくれるような成功率の低い作戦しかない。
成功した例もあるが、直後に本拠地まで攻め込まれて、模倣者が出ないように徹底的に蹂躙される。
(あるいは、別の人質を差し出して、戻してもらうとか)
貞昌は、そこまで考えて、妻や弟や従兄弟と交換出来るような人質は、手持ちの人脈にないと自覚する。
まだ武田と共に行軍している最中なので、貞昌は泣くのを堪えた。
妻と弟と従兄弟を殺すであろう連中に、自分の泣く姿を見せてやる気には、なれなかった。
他にもそのような心情の武将はいるので、若い貞昌は放っておいてもらえた。
ただし、父親の方は、監視が厳しくなった。
なにせ奥平定能は、既に四回もコロリと主君を代えている武将である。
そのうちの一回は、一国を二分するような内乱に発展している。
こんな危険な武将を、警戒しない方が、おかしい。
武田の監視が厳しくなったので、服部半蔵経由で徳川家康からのフォローが届く。
「そろそろ徳川に陣営を替えませんか?」
という勧誘の手紙である。
武田が手紙を覗き読みしている事を承知で、奥平定能は返事を書く。
「御好意は感謝します」
程度の、素っ気ない返答を返し、武田に
「徳川には戻りませんよ。武田フォーエヴァー!!」
とアピールする。
そういうアリバイを作った上で、武田には読ませない手紙を、服部半蔵経由で交換する。
徳川家康から好条件の「再帰順してくれた場合の褒美リスト」を貰った定能は、奥平は父子揃って帰参する旨を手紙に書くと同時に、武田の最重要極秘事項を伝える。
「武田信玄は、確実に死んでいます」
(う〜ん。徳川の殿なら、賢いから気付くとは思うけど。慎重だから、俺が断定してあげないと、信玄が生きている前提で動きかねないし)
と、気を遣って、密書で断言してあげた。
信玄の生死不明状態から、未だ二ヶ月。
この情報は、黄金よりも価値を持っていた。
この時、奥平定能が徳川家康に送った情報は、狙い通り以上の効果を歴史に及ぼす。
徳川家康経由で、この最新情報は織田信長にも渡った。
信玄が、最も死を秘しておきたかった相手に、三年どころか二ヶ月で情報が渡ってしまった。
武田信玄の死が秘密にされて、最も被害を被っていたのは、織田信長だ。
武田信玄の「三年は、生死をバックれとけや」という遺言は、信長に対して効果を発揮していた。
武田信玄の生死を確認出来ずに、情報収集を最優先にした結果、対武田戦略で身動きが取れなくなっていた。
死亡説を耳に入れても、生存説への恐れを拭えずに、東へは一歩も踏み出せずに足踏みした。
アグレッシブの権化のようなこの男が、此の期に及んでも、
「信玄先輩、病気は大丈夫ですか?
新パンシロン、飲んでいますか?
ガスター10もオススメです。
僕は、信玄先輩と戦うような大それた事は、全然考えていませんから!
舎弟のクレイジー家康が身の程知らずにも噛み付いたようですけど、流石は先輩、片手間で返り討ちにするとか、マジ卍。
僕、家康と違って真人間だから、安心してください。
お身体を大切に。
京都に上京の際は、この僕が観光案内しますね。
信玄先輩を超尊敬している後輩・信長より」
という感じの手紙を出して、ゴマすりで時間稼ぎをしていた。
武田信玄に対しては、魔王じゃなくてゴマスリクソバードと化す、織田信長だった。
そこまで武田信玄にビビっている最中に、徳川家康から、
「ヘイ、ノブの兄貴。奥平定能から、武田信玄が確実に死んでいるって、確報が来ましたよ」
と、脳天を貫くビッグニュースが届く。
他のどのルートの死亡説にも納得せずにガクブルだった信長が、奥平定能からの情報で覚醒する。
信長が、武田に対して、態度を完全に変える。
「武田を滅ぼす」
武田を何処で食い止めて迎撃するかで戦略を練っていた魔王が、武田を何処で如何にして滅ぼすかに、戦略を変えた。
四万の大軍でも潰走しちゃったので、それ以上の大軍を集めようと目論んでいた予算を、別の方向に割り振る。
「鉄砲だぎゃあ」
安土城の建設予定地での下見を中断しながら、信長は他の使者や取次を待たせて、側近たちに短い命令を伝える。
「揃えよ」
命令文を端折り過ぎて、肝心の単語が抜けている。
天才的で悪魔的な構想に、語彙が追い付かないまま命令を発するので、こうなる。
この奇癖は生涯治らず、側近たちは機転を利かせて仕事を熟さざるを得ない。
でないと、このクレイジー魔王に、叱られる。
秘書の堀久太郎秀政は、幾ら用意しますかと訊ねようとして、先回りして必要数を述べてみる。
「二千で?」
「三千」
戦の名人・久太郎とまで呼ばれる有能秘書は、「おみゃあは吝だにゃあ」という目線で見下されながら、己より完成度の高い戦略を練る主君に、感動して首を垂れる。
戦国最強を謳われる武田が一日で滅ぼされる戦いの準備は、二年以上前から始められた。
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