第19話 ミヤコワスレ

 本多平八郎忠高が戦死した。これにより、松平勢に動揺が広がり、攻める勢いが弱まり始める。


「新八郎伯父上!平八郎殿が討たれたとは真のことに!?」


「おお、四郎五郎か。うむ、真のことじゃ。見よ、米津藤蔵も踏ん張っておるが、これ以上の城攻めはいたずらに犠牲を増やすのみ。ここらが潮時であろう」


「無念にございます……!」


「泣くな、四郎五郎。そなたは阿部大蔵が弟・阿倍定次の養嗣子であろう。阿部を継ぐ者がそうめそめそしてはならぬ」


 伯父に叱られる甥の構図。四郎五郎忠政は大久保氏の出身であったが、舅である阿部定次の嫡子・次重が戦死したことにより、妻の実家である阿部氏を継承したのである。


 それはさておき、伯父になだめられる形でまだ若い、十八歳の阿部四郎五郎も撤退を渋々受け入れた。そこへ、寄せ手の死傷者が多いことを案じ、攻撃継続を不可能と判断した太原崇孚より撤退の命令が伝えられる。


 今川・松平勢は全軍を岡崎まで撤退させたが、決して安城城攻略を諦めたわけではなかった。


「太原崇孚殿、此度の城攻めは首尾よく参らなかったようですな」


「ええ、敵ながら見事というほかありません。されば、一度当家の軍は東三河へ転じるとします。折を見て、再び攻略いたしますゆえ、松平の皆々様も軍装を解かれませぬよう」


 太原崇孚率いる今川軍は東三河、渥美半島へと進軍。未だに粘り強く抵抗していた田原城の戸田尭光を力攻めで屈服させ、東三河の平定を成し遂げんとしたのだ。


 そして、本多平八郎忠高を失った本多家は悲しみに暮れていた。昨年、長男である鍋之助が生まれたばかりであり、この子のこれからを想うと胸が締め付けられる思いをしているのが忠高の妻である植村氏義の娘・小夜。


 二歳の子供を抱えたまま未亡人となってしまった小夜の保護を買って出たのは、本多平八郎忠高の弟・肥後守忠真ただざねであった。本多肥後守は兄嫁の小夜と甥の鍋之助を欠城に保護することを決めたのである。


 さらに、本多肥後守は兄の忘れ形見である鍋之助に読み書きから武士としての心得などの教育を施し、本多の後を継ぐものとして恥じない教養を身につけさせた。これが、後の徳川四天王・本多平八郎忠勝なのである。


 また、安城城攻めに失敗し、今川軍が渥美半島に転じたことで、五月に入って離反者が出た。そう、これまでに幾度も松平広忠に叛いた酒井将監忠尚である。


 広忠が死去し、後継者である竹千代が織田に奪われたままという状況の松平宗家を完全に見限ったのだ。ましてや、松平を支援する今川による渥美半島の制圧も時を要すると見越しての離反であった。


 しかし、酒井将監の見立て通りに事は運ぶことはなく。


 二ヵ月後の七月には今川家は渥美郡で家臣の所領給与、検地のうえで太平寺への寺領を確認した目録を与えていた。つまり、酒井将監離反の二ヵ月後には、今川軍は渥美郡の平定を成し遂げていたのだ。


 東三河を併呑し、すぐさま矛先を西三河に向けるかに思われた今川軍。その今川軍が到着しないことに苛立つ者たちがいた。


「ええい、兄上!止めないでくだされ!拙者はもう待てぬ!」


「これ、待たぬか伝太郎!いずこへ行くつもりじゃ」


「殿の百箇日法要も済んだというに、竹千代君も安城城も奪還できておらぬでは、亡き殿に合わせる顔がないわ!」


 顔を真っ赤にしながら怒鳴り返す三河国碧海郡木戸の領主・石川伝太郎一政かずまさ。そのまま部屋を飛び出していく弟の腕を、石川右馬允うまのじょう康正やすまさは掴み損ねてしまった。


 この数日後、兄・康正の元へ訃報が届けられる。天文十八年七月十八日、石川伝太郎一政が戦死。


 織田勢と野寺本證寺と桜井城の間にある小川の地にて合戦に及び、ついに討ち死にしてしまったというのである。突然の次男の死に石川安芸もしおれてしまっていた。


「父上、お気を確かに。分からず屋の伝太郎のことを気にかけている場合ではございませぬ」


 息子を失い、意気消沈の父親。どのような言葉をかけるのか、散々迷った末に出た言葉がそれであった。その言葉の刃は子を失った父親の感情をえぐるのには鋭利すぎた――


「うぬっ、右馬允!お主に我が子を失った父親の気持ちが分からぬというか!」


「はい。皆目見当もつきませぬ」


「おのれ……!ぬけぬけと、ようもそのような口がきけたものじゃ!」


「されど、最愛の弟を亡くした人の心は理解できまする。ただ、悲しみに暮れることは竹千代君を取り戻してからでもよかろう。左様に申しておるまで」


 今にも決壊しそうな水流を辛うじて押し留めている石川右馬允の目に、石川安芸は二の句が継げなかった。父子の不毛な言い争いはそれ以上繰り広げられることはなく、平時の政務に戻っていった――


 そうしてさらに時は流れ、季節は広忠が死去しており二度変わり、実りの秋。


 長月に入り、太原崇孚率いる今川軍は再度出陣。此度、今川軍が布陣したのは荒川甲斐守義広の拠点であった幡豆郡荒川山。


 この荒川甲斐守は東条吉良氏の出身で、家督は兄・吉良持広が継承したため、別家として荒川家を興した人物である。


「荒川甲斐殿、ここから安城城がよく見えまするなぁ」


「この山より、かの城は地続き。今頃、この山に今川赤鳥の旗が翻り、織田の奴らも慌てふためいておりましょう。なにせ、先の城攻めの失敗から半年、西三河から離れていたのですからな」


「そうであったならば、拙僧の狙い通り。半年も攻めずに待った甲斐があるというもの」


 豪快に口角を挙げて笑う老僧の迫力は、傍らの荒川甲斐も思わず言葉を失う迫力があった。


「そうじゃ、兄の養子である吉良三郎義安はいかが相成りましたか」


「おお、そういえば荒川甲斐殿も吉良氏の出にございましたな。ふむ、あの御方は当家に楯突いただけでなく、当家と数代の敵であった尾張守護斯波氏と縁嫁を結んでおりましたからなぁ。我が主も激怒しておりました」


「で、では、死を賜ることになったのでしょうや」


「いいえ、 後藤平太夫はじめ、織田派の家臣らを粛正することでお許しになられました。我が主とて、吉良家の方々を殺めるつもりは毛頭ないようです」


 さすがの荒川甲斐も息が詰まる思いであったが、仮にも義理の甥にあたる者が助かったのだ。安堵の息を漏らさない方が難しかった。


 ただし、当の吉良義安は身柄を駿府へ移され、今川軍に協力した義安の弟・義昭が今川義元からの命を受けて西条吉良氏の家督のみならず、東条吉良氏当主の地位も継承。


 すなわち、吉良家は東西を併せたうえで今川義元に臣従することとなったのである。


 今川軍は松平勢と合わせて総勢一万五千という先の城攻めの五割増しの数で碧海郡桜井まで進撃。南方より安城城へ迫った。


「崇孚和尚、織田は平手中務を大将とする援軍を派遣するつもりであると、斥候よりの報告にございます」


蒲原かんばら氏徳うじのり殿、委細承知いたした。対応は追って沙汰するゆえ、しばしお待ちくだされ」


「はっ、然らば某は持ち場へ戻りまする」


 手際よく報告を済ませ、持ち場へ戻っていく蒲原氏徳。彼が本陣を発った後、太原崇孚は一人、城攻めのことで頭を悩ませていた。


「先の城攻めにおいて、三の丸と二の丸は一度陥落させておる。ゆえ、同じ攻め方であっても、同様の結果は得られよう。されど、またしても屍の山積させることとなる――」


 そう独り言ちながら、瞑想しているかのように瞼を閉じ、今に意識を集中させる太原崇孚。澄み切った気持ちで、今に向き合おうというのである。


 陣中のざわめき、草木が風に揺れる音――


 目を閉じることで改めて鼓膜にまで届く音。それらに耳を傾けているうちに、太原崇孚は城攻めの方針を固めた。


 太原崇孚の指示が行き届いた今川・松平勢は城の四方から鉦太鼓を鳴らし、矢や鉄砲を四方から放つ。甲高い鐘の音に、矢唸りや火薬が炸裂する音が混じり合う轟音の嵐。


 さらには、天地に響かんばかりの鬨の声が合わさったのだから、城兵の戦意を挫くには充分であった。攻め手である今川・松平勢は楯や竹束を並べて果敢に攻め込んでいく。


「ええい、怯むな!敵の数がいかがしたというのだ!じきに援軍も来る!何が何でも城を守り抜くのだ!」


 城主・織田三郎五郎の𠮟咤激励も空しく、今川・松平勢の猛攻により一日ともたず、外堀を突破され、二の丸、三の丸が次々に制圧されていく。瞬く間に残るは本丸のみという絶望的な状況へ追い込まれたのであった――


「三郎五郎様、敵方より降伏勧告の使者が参りました!斬り捨ててしまいましょうや!」


「いや、待て!使者をこれへ連れて参れ。本丸のみでは幾日と持たぬ。かくなるうえは犬死は避け、一兵でも多く本国へ帰還させることといたす」


 織田三郎五郎はこうなれば、己の命と引き換えにしようとも、貴重な尾張の兵たちを生かす可能性に懸けたのである。対する今川方も無駄な血を流さずに済んだことを喜び、十一月九日、安城城は陥落と相成った。


 城主・織田三郎五郎は松平家臣の本多豊後守広孝と米津藤蔵常春によって捕縛され、今川本陣へと連行。彼の身柄は二の丸へ移され、竹や枝のついた木で頑丈に高くくみ上げた鹿垣に押し込められたのであった。


 さて、城攻めの当初、織田三郎五郎が当てにしていた織田の援軍はといえば。織田信長率いる部隊が鳴海砦まで前進していたが、黒煙が上がるのをみて落城を知り、兵を退いていた。


「爺、兄者は捕らえられたそうだな」


「はい。わずか一日で本丸を残すのみとなり、やむなく降伏を受諾なさったご様子」


「で、あるか。して、今川より何ぞ便りでもあったのではないか」


「若、御慧眼にございます。某と林佐渡守さどのかみ秀貞ひでさだ殿のもとへ今川軍の太原崇孚より書状が届きましてございます」


 平手中務は自身と林佐渡に宛てて書かれた書状を信長の前にて一読。書状には大まかに安祥城はすでに落城したこと、三郎五郎信広は切腹しようとするところを先程捕らえたこと、織田が捕らえている竹千代と人質替えをしたいことなどが記されていた。


「ほう、兄者と竹千代の身柄を交換すると申して参ったか」


「左様で。して、いかがなされまするか」


「応じるとしようぞ。父上が臥せっておるというのに、今川と事を構えるなどあり得ぬ。なにより、当家は西三河において影響力を失ったに等しい。もはや竹千代を抱えておく値打ちはないわ」


 冷静を迅速かつ正確に分析。さらには決断するまでの速度は異常とも取れるほど。しかし、遺憾なく織田信秀の才覚を受け継いでいるとも取れる。


 そんな若き信長が指揮権を一任されている現状、信長が交渉に応じると言えば応じることを意味する。かくして、竹千代は織田三郎五郎信広との人質交換によって尾張を離れることとなった。


 さて、 織田信長からの返答に驚いたのは織田重臣たち……ではなく、平手中務と林佐渡に書状を送った太原崇孚の方であった。


「ほほう、織田方は人質交換に応じると……?」


「はい。さすがの信秀も我が子可愛さに要求に応じたのだろうともっぱらの噂にございます」


「噂などはどうでもよい。して、気にかかるは人質交換の場所じゃ。織田から何ぞ申して参りましたかな」


「ハハッ、三河国西野の笠寺がよかろう、とかように申し入れて参りました」


 西野の笠寺。曹洞宗の寺院であるが、問題は位置であった。矢矧川の東岸ではあるが、三河国内。織田にとっても松平にとっても中間地点といって差し支えない場所に位置している。


 どちらかに近ければ相手方が納得せず、交渉が長引くと見てとり、まさしく間を取ってきたものである。これには太原崇孚も舌を巻かずにはいられなかった。


 なにせ、織田から何も言ってこなければ、こちらから指定しようとしていた寺院であったのだから。まるで、心の内を覗かれているような、そんな薄気味悪さを太原崇孚は感じていた。


「また、織田から竹千代を笠寺まで送り届ける役を担うは織田玄蕃と織田勘解由左衛門とのこと」


「ほう、織田一門が送り届けて参るとは。然らば、松平からは誉れ高き大久保新八郎忠俊、大久保左衛門次郎さえもんじろう忠次の兄弟に織田三郎五郎殿を送り届けさせるとしましょうか」


 松平家臣の中でも武闘派として名高い大久保家が織田の人質を送り届ける役割を担うことが決定。安城城が陥落した翌日十日、西野の笠寺において竹千代と織田三郎五郎信広の人質交換が行われた。


 織田木瓜と今川赤鳥の幔幕が張り巡らされる中、乱世の緩衝地帯とも呼べる寺院にて行われたこともあり、一滴の血を見ることもなく、無事に人質交換は済んだ。


 ――かくして、竹千代の織田家での二年間の人質生活は幕を閉じたのであった。

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