第2話

 親父は厳しい人だった。自分の意思が強い人で、お酒が好きで――俺と親父は、昔から喧嘩が絶えなかった。いつも一方的に俺が負かされて、結局、最終的に従わされるのは俺の方だった。


 酔うと荒れる親父に困らされ、一方的に負かされる喧嘩の無意味さに口を閉ざすようになり、母親は俺が幼い頃に出ていった。俺と親父も同じようなもので、二人きりの暮らしの中で互いに交わす言葉はめっきり減った。


 俺は高校を卒業したその日、親父に絶縁を告げて家を出た。


 一人の暮らしは楽だった。家にいて苦痛じゃないという時間は、俺にとって初めてだった。親父に押し付けられていた家事の経験と知識のおかげで、独り暮らしに苦労も不便も感じなかった。


 しばらくアルバイト生活を続けた後、店先の店長のすすめで、俺は就職活動を始めた。資格も持っていない普通高校卒業の身だったので、軽く数十の採用試験に落ちた。もともと正社員として働く気もあまりなかった俺は、諦めかけていた矢先に支店企業の採用が確定し、フリーターを卒業したのだ。


 採用を決めてくれた課長には、感謝している。あのままフリーター生活を続けていたとしたら、俺は親父みたいな荒くれ者になっていた未来もあったかもしれない。


 というのも、俺は会社で過ごす中で、自分が昔から喧嘩っ早かったようだと遅れて気付かされた。負けず嫌いで、自分の意思を曲げない頑固なとろこがある――上司や先輩にそう指摘され、精神的にも大人になれるよう自分を抑える努力をした。



 俺の生活はしばらく順調だったが、俺が本社で部署リーダーに就いた頃、親父が倒れたと病院先から連絡あった。



 安定した日常を邪魔するような父親の存在に、俺は過去に追いやっていた激しい憎しみと嫌悪感が蘇った。電話先の病院事務員に怒りのまま、「関係がないから勝手にやってくれ」と乱暴に告げて電話を切った。


 けれど病院側も諦めなかった。彼の身内は俺しかいないのだと言い、末期癌で数日が峠かもしれない事を必死に説明してきた。最後は涙声になって、情に訴えるような説得までしてきたのだ。


 幼い頃、数える程度に父親らしい顔をしていた親父の様子が浮かび、俺は結局のところ「分かった」と答えて病院に向かう事にした。会いに行かなければならないという妙な焦燥感と、会いたくないという苛立ちが胸中で渦巻き、胸の鼓動が耳元で煩かった。



 久しぶりに会った親父は、弱りきって小さくなっていた。


 再会してすぐ、思わず俺の口からこぼれたのは「なんでこんな事になってるんだよ」と怒りを孕んだ弱々しい声だった。



 人目も憚らず「喧嘩別れした時のあんたは一体どこに行ったんだよッ」と怒鳴れば、親父の濁った瞳が、ようやく力なく俺の方に向いた。


「イツキ、か……?」


 ひどく掠れた声だった。親父は、どこかぼんやりとした様子で俺を見ていた。みっともなく生えた無精髭、やつれた顔、骨が見えるほど細い手首。腹水のため腹部だけが膨れた身体――


 その事実を視認した俺は、言いようのない衝撃に涙腺が緩みそうになった。勝手にくたばっちまえばいいと思っていたのに、望まない再会で俺の胸を貫いたのは、少ない親父との優しい思い出だった。


 親父は、視線をゆっくりと彷徨わせて「イツキはどこだ」と、誰に問うたかも分からない呟きをもらした。看護師が「ここにいますよ」と説明しても、その言葉すら理解していないようだった。


 俺の来院を知らされた担当医がやってきて、アンモニア数値が上がった事で痴呆のようになっているのだと、簡単にそう説明してくれた。親父は酒の飲み過ぎで肝臓がやられたらしい。健康診断なんて受けるような男じゃなかったから、今の今まで癌に気付けなかったのだ。


 もともと、親父は太らない男だった。胃腸の調子が悪くなれば、自分で食事を整えるくらいに料理の腕も持っていた。昔のように薬局で胃腸の薬や栄養剤でも買って、酒の楽しみだけは死守していたのかもしれない。


「馬鹿だ。……あんたは、大馬鹿者だ」


 俺が睨みつけても、親父は遠くをみるような眼差しを返すだけだった。



 医者は帰宅を促し、俺に親父を引き取らせた。もう手の施しようがない。今の段階で手術の方法はないのだと告げた。薬を出すので、きちんと時間を計って飲ませてください、発作が起きた場合はすぐ病院まで向かわて……



 長々と医者は説明し、最後に「彼は長くはないだろう」と言葉をしめて、申し訳なさそうに俺達を見送った。


 車に乗せられたようやく、親父は俺の顔を認めて「イツキか」と薄ら思い出したようにぼやいた。俺は、外に出たままだった親父の足を後部座席に収めながら、苛立ってこう言い返した。


「ああ、俺がイツキだよ。あんたの息子で、あんたが馬鹿にしてた不出来なガキだ」


 親父は小さくなるように視線を落とし、足元の暗がりに顔を向けて「すまんなぁ」と弱々しい言葉をもらした。


 やめてくれよ。


 なんで今更、そんなこと言うんだよ。


 俺は、無言で運転席に乗り込んだ。親父は、時間間隔も記憶もおぼろげな癖に、らしくもない表情と態度で「苦労をかけてすまない」ともう一度謝った。


 俺は言葉もまなく車を走らせ、道沿いにあったドラッグストアで医者に教えてもらった大人用のオムツと、アルコール消毒剤、それから手袋を購入した。それから一時間もかからずに、親父の暮らす一軒家に到着した。


 数年振りの実家は、記憶に残されている以上に古びていた。室内には物がひしめきあい、隣接している彼の自営の店の、機械修理工場の道具や商品も積み上げられていた。廊下や台所にはビール缶も転がっていて、とにかく室内は小汚かった。


 今の親父は、自分の意思で排泄も出来なくなっていたが、尿意の感覚はあるらしい。帰宅早々に「トイレ」と呟き、慣れないようにオムツを自分で取り出したのを見て、俺は無言で肩を貸し、彼をトイレまで連れて行った。


 親父は、今にも吐きそうな咳をしながら、長い間トイレにこもっていた。俺は苛々しながら、散らかった部屋のゴミを大雑把に片付けた。


 冷蔵庫の中には食材がある程度は揃っていたが、食卓にはハサミやお茶パック、煙草の箱などが散乱していた。お粥のパックが大量に積まれていて、しばらく親父がお粥生活を送っていた事が分かった。


 テレビの置かれた居間の、端の方に備え付けられていたパイプベッドは、俺が一緒に住んでいた時と変わっていなかった。すっかり寝台部分が歪み、マットはニコチンで黄ばんでいた。毛布には、煙草の焦げ跡も目立つ。親父の家は畳み間がほとんどだったが、そこに昔からあった煙草の焦げ跡の他にも、真新しい焦げ跡が出来ていた。


 居間の襖の向こうにある七畳間が、昔俺が使っていた部屋だった。そこには中身が空っぽのタンスと、埃被った勉強机だけが置かれていた。散らかっている他の部屋よりも閑散としていたが、襖が半分ほど閉じていたその部屋は、しばらく人の出入りもなかったせいか、強い湿気と黴の匂いが漂っていた。


 身体の自由が利かないから、親父には介護が必要だった。病院側で一時的に峠を乗りこえたとはいえ、親父の余命は一週間ほどだろうと医者は言っていた。


 俺は、まだ二十代前半の若造で、一体どうすればいいのか分からなかった。介護なんて経験は皆無であり、当然のように知識もない。


 けれど面倒を見なければならない義務が発生してしまっているのは明白で、俺は上司にメールで事情を説明し、連続休暇を取ることにした。迷惑がかかる場合は、最悪、今の仕事を辞めなければならないだろうとも思っていた。


 なぜ自分がそこまで考えたのか、その時は、頭の中が忙しくて気付かなかった。


 多分俺は、大嫌いな親父の面倒を見る事を、彼を引き取ると医者に答えた時から既に決めていたのだと思う。



 こうして、俺と親父の人生が再び交わった日々が始まったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る