5章 ラビィと妖獣と氷狼(5)

 氷狼よりも一回り以上も体格のある大黒狼の登場に、騎士団や氷狼が、一瞬だけ動きを止めた。近くにいたヴァンが、「今度はなんだ!」と警戒して大剣の先を向ける。


「待ってッ、ノエルはオレの親友なんだ! 味方なんだよ!」

「……お前、ラビかッ?」


 ノエルの漆黒の背からラビが顔を覗かせると、ヴァンが、信じられないという顔をした。警備棟の正面玄関前で放火銃を重そうに抱え持ったグリセンが、ラビを見て更に混乱した様子で「一体何事なんだッ」と青い顔で叫んだ。


 わずかに氷狼達が止まったが、氷狼にしがみつく悪鬼達が奇声を上げてすぐ、彼らの攻撃が再開した。


 グリセンが「町への侵入を許すな!」と指揮した。男達は仲間と害獣の状況を確認しながら、「黒い狼の方は無視しろッ、味方らしい!」「ラビが来たぞ!」と怒号して情報を共有し合った。


 ヴァンも別の氷狼に飛びかかり、大剣を振るい上げた。どこかで「副団長はまだか!」と誰かが叫んだが、答えられる人間がいなかったため、ノエルが野太い咆哮のような声で『あの人間は今こっちに向かってる最中だ!』と怒ったように答え返した。


 ラビは、ノエルの首元を叩いて、周りの喧騒に負けない声で訊いた。


「ノエル、悪鬼って亡霊って聞いてたけど、剣は有効ッ?」

『【月の石】を使っている今なら、人間の武器でも簡単に倒せる。――とはいえ、見えなきゃ難しいがな』


 ノエルはラビを背から降ろすと、深い金緑の瞳で『無茶だけはするなよ』と言い、騎士団の包囲網から飛び出してきた氷狼に襲いかかり、激しくもみ合った末に地面に打ち付けた。


 ラビは、近くで倒れていた騎士に駆け寄った。大きな損傷はないようだが意識はなく、少し離れた場所まで引きずると「ちょっと借りるね!」と彼の握られたままだった剣を取った。念のため、転がっていた盾を彼の上に置いてから駆け出した。


 町の中心に向かおうとする氷狼が目に止まり、ラビはその氷狼の前に回り込むと剣を構えた。


 氷狼が威嚇のように咆哮し、強靭な爪を振るって来た。それを避け、頭にしがみつく悪鬼目掛けて素早く剣を突き刺すと、亡霊とは思えない確かな手応えと共に、悪鬼が緑の細かい粒子となって消えていった。


 ラビは、辺りに素早く目を走らせた。


 地上に溢れた氷狼は、既に軽く三十頭を超えていた。警備棟の屋上へ視線を向けると、人間を食らう事が目的でない氷狼が、屋上で攻防する騎士達を飛び越えて、地面に飛び降りているのが見えた。そこで待ち構えていたグリセンが、放火銃で強烈な炎を浴びせかけ続けている。


 しかし、正面から炎を浴びて苦しむのは氷狼だけで、悪鬼は氷の鬣のに身を潜め、無傷である事をラビは見て取った。


 騎士団の剣は、氷狼の体表の氷を叩き割る事は出来ても、皮膚には到達出来ず動きを止めるのが難しい状況だった。男達は、大きな身体で俊敏に動き回る獣に翻弄され、剣を振るう前に刃先を噛み砕かれる者もある。


「ッこれじゃあダメだ。集中して悪鬼を倒さないと、氷狼の群れには太刀打ちできない……!」


 ノエルの言っていた言葉を理解し、ラビは舌打ちした。確かに、悪鬼が見える人間がいないと、圧倒的に不利な戦いだと思った。


 ラビは、苦戦するヴァン達の元へ駆け付けようとした。しかしその途中、別の氷狼が騎士達の包囲網を抜けた事に気付いて、進路を急きょその氷狼へと変更した。


「止まれッ」


 氷狼に向かって叫びながら、ラビは加速する直前だった獣の脇腹に剣を打ち付けた。氷狼が体制を整えようとした一瞬の隙をついて、頭上から悪鬼だけを切り裂いた。


 その時、「畜生ッ、待て!」という罵声と共に、ジンが彼女の脇を通過した。別方向の包囲網を突破した氷狼を追った彼は、氷狼の後方から素早く剣を振り上げたが、氷狼が俊敏に振り返って彼の刃を噛み砕いた。


 ラビは咄嗟に走り出し、素早くジンの腕を掴んで後方に退かすと、噛みついてくる氷狼の口を自身の剣で防いだ。氷狼の力が剣を支える腕に重く圧し掛かり、全身の筋肉が軋んだ。


 奥歯を噛みしめて睨み上げると、氷狼も瞳孔を開き切った冷やかな青の目で、こちらを睨みつけていた。


 僅かに遅れて状況を理解したジンが、辺りに素早く目を走らせた。近くに手頃の剣がない事を知ると、舌打ちして腰から短刀を引き抜く。


『……身体ガ……自由ニ、動カセヌ……ナントモ憎タラシイ』


 ラビは、噛みつかれないよう剣を支えた状態で、苦痛に呻く氷狼の声を聞いて、思わず目を瞠った。


 噛みつかれないよう、氷狼の牙を剣で受け止めたまま、ラビは苦痛に呻く氷狼を凝視した。


 よく見れば、氷狼は悔しさに殺気立ち、プライドの高さが今の状況を許せないとばかりに身体を震わせていた。雪も氷もない気候が氷狼を苦しませているのか、開いた口からは小さな流血も見られた。


 氷狼の頭の上から悪鬼が顔を覗かせて、耳障りな声でキィキィと鳴いた。


 乱闘を楽しみ嗤う顔に、ああ、なんて低俗なのだろうと、ラビはノエルが口にしていた悪鬼の存在を把握して強い怒りを覚えた。


 その時、後方にいたジンが短剣を構え「すまない」と謝った。


「ラビ、お前じゃ無理だ。俺が――」

「ジンッ、このまま氷狼の鬣の中を突き刺せ!」


 ラビは怒りのままに叫んだ。


 悪鬼の顔から笑みが消えた。ラビは構わず、戸惑うジンに向かって指示した。


「氷狼は暴走しているだけなんだ。いいからオレを信じて、氷狼の左目の上を真っ直ぐ貫け! そうすればこの氷狼は止まる!」

「くそッ、何がなんだか分からねぇが――了解した!」


 ラビの気迫に押され、ジンがやけになったように短剣を構えた。彼は短剣を振るい上げると、ラビの上から氷狼の鬣目掛けて「えぇい、神よッ」と短剣を突き刺した。


 それは氷狼の氷の鬣を少し傷つけた程度だったが、ラビの目には、短剣が悪鬼を貫くのがハッキリと見えていた。

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