第4話
ーーーちゅんちゅんちゅん、
愛らしい小鳥の声に目をうっすらと開けたマリンソフィアは、見慣れぬ天井に一瞬首を傾げた。が、昨日の嬉しい出来事が次々に頭に思い浮かんできて、満面の笑みを浮かべてしまう。
「うふふっ、もう王太子妃のために早く起きることも、美味しくない脂っこいお食事を食べることも、愛人さんと仲良くやっているお父さまや、性格がすこぶる悪い愛人さまに文句を言われることもない。あぁ!なんて幸せな日々なの!!」
ーーーガチャ、
「店長、働かざるもの食うべからずです。さっさとドレスを仕上げちゃってください」
「………………」
ノックすらせずマリンソフィアの部屋にたくさんのドレスを持って入ってきたクラリッサは、マリンソフィアの目の前にドレスを全て下ろした。
「………作業室に運んでおいて。全部ちゃんと今日中に仕立てるから」
気が遠くなるような量だが、マリンソフィアの心は少しだけウキウキしていた。なにも気にせず、長々と大好きな作業に没頭できるという幸せを作業を開始する前から噛み締めていたのだ。
「分かりました。………それにしても、相変わらず綺麗な景色ですね。さすが9階です」
クラリッサが窓際に向かいながら言った。マリンソフィアはその後を追いながら、しわくちゃのドレスを少し整えて大きな窓の下を見つめた。この国で最も高い建物たるこのお店は、全ての建物を見下ろすことができる、最高の立地だ。年々少しずつ上に増設していった甲斐があるというものだ。
「そうね。人がゴミみたいに見えるわ」
しみじみとした感想をぽつりとこぼすと、隣から絶句したような気配を感じた。隣を見ると、クラリッサが信じられないものを見るかのような顔をしている。せっかくの可愛らしい顔が台無しだ。
「ごみ、ですか………?」
「えぇ、そう。ゴミよ。見えない?」
「………………」
クラリッサは頭を抱えて呻き声を上げる。獣みたいな感じだが、クラリッサがすると、可愛らしいこぐまさんのようでとても愛らしい。
「………そこはせめてビーズとか小花とかと表現してください」
「えぇー、だってまさしくゴミにしか見えないじゃない」
どう見ても、ゴミなのだ。
人間は醜い生き物だから、キラキラした宝石のビーズみたいに透き通っていないし、小花のような純粋無垢さも一切ない。正直に言うと、ゴミという価値があるかすら怪しいのだ。
「ほら、やっぱりゴミじゃない」
マリンソフィアは馬車馬のごとく子供をコキ使われている大人を見ながら、つぶやいた。
マリンソフィアのつぶやきは誰にも聞かれずに、空気の中に溶け込んでいく。
だからだろうか、クラリッサは『人がゴミみたいに見える』と言ったマリンソフィアに、変な苦虫を噛み潰したような表情で質問を投げかけてきた。
「………あなたさまは本当に、お貴族さまの血を引く生粋のお嬢さまなのですか?」
「ーーーぶふっ、あははははっ!!」
怪しげな疑わしいとでも言いたげな表情に、昨日まで『社交界の女王』や『国を治めし賢姫』と呼ばれ崇められていた少女、マリンソフィアは爆笑してしまう。
「ふふっ、あー面白かった。そうよ、わたくしは生粋のお嬢さま。いきなりどうしたの?クラリッサ」
「いえ、………もういいです。考えるだけ無駄そうなので」
「そう?分かったわ」
『そうそう無駄よ』と言いたいのを必死に飲み込んだマリンソフィアは、社交界の女王然とした高貴な笑みを浮かべる。
「とりあえず、朝食を持ってきてもらえる?今日は食堂じゃなくて自室の気分なの。というか、朝食は自室でのんびり食べたいから、明日からも自室に持ってきて」
マリンソフィアがこの口調を使うと、幼馴染以外は皆すぐに命令に従い、屈服してしまう。マリンソフィアは、何かを命じたい時にいつもこの表情を使っていた。
「分かりました。料理人の方は今朝連絡したのですが、今日からは店長をメインでお料理に打ち込むそうです」
「あら、お客さまメインが正解ではなくて?」
「このお店で最も高貴なお方は店長ですよ」
「そう」
クラリッサはおしゃべりに興味が失せたような返しをしたマリンソフィアに一例し、颯爽と食堂に向かった。ほくほくとした、マリンソフィアに食べられることを心待ちにしている朝食を迎えに行くためだ。
「やっぱり、店長はとっても変わっていらっしゃるわ」
大好きな主人の変人っぷりに、クラリッサは微笑みを浮かべる。口調に似合わず、表情はとても穏やかだった。
「あ、クラリッサ!!店長のお目覚め?」
ととっと走ってきた後輩に、クラリッサは首を傾げる。
「えぇ、どうかしたの?」
「
ちびっ子こと、クラリッサの後輩の言った言葉に、クラリッサは困ったように微笑んだ。
今日も昨日同様、波乱に満ちた日になりそうだ。
「そうね。私が伝えておくわ。ありがとう、ちびっ子」
「もうっ!もっと素直に褒めてええんよ?」
「だーめ。ちびっ子はすぐに鼻高さんになっちゃうから」
「むうっ、」
可愛い後輩の頭をぽんぽんと撫でたクラリッサは、焦茶色の髪を揺らし、ミルクティー色の瞳を細めて微笑んだ。
「私、今日は店長のお世話で9時出勤になりそうだから、みんなで協力して頑張るのよ?」
「うん、任せといてーな。店長のデザインしたとーっても美しいドレスの仮縫い、ちゃーんと終わらせとくさかい、びっくりせんといてな?」
「えぇ、頼りにしているわ」
面倒見のいいクラリッサは、そう残すと食堂へと迷いなく向かった。
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