第28話

「あぁ、なんと美しい人なんだ。絹のように美しく真っ白な髪に、サファイアのような知性あふれる瞳。どうか俺の妃になってはくれないだろうか」

「………………」


 『お断りいたしますわ』と言えたならどんなによかっただろうか、マリンソフィアは嫌悪感に吐きそうになるのを必死に耐えながら、なんと都合の良い男なんだと心底感心していた。


(わたくし、『老婆のような白髪に、ちょっと賢いからって生意気な青い瞳が気に入らん!!よって婚約を破棄する!!せいぜい泣き喚くんだな!!』って婚約破棄されたのだけれど、同じ髪と瞳の色なのに、何故こんなにも評価が違うのかしら?)

「ソフィー」

「………………」


 もう一生声も聞きたくなかった男に愛称で呼ばれ、嫌悪感が限界にまで迫り上がる。


(そうやって読んでいいのはだけなのに)


 何故かアルフレッドの顔が頭に思い浮かぶ。マリンソフィアは泣きたい心地になるのを必死に我慢して、表情を無にして王太子を無視することにする。


「………今日はどのようなご用件で?聞くところによると、急用があるとのことですが………」

「あぁ!パレードで着る服を是非とも貴殿に仕立てて欲しかったのだ!!そうそう、君とお揃いになるように仕立ててくれるとありがたい!!」

「………………布を取って参りますわ、クラリッサ」

「仰せのままに」


 付き従ってくれるクラリッサに安堵しながらも、マリンソフィアは自室へと駆け上がるまで嘔吐したいのを必死になって耐えた。そして、8階の自分専用のお手洗いに駆け込み、クラリッサに背中を撫でられながら戻した。美味しかったはずの昼食が逆流するのを他人事のように見て、マリンソフィアはぽろぽろと涙をこぼす。


「………きもちわるい。きもちわるいの、クラリッサ。“ソフィー”って読んでいいのはアルだけなのにっ、」


 タオルで口元を覆ったマリンソフィアは、ぎゅっと床に丸まった。


「ーーー私、アレを締めてきても構いませんか?」

「………………だめ、今のわたくしでは庇いきれないわ」

「ーーー申し訳ございません。完全犯罪を今必死に考えているのですが、警護が邪魔でどうやってもうまくいきそうにありません」


 悔しげにつぶやくクラリッサに、マリンソフィアは嬉しそうに弱々しく笑った。


「ふふふっ、………気づかってくれてありがとう、クラリッサ」


 マリンソフィアはそのあと、気上にも真っ直ぐと凜とした仕草で立ち上がった。


「お顔を洗ってもいいかしら?」

「構いませんよ。お化粧は私が責任を持って直します」

「ありがとう、クラリッサ」


 マリンソフィアはそれからゆっくりと顔を洗って呼吸を落ち着けた。クラリッサに化粧を直してもらうと、穏やかに微笑む。


「クラリッサ、わたくしは少し後で行くから、王太子殿下をしておいて。もし従業員にちょっかいをかけていたら、さりげなく転がして欲しいの」

「承知いたしました」


 憔悴してしまっている主君にかわり、クラリッサは王太子のいる客室へとマリンソフィアからのお墨付きをもらっている作法で向かうのだった。


▫︎◇▫︎


「王太子殿下、失礼ながら、ソフィアさまについてご助言をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 先にお部屋に戻ったクラリッサは、部屋に入ってすぐになんの躊躇いもなく王太子に直談判することにした。主君マリンソフィアの敵は自分の敵。主君が最も大切なクラリッサに、一切の躊躇いは存在しない。


「構わぬ」

「では始めに、ソフィアさまは愛称で呼ばれることを好んでおりません。ソフィアさまのことを捨てたソフィアさまの母親が、彼女のことをずっと本名で呼ばず、”ソフィー”と呼んでいたからです」

「………では、さっきの沈黙は母君のことを思い出したからだろうか」

「はい、最低最悪な形でソフィアさまをお捨てになった母君のことを思い出したからです」


 クラリッサは自信満々に頷いた。嘘をつく際に大事なのは、嘘と本当のことを織り交ぜ、そして嘘の部分を少しだけぼやかすことだ。クラリッサはその辺の加減がとても上手だった。だから、王太子もいとも簡単に頷いてしまう。まあ、正直で真っ直ぐな王太子は子供の分かりやすい嘘でも見抜けないだろうが。


「もう1つ、ソフィアさまは軽々しく求婚される方や、一目惚れをお嫌いです。何故なら、彼女の父親が自由奔放なお方だったからです。お陰さまで、ソフィアさまのお家は崩壊してしまうことになり、ソフィアさまは大変苦労なさって来ました。このお店を持った5歳の頃には、大人びた考えしかできないほどに、世間に揉まれていたのです」

「あぁ、だから彼女は大層美しいのか………」


 自分がディスられていることにも気づかない王太子は、マリンソフィアの境遇に嘆いた。その境遇を作り出した一端たる男がよくいうものだと感心しながらも、クラリッサはその感情を決して表に出さない。静かに微笑み続けるクラリッサは、大層美しかった。


「王太子殿下、ソフィアさまは立場という立場を嫌っておいでですから、王太子妃というのはおそらく嫌がるかと思います。このお店も、慣れるまでは店長などしたくないとよく駄々を捏ねていたのですよ」

「ほう、………立場を嫌う女もいるのだな」

「えぇ、いらっしゃいます」

「まさにこの俺にピッタリだな!!」


 立場を嫌っていると聞いた途端に目が輝いた王太子に若干引きながらも、全く求婚を取り消す気のない王太子に、クラリッサは辟易としてくる。話が通じないとはまさにこのことだろう。自分が嫌われていると暗に伝えているのに、懲りるどころか燃えて来ている。本格的に、これは殺してしまったほうが良いのだろうか。

 クラリッサは本気で悩んだ。

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