終章 予言の精霊の祝福(3)

 扉が開くと同時に、そこから賑やかな声が聞こえて来て、ティーゼは目を丸くした。


 初めて見る王宮の舞踏会はどこもかしこも眩しくて、着飾った多くの男女や、高い天井のシャンデリア、オーケストラの生演奏にも驚かされた。ティーゼは、それをよく見ようとしたのだが、目の前に立ち塞がった人物を見て目を瞠った。


「待っていたよ、ティーゼ」


 そこに現れたのは、クリストファーだった。見事な装飾が施された正装服に身を包んだ彼は、英雄というよりは、まるで物語の王子様のよう美しさがあって、ティーゼはドキリとしてしまった。


 戸惑う間にも、彼が美麗な顔で優しく微笑んだ。その胸元には、大きなエメラルド色のブローチが輝いていた。


「ティーゼ、とても綺麗だ」

「えっと、その、ありがとう……? クリスも、何だかいつもと違うね」


 動揺もあって、ティーゼは、彼の事を自然と愛称のまま呼んだ。


「ふふふ、ありがとう。首周りが寂しいかなと思って、ネックレスを用意してあるんだ」

「えぇッ、いや、わざわざそんな――」


 いつの間にかメイドの姿はいなくなっており、彼女に助けを求めようとしたティーゼは慌てた。


 ひとまず、ティーゼは「高い物は受け取れないからッ」と幼馴染に答えたのだが、その間にもクリストファーがポケットからネックレスを取り出して、「身構えなくて大丈夫だよ」と言いながら見せて来た。


「ほら、大きなものじゃないし、ティーゼはこういう小振りなアクセサリーが好きでしょう?」

「確かに、物凄く可愛いけど……」


 花の形に細工された銀の中に、小さな青い宝石が一つあるシンプルなネックレスだった。


 ティーゼは、いつも町中で可愛らしい装飾品を見掛けるたび、男の子の恰好では隠れて見えなくなってしまうし、そこにお金を掛けるのは勿体ないとも感じて、購入には踏み切れないでいた。


 それにしても、どうして彼がその事を知っているのだろうか。


 物凄く好みのネックレスではあるので、安い物であるのなら欲しいとも思う。貯金で足りるのなら、後でクリストファーにお金を渡せばどうにかなる、のか……?


「気に入ってもらえて良かったよ」


 ティーゼが悩ましげに考えている間にも、クリストファーが正面から腕を回し、ティーゼの細い首にネックレスをかけて、慣れたように首の後ろでとめた。


 彼は満足そうに目を細めると、何がなんだか分からない、というように首を傾げたティーゼの手を取り、会場の中へと促した。



「ティーゼ、踊ろう。僕はずっと、君と踊りたくて仕方がなかったんだ」



 この瞬間をどれほど待ち続けたか――そう続いた呟きが、彼の口の中に消える。


 ティーゼは、昔、ダンスを習っていると彼から告げられて、いつか踊りたいと聞かされていた事を思い出した。貴族の息子であるせいか、クリストファーは町の祭り事には参加が出来ないでいたから、恐らく、楽しむ仲間達が羨ましくて、寂しく感じていたのだろう。

 

 まさか、庶民の自分が、こんな煌びやかな舞踏会に参加する事になろうとは思ってもいなかったが、と考えたところで、ティーゼは貴族の形式ばった踊りを知らない事に気付いた。


「あの、私、踊れないんだけど――」

「大丈夫、僕がリードするから、ね?」


 慣れない場所で緊張するだろうから、僕だけを見ているといいよ、と彼が優しく告げた。思考が上手く回らないのは、きっと緊張のせいだと気付かされて、ティーゼは「うん」と答えて、彼の手を強く握り返した。


 クリストファーが一歩踏み出したタイミングで、オーケストラの演奏が、ひどくゆっくりとしたテンポの曲に変わった。これならどうにかいけるかもしれない、とティーゼは思った。


              ※※※


 腰に腕を回されて、互いの手を取りあった時にはひどく緊張したが、踊り始めると次第に身体の強張りも解けた。多分、クリストファーのリードが上手いせいだろう。簡単なステップだけで、ふわふわと揺れるドレスの感じも楽しくなって来た。


 それでも、近くから見降ろされる気恥しさには慣れなかった。彼はティーゼをずっと見ていて、会話が途切れると、どこか熱のこもった眼差しで愛情深く微笑んで来るのだ。


 知らず体温も上がって来て、ティーゼは、ぐるぐると考えて困ってしまった。


 どうしてか分からないが、見慣れているはずのクリストファーの顔を直視出来ない。幼馴染のはずなのに、近くから見ていると、とても美しく凛々しい知らない男性にも見える。


 そういえば、クリストファーは先に成人しているのだ。


 ティーゼは、彼がすっかり大人になったのだと実感が遅れて込み上げ、落ち着かなくなった。気付くと演奏曲は二曲目に入っていたが、こちらもゆったりとした曲だったので、ティーゼは、ステップだけに気を取られる心配はなかった。


 ずっと密着して踊っているせいで、こんなにも恥ずかしいのだろうか。


 そう思って視線を逃がしたティーゼは、ふと、ペアで踊る男女の中に、ルイとマーガリー嬢がいる事に気付いた。マーガリー嬢の雰囲気は険悪ではなく、可愛らしく頬を染め、どこか恥ずかしそうにルイを見つめている。


 ルイは、マーガリー嬢にプロポーズはしたのだろうか。プロポーズ後だとすると、二人は上手くいっているという事だろうか?


 初心なマーガリー嬢から察するのは難しくて、ティーゼは、近くに待機しているであろう意地悪な宰相を思い浮かべた。普段から無表情なルチアーノが、妙な表情をしていなければ、事が上手く運べたと受け取っていいのかもしれない。


 視線を巡らせようとしたティーゼは、次の瞬間、耳元で囁く声を聞いた。



「ティーゼ、僕だけを見て」



 握る手と腰を引き寄せながら、クリストファーがステップを踏んだ。


 くるりと視界が回ってすぐ、鼻先が触れそうな距離から顔を覗きこまれて、ティーゼは硬直した。クリストファーの深い青の瞳に、吸い込まれて落ちて行きそうな錯覚に陥り、訳も分からず逃げ出したいような恥ずかしさを覚えて顔が熱くなった。


「ク、クリス、近い……ッ」

「そう?」


 それは気付かなかったな、とクリストファーが頭を起こしながら、のんびりと言った。流れている曲がまた変わり、ステップは、先程よりもゆったりとしたリズムになった。


「ねぇ、ティーゼ。僕には、ずっと欲しいものがあるんだ」

「欲しい物?」


 唐突に話を振られ、ティーゼは首を傾げた。記憶を辿ってみても、彼が何かを欲しいと口にするのは初めてのような気がする。クリストファーは常に両親から欲しい物を与えられていたし、ティーゼや仲間達が、誕生日プレゼントの要望を聞くたび、困ったように微笑んでもいた。

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