第17話 泡沫人

 小豆坂の戦いから一月が経過した、ある雨の日の朝。降りしきる雨の中、山崎城の櫓から岡崎城を見やる一人の男の姿があった。


「まもなく雨もやむ頃であろう。皆に伝えよ、まもなく出陣するとな」


「ははっ!いよいよにござりまするな!」


「うむ、この長きに渡る戦いも今日で終焉させるのだ。他ならぬ我らの手で、な」


 先月、小豆坂において織田信秀が今川軍に敗れたことにより、劣勢に陥った松平信孝。彼は織田信秀から承諾を得たうえで戦支度を進めていた。


 松平蔵人は家臣たちに命じ、劣勢を挽回するべく五百もの兵を集めることに成功。じっと、作戦を実行に移す機会を待っていたのである。


「よいか、我らが狙うは、敵襲を想定しておらず手薄な東門じゃ!まずはここ、明大寺村を目指して進軍するとしよう。良いな、皆の衆!」


「おおっ!」


 松平蔵人麾下の精兵たちは刀や槍を掲げ、信孝からの声に勇ましく返答した。そんな彼らの勇ましい声に勇気づけられ、松平蔵人の表情も一回りも二回りも若返ったようである。


 雨に乗じて移動していく松平蔵人ら五百の兵であったが、岡崎城の周辺を巡回する斥候によって発見されてしまう。敵が接近しつつあるとの知らせはすぐにも岡崎城へ報じられ、松平広忠の耳にも入った。


「なにっ、叔父上が五百の兵を率いて明大寺村付近に来ている……じゃとっ!?」


「殿、にっくき松平蔵人ではありますが、油断はなりませぬ。そう易々と破れる相手ではござりませんぞ」


「そうじゃな。石川安芸の申す通り、そう易々と撃破できる相手ではない。叔父上の手ごわさは、この広忠が一番よく知っておる」


 その一報がもたらされた際に居合わせた石川安芸からの進言に、松平広忠は首肯する。しかし、対応策を決めかねている広忠へ、大久保新八郎忠俊が伏兵を配置することを進言。広忠の答えは明白であった。


「よかろう、ここは熟練の猛者である石川安芸と大久保新八郎に指揮を委ねるとしよう。叔父上を破る手立てを考えてくれい」


「ハッ!お任せくだされ!」


 当主・広忠に代わり策を練る石川安芸と大久保新八郎であったが、策を練るのにそう長い時は要しなかった。ただちに、伏兵部隊を動かし、射手七十名を動かし始める。


「上田兵庫元俊、そちも伏兵部隊に加わるがよい」


「委細承知!大久保様よりの期待に必ずや応えてみせまするぞ!」


「おう、その意気じゃ!しかし、無理はならぬ。焦るあまり、深手を負うような真似はするなよ」


 こうして、上田兵庫を加えた伏兵部隊が松平蔵人の進軍を阻止すべく、行動を開始した。


 よもや岡崎城にいる広忠らに進軍を気づかれているとは露知らず、卯の花曇りの空の下を行軍し続ける松平蔵人以下五百の将兵たち。彼らが菅原河原、別名・耳取縄手に差し掛かった時、ついに異変が起こった。


 何十もの矢が雨上がりの湿気を帯びた空気を貫き、松平蔵人麾下の兵たちを射抜いていく。


「なにっ、さては伏兵か!ええい、飛来する矢は木楯きだてで防ぎ、一刻も早く、この縄手を抜けるのだ!」


 松平蔵人は飛来する矢を抜刀した太刀で切り払いながら前進を再開する。その姿に倣い、他の兵たちも矢をかわす、楯で防ぐ、武器で払おうとするなど、各々が持つ手段で懸命に抗っていく。しかし、伏兵に遭った場所が悪かった。


「うぬ、このぬかるみでは、馬で進むことは叶わぬ……!かくなるうえは徒歩で――」


 沼地では馬上の松平蔵人は思うように進むことができず、ほぼ止まった的のような状態。そこで、馬を捨てて徒歩で移動せんと試みたことが運の尽きであった。


 下馬することを決断した刹那、伏せ勢から放たれた矢が松平蔵人の左脇に命中。馬から転げ落ちてしまう。


「うぐぐっ、こ、このようなところで死んでたまるものか……!」


 口では死んでたまるかと言っている。しかし、ここまで深い矢傷が回復するのか否か、自分でも信じ切れていない。いや、そもそも手負いの状態で、この戦場から生きて帰られるかすら怪しいと感じていた。


 そこへ、齢二十歳の青年が息を切らして駆け寄ってくる。そう、上田兵庫元俊であった。


「拙者、松平広忠殿が家臣、上田元俊と申す!松平蔵人殿とお見受けいたした!」


「おう、いかにも。某が松平蔵人じゃ……っ!兄・清康の頃のような強い松平を取り戻さんとする者ぞ」


「ふっ、そのような妄言など信じぬ!殿の叔父でありながら宗家を裏切った不忠者め!この上田兵庫が成敗いたす!覚悟っ!」


 上田兵庫が大上段に振りかぶった太刀を振り下ろすのに合わせ、松平蔵人もとっさに刀を寝かせる形で受け止めた。


 問答無用で斬りかかってきた上田兵庫にとって、目の前にいる松平蔵人という男は主君を裏切り、松平の分裂を深化させた男なのだ。もはや、取り付く島もなかった。


 こうして始まった松平蔵人と上田兵庫の一騎打ち。だが、勝敗など火を見るよりも明らかであった。当然、無傷で広忠よりもさらに若い武芸者である上田兵庫有利に斬り合いは進んでいく。


「たぁっ!」


「ぐっ、小癪な……!」


 ついに上田兵庫が松平蔵人に一太刀浴びせた。真っ直ぐに斬りこんでくるだけと見せかけて、搦め手を用いてきたのだ。若いとはいえ、大したものだと松平蔵人は内心驚いていた。しかし、このままタダでやられるなど、松平蔵人の矜持が許さない。


「ハァッ!」


 裂ぱくの気合でもって振るわれた白刃は上田兵庫の鍛え上げられた右大腿部にはっしと斬りこんだ。しかし、次の瞬間には松平蔵人の首が宙を舞っていた。


「裏切り者、松平蔵人!上田兵庫元俊が討ち取ったり!」


 松平蔵人信孝は耳取縄手の地に散った。あと少しで岡崎城への奇襲攻撃が成功しただけに、当人としても悔いの残る最期であったことだろう。されど、松平蔵人信孝が最後に放った一太刀により、上田兵庫は生涯歩行が困難になる傷を負ってしまった。


 そんな上田兵庫元俊だが、難敵・松平蔵人信孝を討ち取った功績により、三河国大浜に知行地を与えられ、金の三本傘の指物を許されている。


「殿、上田兵庫が松平蔵人めを討ち取ったとのことにござりまする」


「上田兵庫の言を信じるならば、この裏切り者めは先代清康公の頃のような強い松平の復活を目指していたのだそうな」


「ははは、死ぬのが怖くなって口から出た世迷い言であろうが」


 岡崎城の大広間に運ばれてきた松平蔵人の首を見た重臣一同は嬉々とした様子。それを見た当の広忠は喜ぶことはなく、彼の頬につーっと一筋の水滴が零れ落ちていく。


「こうして敵となってしまったが、わしも叔父上も目指すところは同じであったのだ。ただ、手段が異なっただけゆえ、恨みとは思っておらぬ」


「殿……」


「みな、丁重に叔父上の亡骸を埋葬せよ。仮にも、わしの叔父、先代清康の弟であること、ゆめゆめ忘れてはならぬ」


 かくして広忠は五年の長きにわたって苦しめられた松平蔵人信孝との戦いを制し、眼前に迫りつつあった織田方の脅威を遠ざけることに成功。これより広忠は勢力を盛り返し始め、長らく続いた争いによって分裂した松平一族の再結集を試みていく。


「そうじゃ、山中城におる太原崇孚殿にも書状を送り、織田方の勢力を西三河より放逐するといたそう。安芸、異論はあるまいな」


「ははっ、良き策かと存じまする」


「よし、ただちに行動を開始せよ。また、そなたらも調略できる者から調略を開始するのだ。なるべく、合戦は避けたい。同じ三河の者たちじゃ、傷つけるは忍びないゆえな」


 松平広忠からの要請に応じ、太原崇孚は今川軍の主力を山中城から岡崎城へと西進。織田方の勢力に圧力をかける構えを取ったのだ。


 そして、太原崇孚の調略によって、上野城の酒井将監しょうげん忠尚ただひさを広忠方へと鞍替えさせることに成功したのであった。


 こうした今川方の巻き返しを受けて、上和田に駐屯していた織田軍も形勢不利を悟って尾張国守山城へ退き始める。まさに、西三河情勢は織田優勢から今川優勢へと大きく転換。


 今川からの支援を受けている松平広忠にとっては、この上ない追い風となっていた。その後も織田家との小競り合いは続いていたものの、大勢に影響するほどの規模の合戦は行われず。


 ただ、竹千代が人質生活を送る熱田がある尾張の情勢には変化があった。それは尾張と三河ではなく、尾張と美濃、すなわち織田氏と斎藤氏の間で和睦が締結されたのである。


 この両氏との和睦には尾張国内の情勢悪化に起因する。第二次小豆坂の戦いで今川氏と激突した織田信秀であったが、美濃の斎藤氏とも敵対している状況。


 そこへ、織田信秀の敗戦をあざ笑うかのように信秀の主家である織田大和守家を継いだ織田信友も敵対を表明し、古渡城へと攻め寄せた。


 この時、織田信秀は美濃の斎藤利政に攻撃を受けた大垣城の救援に向かっている最中。まるで示し合わせていたかのような動きに、織田信秀は急ぎ尾張へ帰還し、織田信友と対峙する羽目になった。


 こうした事態を受け、織田信秀としては西三河や美濃へ勢力を拡大するどころの騒ぎではなくなっていたのである。


 ともあれ、織田信秀は北の脅威を取り去るべく、斎藤家との和睦を模索。無事に締結と相成った。その際の条件が信秀の嫡子・信長と利政の娘・帰蝶こと濃姫の婚姻であったのだ。


 濃姫輿入れの際、彼女の父親である斎藤利政は「織田信長が噂通りの大うつけであったなら、その短刀で刺し殺すのだ。その時には軍勢を率いて儂が尾張へ乗り込もう」と発言。


 それを聞いた濃姫は「はい。もし大うつけでなければ、この短刀は父上を刺すことになるかもしれません」と答えた。そんな有名な逸話が残される、織田信長と濃姫の婚姻はこうした情勢下において行われたのであった。


 そして、この織田信秀と斎藤利政の和睦は何も織田信秀のみに利するものではなかった。これまで織田から後援を受けて斎藤利政に反逆していた勢力を駆逐することが可能となったのである。


 つまり、国内に巣くう敵対勢力の排除に専念したい双方にとって、和睦という提案は渡りに船だった。


 こうして周辺の情勢が目まぐるしく変化していく中、年が明けて天文十八年。弥生の陽だまりの中で、岡崎城の松平広忠は臥せっていた。


「殿、お加減いかがにござりまするか」


「おお、大蔵ではないか。壮健であったか」


「はっ、某はこのように元気にござりまする。しかし、某より幾十も若い殿が臥せっておられると聞いた時には、元気を失くしそうになりましたぞ」


「左様か。心配させたようで、相済まぬ。わしは、こんなところで臥せっておる暇などない。これまで散っていった者たちの分まで松平を強くせねばならぬ。でなくては、今も織田の人質となっておる竹千代にも合わせる顔がないのだ」


 青白い顔色をした主君が、無理に元気そうに振る舞っている。この姿は阿部大蔵にとって、実に辛いものであった。当主として竹千代を人質にされてなお、織田に従わなかった広忠。


 竹千代に合わせる顔がないとは、なんという悲しみを帯びた言葉であるのか。これまで散っていった者たちという言葉も、阿部大蔵の心の中で反芻される。


「殿、今しばらくお休みくださいませ。酒井将監殿を味方にすることができましたゆえ、残る松平の者らも少しずつ当家に帰参するのも時間の問題でしょう。殿が休んでいる間、我ら重臣が東奔西走いたしますゆえ、今は養生に専念してくださいませ」


「大蔵。労わってくれる気持ちは有り難い。されど、誰がなんと言おうと、わしはこのようなところで寝ているわけにはいかぬ。今しかないのだ。今こそ、松平を再び一つまとめあげる好機なのだ……!」


 寝ている体勢から体を起こすのみならず、掛け布団を蹴って立ち上がろうとする広忠。しかし、うまく力が入らず、よろけて転倒してしまう。


「殿!ご無理なさらず!殿のお体は松平の宝!もっとご自分を大切になさってくださいませ」


「ええい、何故じゃ!やっと、やっとここまで来れたのだ。これから松平を束ね、父が存命であった頃の強き松平へ戻れようかというのに――」


 妻と離縁することになり、子どもを敵に奪われ、それでなお松平を束ねることを悲願としてきた松平広忠。


 そんな彼は竹千代との再会を果たすこともなく、三月九日に心労から病を得て亡くなった。享年24。幼き頃より大勢力や内輪もめに振り回された人生であった。


 そして、松平広忠の死は松平宗家を当主不在という未曾有の危機に陥れてしまったことを意味する。


 はたして、松平宗家は、竹千代の命運やいかに――

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