第28話 セラ・ヴェル・アムスタード
「いたたた……コブが出来ちゃったんだよー」
のた打ち回っていた少女が、打ち付けた後頭部を摩りながら涙目で起き上がった。
(だよ?)
不思議な語尾に信士が首を傾げるが、いまはどうでも良いことなのでひとまず頭の片隅にやる。
なんだかんだ言っても、これが待ちに待った異世界人とのファーストコンタクトなのだから。
見た感じは髪の色以外は自分たちと同じ、人間型の種族に見える。以前に陽菜が話していたエルフや獣人とかではない。
話している言葉は何故か日本語に聞こえる。ここがおかしい。同じ地球内でも国や地域によって言語が違うのに、異なる世界の人間が自分たちと同じ日本語を話しているなんて……
(なるほど。<万能翻訳>のお陰か…)
たぶんこれは、以前陽菜が言ってた通り、異なる言語を自分たちの判る言語に翻訳してしまうスキルなんだろう。これがあれば英語の勉強とか通訳なんて必要無くなってしまう。そういう意味では、かなり便利なスキルかもしれない。
それはさて置き、問題はこの桃色髪の少女が何者で、何故こんな場所にいるのかと言うことだ。
こればかりは本人に直接確認する他ないだろう。
「あ……」
ややあって、少女が信士たちの方を見た。エメラルドのような不思議な光彩の瞳に信士と陽菜、彼女の頭上のクロが映る。
「あなたち、誰?」
「いや、お前が誰だよ?」
「信士君!」
少女の問いに素で聞き返してしまった信士を、横から陽菜が鋭い声で窘めた。
「ゴメンね、驚かせちゃって。私は陽菜。矢橋陽菜っていうの。こっちは高山信士君。で、私の頭の上にいるのがブラック・スライムのクロちゃん。君は?」
少女を怖がらせないよう、努めて優しい口調で陽菜が語り掛けた。
元不登校女子だった陽菜は意外とコミュニケーション能力が高かった。
「私? 私はセラ。セラ・ヴェル・アムスタードなんだよ!」
(なんだよ?)
おかしな語尾に信士は内心で首を傾げた。
「セラさんね」
そんな信士をよそに、自己紹介を聞いた陽菜は笑顔で「素敵な名前だね」と少女――セラの名前を褒めると、彼女は「えへへ~」と照れ臭そうに笑った。意外と子供っぽい性格なのかもしれない。
「ところでセラさんは、どうしてここにいるの?」
「どうして、って…………………………あれ?」
可愛らしく首を傾げたセラが、唐突に顔を強張らせて辺りを見回した。
「わたし、なんでこんな所にいるの?」
「え?」
セラの口から不穏な単語が漏れた。
「というより……わたしって、誰だっけ?」
(おい、まさか――)
不吉な予感に信士は目を見開いた。
いわゆる「ここはどこ? 私は誰?」状態。それが意味することは1つしかない。
「もしかして、名前以外のこと、覚えてない?」
陽菜も同じ想像に至ったらしい。強張った声でセラに尋ねると――
「…………………………………………うん」
上目遣いで申し訳無さそうにセラは頷いた。
記憶喪失、確定。
信士は思わず天を仰いだ。
「散々魔境を彷徨って、何度も死にかけて、怪物亀の背に揺られて辿り着いた無人都市で、異世界に来て最初に出会ったのが記憶喪失の女の子って……こんなのありかよ!」
出だしからナイトメア・ヘルモードな異世界生活に、信士は泣きたくなった。
★
念の為、ハルナが<虚偽看破>を使って再度確かめた結果、セラの記憶喪失は事実であることが裏付けられた。自分の名前以外の過去はまったくの白紙状態らしい。
ここがどこなのか、何故ここにいるのか、まったく思い出せないと。
信士としては、現地人に会えばこの世界のことが色々と判るだろう、と期待していたのだが、その期待は完全に裏切られることとなり、地面に突っ伏して泣きたい気分だった。
「えー!? じゃあ、シンジさんとハルナさんは別の世界から来たってこと!?」
記憶が無い以上、判らないことを問い詰めても仕方ないので、今度は信士と陽菜の身の上話をセラに聞かせた。
元々、こことは別の世界に住んでいたこと――
ある日突然、この世界に飛ばされたこと――
魔物と戦いながら魔境を彷徨っていたこと――
その途中でクロを仲間にしたこと――
ザラタンと言う山みたいな亀に乗ってしまったこと――
そのまま無人の都市へたどり着いたこと――
そこの一番大きな建物に入ろうとした途端、ここに転移させられたこと――
セラが水晶のような物に封印されていたこと――
「ふぇ~……なんて言うか、波乱万丈だね?」
「ああ、艱難辛苦だった……」
しかもそれは現在進行形で続いているのだ。泣きたくなる。
「シンジさん」
「信士でいいよ。さん付けで呼ばれたことないから」
「私も陽菜って呼んでくれたら嬉しいな」
「じゃあ、えっと……それで、シンジとハルナちゃんは、凄く大きな建物の前からいきなりここに飛ばされたんだよね?」
しばしの迷いの後、セラは信士のことは素直に呼び捨てに、陽菜はちゃん付で呼ぶことにしたらしかった。
「ああ。足元に魔法陣みたいなのが現れて、気付いたらここにいた」
一通り2人の話を聞いたセラは、周囲を見回した。
「ちょっと、思い出したかも……」
「思い出したって、なにをだ?」
「たぶんここは、王城地下にある『選託の間』って場所だと思うんだよ」
「『選託の間』?」
つまり、選び、託すということ。いったい誰に、なにを託すというのか?
いや、それよりも気になるワードがある。
「王城? つまりあのデカい建物はやっぱり城で、ここはその地下ってことか?」
「たぶん、そうだと思うんだよ。ハッキリとは思い出せないけど、たぶんこっちに……」
言うやセラは壁の方へ向かって歩き出した。信士と陽菜は互いに顔を見合わせた後、黙ってその後を追う。セラが向かったのは、壁に描かれた12人の神様っぽいの肖像画の内、ひと際大きな男女の肖像画の中間辺りだった。
見た感じ、特になにも無いただの壁に見える。
「たぶん、ここに……」
セラが壁に手を触れると、ピー、という電子音と共に壁の一部が左右に展開した。
「わわっ、こんな所に扉があったんだ! 気づかなかった!」
陽菜が大仰に驚いている。実際に開くまで信士も扉があることに気付かなかった。それほどまで巧妙に隠蔽され、見た目では判らないくらいに壁と一体化していたのだ。
扉を見ると、数メートル先で行き止まりになっている。人が10人ほど入れるかくらいの小さな部屋だ。
「これってもしかして……」
「エレベーター?」
たぶん間違いない。地球では見慣れた装置が異世界にも存在していた。
セラに続いて中に入ると、すぐに扉が閉まった。
『何階へ行かれますか?』
「うおっ!」
「しゃべった!?」
突然、エレベーター内に鳴り響いた男とも女ともとれる音声に、信士と陽菜が揃って狼狽えた。
「……屋上に」
セラの方は落ち着いた様子で階を指定した。
『かしこまりました』
俄かな振動と共にエレベーターが動き出した。乗り心地自体は地球のエレベーターとさほど変わりないが……
『到着しました』
わずか20秒程で到達したらしく、案内音声と共に扉が開いた。
「わー、凄ーい!」
エレベーターから出た途端、陽菜が歓声を上げて駆け出した。どうやら本当に、無人街にあった巨大構造物――王城の屋上らしい。
あれだけの巨大さを誇った建物の天辺だけあって、高さが半端じゃない。高所恐怖症の者が見れば卒倒ものの高さだ。小さい頃に家族旅行で行った東京スカイツリーより遥かに高い。
ここに来る前に通ってきた無人街が一望できるだけでなく、例のトンネルのあった山脈も見える。その向こう側にゆっくりと動く山のような影はザラタンだろう。空は相変わらず妙な雲に覆われていて青空は見えない。
不思議なのは、1000メートルを優に超えるであろう高さにいるにも拘らず、風を一切感じないことだ。恐らくなにか結界のような物が張ってあるのだろうと信士は予測した。
屋上の縁には転落防止用の透明なアクリル板みたいなものが設置されている。陽菜はそこに両手をついて子供みたいに目を輝かせて絶景を見下ろしていた。
「……ホントに誰もいないな」
改めて都市を見下ろして信士は呟いた。
眼下に見える都市からは、やはり人の住んでいる気配が全く感じられない。本当に無人なんだ、と改めて思い知らされた。
「……うん」
セラの応えは、消え入りそうなほど小さく、冷たくなるような悲しを孕んでいた。
「たぶん私は、ここに住んでたんだと思う」
誰もいなくなった都市を見ながら、彼女は囁くように言った。
「よく思い出せないけど……私が住んでた時は、こうじゃなかった。ちゃんと人が住んでた。大勢の人で、賑わっていた」
在りし日の光景が一瞬だけ、セラの脳裏を過った。
記憶はないが、本能的に理解できた。
あの頃にはもう、戻れないのだ、と。
「1人に……なっちゃった……」
はら、と彼女の頬を涙が伝った。故郷だけでなく、在りし日の思い出までも失ったセラ。
「セラちゃん……」
居たたまれなくなった陽菜がそっと彼女の頭を抱き寄せると、セラは陽菜に縋り付いて堰が切れたかのように大声で泣きだした。
なんと声をかけて良いか判らず、信士はそれを黙って見守るしかなかった。
誰もいなくなってしまった都市に、1人残された少女の泣き声だけが無常に響き渡った。
★
「ううっ、なんか凄く恥ずかしいとこ見られちゃったんだよ」
たっぷり10分以上は泣き続けていたセラだったが、ようやく落ち着きを取り戻し、陽菜からもらったハンカチで涙を拭いた後、恥ずかしそうに赤くなった顔を両手で覆った。
「別に恥ずかしがることはないさ」
信士の言葉は本心からだった。
家族を失った時のことを思い出していた。
親しい人間どころか、その思いでさえも失った真の孤独に突き落とされて、泣かない方がおかしいのだ。泣いてこその人間なのだ。
「取り合えず、今後のことを考えよう。誰も人がいないのなら、ここにもいることは出来ない」
セラの故郷でもあるのだろうが、いくら大きくとも誰もいない都市で人は生きていけない。
「そうはいっても、ねぇ……」
「まあ、な……」
憂鬱というか、半ば諦めた感じの陽菜に信士は暗い顔で応じた。
離れるにしても周囲はザラタンが徘徊している超危険地帯。突破で来たとしても、どこへ向かえば良いのかも判らない。<無限収納>に備蓄した食料は2人があと7日ほど喰いつなげるくらいの量はあるが、セラと一緒に行動することで消費が増えることを計算すると、精々3~4日分くらい。その間に人里を見つけることが出来るとは到底思えない。八方塞がりだ。
「それなら、私にちょっと考えがあるかも」
そんな陰鬱な空気を払拭するようにセラが明るい声を上げた。
「少しだけ思い出したことがあるんだけど、ひょっとしたら街から出られるかもなんだよ」
「ホント!?」
掴みかからんばかりに詰め寄ってきた陽菜に、セラは少し引き気味になりながら――
「たぶん、大丈夫……と、思うんだよ。あんまり期待しないでほしいかも?」
少し自信なさげになりながらそう答えたが、正直陽菜としては藁にも縋る思いだった。さんざん魔境を彷徨った果てにたどり着いたのが、セラ以外に誰もいない無人都市。正直、半ば諦めかけていたのでなおさらだった。
「なんでもいいさ。なにか希望があるなら、やってみてくれ」
「判ったんだよ。じゃあ、2人とも付いてきて!」
エレベーターの方へ取って返したセラの後を、陽菜が追いかける。信士も後に続こうとして――
「それにしても……」
もう一度、背後を振り返った。
彼の目に映ったのは、街の向こう側にある山脈だ。ぐるっと見回すと、まるで無人都市を包囲するかのように1000メートル級の山々が全周に渡って連なっているのだ。
「山脈と言うよりは、クレーターか?」
まるで隕石が衝突して出来たクレーターの中に街が造られている感じだ。
もしそうだとしたら、降ってきたのは相当巨大な隕石だな、とどうでも良いことを考えつつ、信士も2人の後を追った。
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