第4話 シェリル(1)
巨大な白い蛇が鎌首を持ち上げると、周囲の木々よりの半分ほどの高さである事が分かる。それ程の大蛇が、威嚇する相手はすらりとした女性だ。細身の剣を構え、不敵に笑う。
一瞬で、頭を縦に裂かれた大蛇は地面に音を立てて崩れ落ちた。悲鳴を上げながら巻き込まれる木々の嘆きを無視するように、その女性は血に濡れた剣を振る事で、自身の勝利を誇示した。
「思ったより大した事はなかったな……我が国の騎士達が手を拱いていると聞いていたが」
「はいはい、オネエサマが一番ですよ」
「なんだ?随分と嫌味っぽいな、ルーベンス」
深い碧に囲まれた森の中。暗く澱んだ湖のほとりには、二つに裂けた大蛇の死体と、黒い髪色の姉弟がいる。
深い闇のような濡羽の色の髪。そして血のような赤い瞳。
大蛇を真っ二つにしたのは、シェリル・ヴルカン。ヴルカン公爵本家長女。女性にしては高い身長。そして剣と同じほっそりとした身体にはヴルカン公爵家直系の者の証である、真紅の軍服を纏っている。切れ長の瞳は美しくはあるが、人を射殺すほどの鋭さを放っている。化粧をしていないはずの彼女の唇は、まるで血を吸って生きているかのように赤い。
細身の長い剣を空気の抵抗を感じさせない程の速さで振った彼女は、腰に吊るした鞘に剣を納めた。カチリとなった音が静寂な森に響く。
その音が合図のようにシェリルの弟のルーベンスは立ち上がり、倒れた大蛇に近付いていく。さっきまで湖から少し離れたところにあった岩に座っていた彼は、慣れた様子で厚いナイフを取り出し、おもむろに大蛇の皮を剥ぎ出した。
「まめだな……」
「高く売れるからね。こんな役得がなければ、シェリル姉と一緒になんか来ないよ。こき使われるだけだもんな」
生意気ななやつだ……フッと笑いシェリルは弟と距離を取り、湖にその姿を映した。
幸いな事に汚れていない。血は全て自身に張った身体を守る膜……シールドによって弾かれたようだ。無造作に後ろにまとめた長い黒髪も確認するが問題ないようだ。パッと手を離すと、ストレートの黒髪がサラサラと風に靡いた。男勝りと言われる自分の……唯一の女性としての証……。
「そう言えばシェリル姉、知ってる?」
大蛇の皮をもう半分も剥いだルーベンスが突然投げかけた質問に、シェリルは振り返り、その顔を見た。
こちらを見ていない……こういう時は何かある時だ。こいつ……嫌がりながらついて来た割には何か企みがあるな?
思考を素早く巡らせ、シェリルはルーベンスの言葉の意味を探る。
シェリルは20歳、ルーベンスは13歳。7歳も離れた姉弟だ。だがこの弟を年齢通りに見てはいけないことをシェリルは十分に分かっている。
シェリルと同じ黒い髪。だが短く切られた髪はあちらこちらが跳ねている。父と同じでまとまりにくい髪の下には、年齢相応のあどけない、だけど油断できない鋭い瞳。減らず口ばかり叩く口は、その性根を現すように、少し厚く尖っている。
13歳にしては背は高いが、まだシェリルよりは小さい。だからシェリルはよくルーベンスの頭をぐりぐりとして揶揄うのが日課だ。この姉弟は仲が良い。
戦闘能力はシェリルが小さい頃から鍛えただけあって強い。だが残念ながらその魔力はヴルカン公爵家直系の者としては低い。
このふたりには兄がいるが、兄にも劣る。
だが、それを補って余りある知力が彼にはある。
適材適所だ……シェリルはいつもそう思い、この愛する弟を自分なりに大事にしている。
そんな弟が投げかけた内容を言わない質問だ。となると自身に関わる事だと言う事くらいは容易に分かる。つまり……。
「アーマンディ・ウンディーネ様がとうとう聖女に立たれるのか?」
「そう……本来15で聖女として立つはずだったんだけど、アーマンディ様に問題ありでずっと延期されていただろう?それがようやく実現することになったってわけ」
「それはそれは……やっと公国王の勝利というわけか」
「公国王と――大神官様の……ね」
「ああ、あのジジイが絡んでやっとアジタートに対抗できたわけか。この国も終わってるな」
シェリルが皮肉を言うには訳がある。
スピカ公国のトップは聖女だ。そして現在聖女であるアジタートは15歳から57年間その座に君臨している。まるで独裁政権の女帝のようだ。スピカ公国の誰もがそう思っている。
自己顕示欲の強いアジタートは気に入らない者には制裁を加え、自分に媚を売るものだけを尊重する。
現在の公国王であるグノーム公爵家出身のフェランも権力欲が強く、真っ向からアジタートの意に反するため、スピカ公国はふたつの派閥に分かれ足の引っ張り合いをする始末だ。その結果、国政は荒れ、国民は苦難の道を歩んでいる。
4大公爵家の内、ふたつの争いに静観しているのはヴルカン公爵家だけだ。
ウンディーネ公爵家は、娘のアーマンディがアジタートの元で聖女として修行をしているし、そもそもアーマンディの母は、アジタートと叔母と姪の関係だ。表明こそしていないが、実質アジタート派であることは間違いない。
「それで私にアーマンディ様の聖女就任の儀に出席するようアジタートから要請が来たと言うかわけか……」
シェリルがそう言うには、この国の慣習がある。ヴルカン公爵家に連なるものに女子が産まれた場合、聖女の騎士として仕える事が慣例となっている。ヴルカン公爵家に女児が産まれることは稀だ。そしてヴルカン公爵家の女児が騎士として聖女に仕えた御世は例外なく繁栄する。
シェリルはヴルカン公爵家直系の子女。誰もがを聖女の騎士として立つ事を期待している。
「逆だよ。アジタート様は来るな、だとさ」
「はぁ?私では気に入らないと言う事か‼︎」
ことさら『様』を強調する弟に苛立ちながら、シェリルは剣の柄に手を置いた。そして自分を落ち着かせる為にため息をつく。
姉の様子を見ていたルーベンスは、大蛇の皮を剥ぐ手を止め、改めて姉に向き合う。
「アーマンディ様は聖女としては半人前だから、名誉あるヴルカン家の御息女を騎士とさせるには申し訳ないと仰ってるらしいぜ」
「ああ、確かに噂では聞いたな。魔力も弱く、聖属性も普通の聖女の半分以下。更に精神薄弱で、人前に出ることもできない。だが半人前だからこそ、補うために私を起用するんじゃないのか?」
「普通はそうさ。ヴルカン公爵家の人間は魔力が強い。兄弟の中で一番弱い俺だって、他の公爵家から見れば強い方だ。違う?」
「そうだな。幼い頃に顔合わせで他公爵の子供と会ったが、皆お前よりは弱かった。それほどにヴルカン公爵家の人間は魔力が強い。だからこその聖女も騎士だ。まぁ、アジタートにとって私は都合が悪いんだろうがな?」
「さすがですよ、オネエサマ」
ニヤリと笑い、ルーベンスは再び慣れた手付きで大蛇の皮をで剥ぎ出した。その姿を見ながら、シェリルは近くの木にもたれかかり、改めて思考を巡らす。
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