第9話 「ぬいぐるみ」である理由

 学舎内の共同風呂はかなり広く、同時に七人までが座れる洗い場、そしてそれだけの人数が同時に入れる大きな浴槽も備え付けられている。

 洗い場には、それぞれ鏡やシャワー、ボディーソープ、シャンプーやリンス、体を洗うためのスポンジまで用意されている。

 照明も存在し、十分に明るい。

 江戸時代のようなこの世界において、この空間だけ前世の現代風であることに戸惑った。


「タク殿、ここにある設備やアイテムの多くは、前世の転生者、つまり精霊が持ち込んだ知識を元に制作されました。また、『魔石』を用いた魔力、呪力を動力として、水道に水圧をかけたり、お湯を沸かしたりしているのですよ」


 彼に解説するのは、やはり精霊のリンだった。


「あ、えっと……そうか、複雑な道具は無理でも、石けんやシャンプーなんかの基本的な作り方を知っている転生者がいてもおかしくないか。前世の記憶が無いといっても、それは自分の個人情報に関してだけだし……でも、動力って……」


「魔物達が残す『魔石』は、いわば充電池みたいなものですよ。それに呪力を持つ者が、充電するように呪力を込めることができて、いろんなことに応用できる……そう考えてください」


「なるほど、そういうものなんですね」


「ええ、そういうものです……ところでタク殿、いつまで後ろ向きで話をするつもりですか?」


 リンに半強制的にこの浴室に連れてこられても、タクはずっと浴室の隅、壁の方を向いていた。


「いや、だって……茜先生も含めて四人、裸なんですよ?」


「浴室だから、当たり前じゃないですか。こういう裸の付き合いも、コミュニケーションを大事にする一つの要素なのです」


「それは分かるんですが、その、俺……前世、男だったから、申し訳ないというか……」


 その言葉を聞いて、リンは予想通りだったのか、軽く笑った。


「いまのこの『ぬいぐるみ』みたいな体は、性別は存在しないでしょう? 性欲なんかもないはずですし……ほら、声が聞こえているはずです。ハルカちゃんとユキアちゃんがじゃれ合っているのがわかるでしょう?」


 確かに、楽しそうにしている声が聞こえる。


「それに比べて、優奈ちゃんの寂しそうなこと……」


 タクはそう言われてかえって罪悪感を感じ、少しだけ後ろを向いた。

 優奈は、浴槽に浸かってじっとタクとリンの方を見ていた。

 その隣では、ナツミが優奈を慰めるように寄り添っている。


「もちろん、あの娘は分かっています。あなたが男の子からの生まれ変わりだから、照れているだけなんだって……でも、もっといっしょに居たいって思っているはずですよ」


「えっと……そうなんですか?」


「あなたとあの娘は、もう魂でつながっているのですから、分かっていると思いますけどね」


 確かに、タクには優奈の気持ちが分かった。

 もっと距離を縮めたい、一緒に居たい……。

 けれど、彼女がどうしてそう考えているのかが分からない。

 逆に、自分がもっと優奈と一緒に居たいと思っているが、それは彼女が彼の「契約巫女」であり、さらに、単純に美少女であることも影響していると分かっていた。


「……タク殿、私たち精霊は、どうしてこんな『ぬいぐるみ』みたいな体をしていると思いますか?」


 リンがそう聞いてきた。


「えっと……わかりません。不思議には思っていましたが」


「じゃあ、ちょっと質問を変えましょう。前世のペットで、『ポメラニアン』とか『トイプードル』とか『チワワ』とかの小型犬って、『ぬいぐるみ』みたいだなって思いませんか?」


「あ……それは思います」


「どうしてだと思います?」


「それは、そういうふうに品種改良されたからじゃないですか?」


「そうですね。かわいらしく、ぬいぐるみみたいに改良されていったのです。飼い主を、癒やす存在にするために」


「……なるほど。じゃあ、ひょっとして、精霊も、いわゆる『神様』に、そんなふうに改良されたって言うことですか?」


「察しが良いですね。模擬戦の時から思っていましたが、タクさん、凄く頭が良いし『切れ者』だと思います」


「そんなことは……それより、神様って、どういう存在なんでしょうか?」


「それは、私もわかりません。ひょっとしたら、ここが所謂『ゲームの世界』で、私たちが入り込んだだけなのかもしれません。そう考えれば、『神様』はいわばゲームクリエイター。『精霊』の姿をぬいぐるみのようにすることなど、簡単でしょう。しかし、巫女達はゲームのキャラクターなどではなく、本物の魂を持っています。そして彼女達は命を賭けて戦っている。そんな中で、『癒し』を求めているのもまた事実です。自分だけを認め、自分を唯一の契約巫女と認めてくれた精霊が、貴方のように、こんなにカワイイのですよ。愛おしく思わないはずがありません」 


「……癒しを与える存在、ですか……」


「そうですよ。それは、貴方も同じではありませんか? 優奈ちゃん、凄く可愛いですし……前世が男とか、女とか関係なく、彼女のこと、気に入っているんじゃないですか?」


「それは、もちろんそうですよ」


「じゃあ、なるべく一緒にいてあげれば良いんじゃないですか?」


「なるほど……俺は、あの娘のペットみたいなものになったと思えば良いんですね?」


「……うーん、ちょっと解釈が違うかもしれませんが……平時に一緒に過ごす時は、それで良いんじゃないでしょうか?」


「わかりました、凜さん、アドバイスありがとうございます!」


 タクはそう言うと、フヨフヨと中を飛んで、優奈の側に近寄っていった。

 彼女は少しのぼせたのか、浴槽から出て、洗い場の椅子に座って彼の方を見ていた。

 それまで厳しい鍛錬に耐えてきたであろうその体は引き締まり、鍛えられていた。

 それでいて、胸は形がよく、大きさもあり、腰もくびれていて、その若い肌は肌は瑞々しかった。


 確かに、リンの言うとおり精霊である今のタクに、性欲など存在しない。

 それでも、いや、だからこそ、彼女の裸体は本当に綺麗だと、タクは純粋に思った。


 優奈は、彼が近づいてくるのを見て……彼女は彼女で、タクが前世、男であることを、少しだけ意識していた。

 だから、裸を見られるのも少しだけ恥ずかしかったが、それでも、可愛らしく、モフモフしているオオカミのぬいぐるみのような彼が近づいてきてくれるのは嬉しかった。


「えっと、優奈……俺が精霊で、本当に良かったかな……」


「もちろんです! こんなにカワイイ精霊様で……って言うと、失礼かもしれませんが……」


「いや、そんなことない。それはそれで嬉しいよ。俺も、君のことが可愛いと思うし、ずっと一緒に居たいと思ってる」


「本当ですか!? だったら、私も嬉しいです。このままずっと、契約精霊様でいて欲しいと思っていますから……私、頑張ります!」 


 優奈はやっと、満面の笑みを浮かべた。

 その後、彼女はタクの体を手とスポンジを使って洗った。

 タクにとっては、まるで本当のペットのように、優しく、たくさん泡立てて丁寧に撫でてもらえた。

 彼はそれが心地よかったし、最後にブルルッと体を震わせて水滴を弾き飛ばしたときには、ちょっとだけ悲鳴を上げられて、それがおかしくて二人で笑った。


 さっきまでタクを諭していたリンも、契約巫女のナツミに、風呂から出た後、そのキツネの毛並みを丁寧にブラッシングされていた。

 気持ちよさそうにしていたし、ナツミもうっとり見惚れているようだった。


 少し大人しい巫女のハルカも、元気者の竜の精霊、ユキアのたてがみを撫でていて、そのユキアは満足そうに頬をすり寄せていた。


 タクは、確かにリンの言う通り、巫女と精霊は一緒に風呂に入ることで、コミュニケーションが取れたような気がした。

 また優奈も、最初照れていた彼が自分を受け入れ、体に触れられたり、洗っても嫌がったりしなかったことを嬉しく思った。


 タクは、この娘と契約できて、本当に良かったと思った。

 もし、契約できていなければ、彼女は「身売り」されていたかもしれない。

 若く、これほどの美少女で、スタイルもいい彼女を、欲にまみれた男達が金に物を言わせて汚していく……それは今の彼にとって、考えるだけで耐えられないことだった。


 タクは凛に聞いてみたことがある。精霊巫女として戦う場合、給与は出るのか、と。

 すると、藩のために命を賭して戦う彼女達には、十分な基礎手当と、倒した魔獣の脅威度や数に応じて報酬が与えられるのだという。


 それが本人達の財産となることはもちろん、実家で待つ父母、兄弟の生活費として役立つ。

 それもあって、精霊巫女になろうとする女子は多い。逆に言えば、藩がそれを餌として精霊巫女を募っているのだ。

 だが、現実に精霊巫女養成所に入れるのは、才能があると認められたほんの一握りの少女達だけだ。

 また、入れたからといって必ず精霊巫女になれるわけでもない。


 優奈は、本当に追い詰められていた……事情を知っていた凛も、気が気では無かったという。

 だから、話をしたそのとき、タクは凛に

「優奈ちゃんのところに来てくれて、本当にありがとう。彼女が精霊巫女であり続ける限り、借金を返し続けることができて、身売りされることもないのですよ」

 と、感謝された。


 タクは今、一緒に風呂で体を洗っているこのとき、凛のその言葉を思い出し、精霊巫女となった優奈と一緒に居続けられることを幸せに感じていた……少なくとも、まだ本当の実践、窮地を経験していないこのときは。

 優奈もまた、ギリギリのタイミングで自分を選んでくれたタクに深く感謝し、心から慕っていた。

 その夜、自分の部屋に戻った優奈は、タクをぎゅっと抱きしめ、ゆっくりと眠ったのだった。


 翌日。

 その日も、早朝から戦闘訓練の予定だったが、急な出動要請がかかった。

 魔石を採取するための魔獣の「狩り場」に、強力な個体が発生し、一般の狩人では手に負えないので対処して欲しい、という内容だった。


 巫女養成所としては、現在、実戦経験の豊富な四回生、三回生は遠征に出ており、二回生も別の案件で不在。

 残っているのは一回生三人、つまりナツミ、ハルカ、そして優奈のみだった。

 だからといって、精霊巫女が残っている以上、対処しないわけにはいかない。

 三回生、四回生の遠征に帯同している所長の代理として、教官の茜が依頼者である狩人達に話を聞いた。

 それによると、相手は大きなイノシシで、鉄砲で撃って弾が体に残っているにも関わらず、弱るどころかより凶暴になって、人を見ると襲いかかるようになったという。


「痛みと恨みで、強い魔石をその身に宿し、凶暴な魔獣になってしまったのかもしれない」


 と茜は分析し、さらに


「話を聞く限り、イノシシといえども三つ星階級に近づいていると考えた方が良い」


 と物騒なことを話した。

 三つ星と言えば、トラやクマに匹敵する強さで、実戦経験の乏しい一回生の巫女三人だと不安が残る。

 いや、鉄砲でも倒せていないのであれば、実質それ以上かもしれない。

 さらにその狩人は恐ろしい言葉を続けた。


「仲間がその大イノシシに、二人も殺されている!」


 その言葉を聞いたとき、ぬいぐるみ型の精霊体であるにも関わらず、タクの背中に冷たいものが走った。

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