第9話
「ヴォルフラム」
廊下を歩いていると、背後から声を掛けられた。瞬間ヴォルフラムは顔を顰め、内心溜息を吐く。
「やあ、ジュディット。僕に何か用かな」
面倒臭いと思いながらも振り返り、貼り付けたような笑みを浮かべてジュディットを見遣る。すると彼女は嬉しそうに近寄って来た。
「用事がないと話し掛けてはいけないの? 私は貴方の婚約者なのよ」
「ごめんね、そう言う意味で言った訳ではないよ。ただ何かあったのかと思っただけで」
上目遣いで目尻に涙を浮かべている。その姿にうんざりした。
「毎日のように貴方へ手紙を書いてるのに、返事も殆どくれないし全然会ってもくれないから、私不安で寂しくて……」
「あー、そうだね。ごめんね。今ちょっと忙しくてさ」
教会に通うのにね、と心の中で付け足しておく。以前は月に数度だったのが、今は人手が足らないらしくユスティーナは数日に一回は教会に通っている。無論それに合わせてヴォルフラムも通っている為、それ以外の時間はほぼ仕事に費やしている。故に忙しいのは事実だ。
「ねぇ、これから少しだけいいからヴォルフラムとお茶がしたいの。たまには良いでしょう?」
「……」
(面倒臭いな)
だが、断ってまたしつこくされるのも面倒だ。一度付き合えば暫くは大人しくなるだろう。それに……。
ヴォルフラムは振り返らずに気配だけを探る。少し離れた柱の陰によく知る気配を感じる。弟のレナードだ。
「良いよ、分かった。ただ余り時間は取れないけどね」
そうヴォルフラムが言うと、ジュディットは目を輝かせて頬を染めた。そんな彼女の腰に手を回し歩き出すと、弟の気配に殺気めいたものが入り混じるのを感じた。
「でね、レナードったら皆見てるのに頭を撫でてくるの。私恥ずかしくて」
ヴォルフラムとジュディットは中庭でお茶をする事になり、ヴォルフラムは彼女の向かい側に腰を下ろした。お茶を綴りながら適当な相槌を打ち、愛想笑いを浮かべながら彼女の話を聞いていた。
先程からジュディットは延々とレナードの話をしてくる。しかも聞きようによっては浮気とも取れなくもない。レナードとの関係を匂わせて、ヴォルフラムに嫉妬させたいのだと丸分かりだ。実に稚拙で下らない。
そもそも、この二人が一線を越えていないのは聞かずとも分かる。弟はあれだけ人目を憚らずジュディットと戯れ合ってはいるが、弟の性格上手は出さない。それに流石のジュディットも、レナードに身体を赦す事はしないだろう。
もしこのままヴォルフラムと結婚となり、初夜を迎えた時にジュディットが生娘じゃないとなれば大問題だ。何しろ彼女と婚約したのは十年以上も前の事なのだから、不貞の言い逃れは出来ない。
まあ、実際はそんな話はどうでもいい。何しろ彼女と結婚する気なんて微塵もないのだからーー。
「何時も弟と仲良くしてくれて、ありがとう。これからもレナードの事宜しく頼むね」
ヴォルフラムが満面の笑みでそう返してやると、彼女は唖然とした表情で固まった。だが暫くすると今度は泣き出した。
「くすんっ……ヴォルフラムは、私の事好きではないの? くすんっ。私が、レナードに奪られてしまっても……くすん……いいの?」
「……」
おかしい。記憶違いだっただろうか。確か彼女は自分と同い年で、二十一だった筈だ。
子供のように涙を流すジュディットに呆れて果て、流石に掛ける言葉が見つからない。これでは五歳年下のユスティーナの方が余程確りしている。
但し、もしもユスティーナが同じ事をしたら無論抱き締め涙がおさまるまで慰めてあげるに決まっているが。
「兄上! ジュディットを泣かすなんてどういう事ですか⁉︎」
何処からともなくレナードが足早に現れた。ずっと気配は感じていたが、泣き出したジュディットに我慢出来なくなったのだろう。本当に我が弟ながら短絡的だと思う。
「くすんっ、レナード、違うの……ヴォルフラムは悪くないの、私がいけないの……」
「ジュディット」
レナードはジュディットの肩に手を置き自分へと抱き寄せる。仮にも婚約者であるヴォルフラムの前でするような行為でない。目に余る。
「さて、僕はそろそろ失礼するよ」
これ以上、下らない茶番に付き合っている程暇人ではない。ヴォルフラムは席を立つと、さっさと踵を返した。
「兄上! ジュディットをこのままにしていくおつもりですか⁉︎」
「レナードが、僕の代わりに慰めてあげてよ。婚約者である僕より、何時も一緒にいるお前の方が彼女の事は良く理解しているだろう?」
顔だけで振り返り冷笑する。そして背中越しに手だけをヒラヒラさせてヴォルフラムはその場を後にした。
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