天空橋が降りる夜

百門一新

第1話

 十六歳を迎えるデイビーは、村一番の登り名人だった。


 たった一つの山と、幹がしっかりとした太い木々が、少しあるばかりの小さな村の端。そこにぽつりとある小屋に、小さな牛飼い業を営む両親と共に彼は暮らしていた。


 彼は、成人の儀を迎える十六歳にしては細く華奢だった。数少ない同じ年頃の少年達からは「へろへろとして、今にも風に倒れんばかりの木だ」と馬鹿にされていた。


 それでも、村の大切な仕事の一つである、木の実を取る仕事ではいつも一番だった。少年達は競うように袋を抱えて木に登ったが、デイビーほど高く上り、また彼ほど立派な実を、袋いっぱいに入れて戻って来る事は出来なかった。


 デイビーはそれが誇らしくて、いつも「身体が細くて小さいから出来る事さ」と自慢した。しかし、村一番の牛飼いの息子で、少年達の中でも一番たくましいオーティスに会うと、そんな彼の口も閉じてしまう。


 オーティスもまた、この村の若者達の仕事である木の実を取る作業が上手だった。たくましい身体の重さなど感じないように、すいすいと木に登っていけた。


 だからデイビーは、自分の唯一の特技を奪われないようにと必死になり、オーティスもまた「あんな奴に負けてたまるか」という表情で、二人は村内で競い続けあった。


 そんなある夏の暮れ、秋に成人の日を控えた頃の事。


 男の子達が週に一度、村長の話を聞くために集まる広場で、ある騒ぎが起こった。


 そこにある村一番の巨木で、木登り名人の名をかけてデイビーとオーティスが競い合ったのだ。巨木の下には、オーティスばかりを応援する陽気な少年達が集まっていた。その後ろで小さな男の子達が、はらはらしたように二人を見守っていた。


 村長の家の、三倍以上の高さがある巨木の頂上に着いたのは、デイビーが先だった。そのすぐ後にオーティスが辿り着いて、下から大きな歓声が上がった。


「僕が一番だったぞ」


 デイビーは、自分に文句を言っていた同じ年頃の少年達にそう叫んだ。すると上から主張したデイビーに向かって、下からは冷やかしに近い声が上がり出した。


「おいおい、デイビー。馬鹿を言っちゃいけない」

「君はオーティスと、ほぼ同着だった」

「いや、オーティスの方が早かったね。それに君が登ったところは、どうもほとんど登り易い感じがするよ」

「それに加え、見てごらん。オーティスの方には幹も少ない。もし彼が君のところから登っていたのなら、きっと一番に辿り着いていた事だろうよ」


 その言葉にデイビーは憤慨した。けれど誰も、彼の話は聞いてくれなかった。オーティスを支援する者達が「誰が一番の登り名人だと思う」と茶化すように年下の子供達に尋ねると、彼らは恐々としたように「オーティスさんがすごいです……」ともごもごと返した。


 その後、村長の登場によって騒ぎは終止符が打たれた。勝手に競いあったとして、デイビーとオーティスは「危険な事をしてはいけない」と叱られた。しかしデイビーは、いつもの勝ち誇ったような表情を浮かべているオーティスの横で、反省もなく顔を真っ赤にして口をつぐんで謝らなかった。


「なぜ、みんな僕の事を認めてくれないんだ。どうして、僕には優しくないのだ」


 話を聞いてくれる友達もいないデイビーは、飛ぶように家に帰ると、その胸の内を両親に打ち明けた。すると父は「いいかい、デイビー」と言った。


「憤慨するだけではいけない。優しさを持って彼らに接してみなさい」


 その時は「はい……」と渋々適当に答えたデイビーだったが、パンを買いに出かけた時、再び怒りに火がついた。


 偶然、オーティスと取り巻きの少年達に出会ってしまったのだ。「やはり細々と暮らす牛飼いの子だなんて」と誰かが口にした時、デイビーは口が聞けないほど憤慨した。両目を見開いたまま顔を赤らめ、唇を噛みしめるとその場を飛び出していた。


 決して裕福ではないけれど、デイビーは細々と暮らすあの生活を誇りに思っていた。必要以上に欲や見栄を持たず、村人から愛される両親が好きだった。それなのに、村の子供達と仲良く出来ない自分が恥ずかしかった。


 しばらく人を避けるように歩いたデイビーは、泣くまいと顔を上げた時、ふと、いい考えが頭に浮かんだ。


「そうだ。そうしよう」


 言いながら彼が目を向けた先には、土地に一つだけ突き出た岩山が、雲の下で鋭くそびえ立っている光景があった。


 その岩山は、雨が降ると岩肌が崩れ落ちてくるという事で、近づく者も少なかった。


 昔、村長が若い頃に度胸試しで登った時、途中で掴んでいた岩が崩れて右足を痛めた話は有名だった。若い頃から杖を持たなくてはならなくなった彼の細い右足には、今でもはっきりと白い傷跡が浮かんでいる。


「あそこへ登って、今度こそ皆に認めてもらおう」


 デイビーは覚悟を決めると、パンを買って家に帰り、その日は早めに就寝した。


 そうして彼は、夜にこっそりと家を出た。広場に『僕は岩山にも登れます』とオーティスを含む少年達へ向けて挑戦状を残し、静まり返った村から、一人で岩山へと駆けた。


 翌日、彼が残した文章を見て、オーティス達はひどく驚いた。


「まさか、本当にするつもりか?」

「でも……」

「いや。どうせ奴には無理さ」


 昨日、デイビーを侮辱した目が細い少年の声に、彼らは「そうだよな」と答えていつもの生活が始まった。それぞれの仕事を終えると広場に集まり、いつものように話し出した。


 しかしこの日、広間には子供だけでなく大人達の姿もあった。心配したデイビーの両親と共に、「気が散って仕事どころじゃないよ」と心配した大人達が集まり始めたのだ。


「迎えに行った方がいいのではないか」


 そんな声が出た頃、いつもは家の中で母の手伝いをしている少女達が「あっ」と声を上げた。広間に集まった村人達が振り返ると、そこには少し服を汚したデイビーが立っていた。彼の、親譲りの稲穂のような柔らかい髪にも、岩屑のようなものがついている。


 デイビーは、集まった大人達に目もくれず、瞳を輝かせると自分の両親に走り寄ってこう言った。


「父さん、母さん、僕はあの岩山へ登ったよ! ほら、この花を見てくださいッ。頂上に少しはえていたので、一本だけ持って帰って来たのです」


 デイビーの手にあった、見た事もない大きな白い花に村人達はひどく驚いた。デイビーの父と母は、我が子が無事に帰って来た事を喜び、村人達は「勇気ある少年」としてデイビーを暖かく迎えた。それと同時に大人達は「次は絶対そんな危険な真似はしないように」と彼を少し叱る事も怠らなかった。


 すっかりと登り名人として有名になったデイビーだったが、同じ年頃の少年達はいい顔をしなかった。それでも唇を尖らせて鼻を慣らす少年達の中で、オーティスだけは違った。


 彼は無言のまま、暖かく迎えられるデイビーをじっと見つめていた。

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