第9話

 アラタは空港へと向かう途中、父の葬儀の際に教えてもらっていた大浜の番号に電話をかけた。ちょうど船作業も終わってのんびりしていたところだったらしい大浜は、急きょ取れた飛行機の便の時間を改めて確認すると、那覇空港まで迎えに行くよと言った。


 沖縄へと飛び立つ飛行機の時間まで、しばらく時間があった。大浜は折り返しの電話で、その待ち時間を利用してアラタが知りたかったことを、順を追って話してくれた。


 アラタの母は、名を斎藤(さいとう)アケミといい、中学生の頃に沖縄へと移住してきた人間だった。アラタの父は大浜と同じ石垣島の人間で、名字を宮良(みやら)という。


「俺も親父も、名字は斎藤のはずなんだけど……これ、元々母さんの名字だったのか?」

『まぁ色々あってな。とりあえず後の話まで聞けば分かる』


 電話越しで大浜はそう言って、時間を気にして淡々と話を進め出した。


 宮良は、沖縄本島にある琉球大学で教員免許を取った後、祖父や父の仕事を継ぐ考えで石垣島へと戻った。勉学することや教えることに強い思いを持っていて、周りの皆は向こうで教師になることを勧めたらしいが、彼は「稼業が本業だ」と答えたのだとか。


 家業は漁師業に関わるもので、季節によって仕事量は激減し、今や需要も少ない。祖父も父も、この代で終わらせようと考えていたから頑固な一人息子を心配した。

 少しでも考えが変わるきっかけになれば、と、仕事が少ない時期に「収入が厳しい」と相談して、沖縄本島へ出稼ぎに行かせて教師の仕事をさせたりした。その際、宮良は斎藤アケミが通う高校に二年勤めたが、その時はまだ教師と生徒の関係でしかなかった。


 それから少し過ぎたある年の夏、石垣島に一組のカップルが訪れた。


 カップルの旅行者は珍しくない。けれど怯えて寄り添い合う様子がちょっと目を引く二人組みで、まるでひっそりと隠れるみたいに地元にある小さな宿を一つ取った。


 それから数日経った頃、斎藤松子という婦人が石垣島にやってきた。


「私の子供達はどこにいるの!」


 松子は到着早々、船を降りた先で島の人間に向かってそう喚き散らした。


 実は数日前にやってきた若い男女のカップルは、斎藤アケミと斎藤ユウジといい、二人は松子の実子であり、愛しあった恋人同士でもあった。


 当時、大浜は二十歳だった。彼は同級生達と潮の引いた海岸でたむろしていて、ふと、背にしている崖側から緊迫した騒がしいやりとりが聞こえてきたという。


 なんだろうと振り返った彼らが目撃したのは、島の断崖から斎藤ユウジが飛び降りる姿だった。「あっ」と思った時には、鋭利な岩礁と波の中に消えてしまっていて、上には、罵倒を向ける相手を失って茫然とする斎藤松子の姿が残された。


 兄のユウジが、母の松子を説得するという作戦は、こうして最悪の結末を迎えた。今年で十九歳になるアケミの腹には、彼との子がおり、逃げ回っている間に目立ち始めていたのだ。


 だから母と引き会わせる前に、兄は子の存在と二人の仲を認めてもらおうとした。しかし、汚らわしい子だと侮辱され、「おろせ」との言葉に絶望して投身自殺したのだ。


 近くに隠れて全てを見ていたアケミは、最愛の兄がこの世に絶望して命を断ったのを見て続こうとした。けれど、授かった事への喜びを感じていた彼との子供を、道連れに死ぬことは出来なくて、大きくなった腹を抱えて泣きながらその場から逃げ出した。


 島人たちが、放心状態の松子のもとに集まって「警察だ」「救急連絡ッ」と騒ぐ中、大浜は走り去るアケミに気付いて、よく分からない混乱のまま追い駆けたという。

 彼女は、ただひたすらに人気のない場所へと向かった。出たのは、いくつかの小舟が浮く小さな海岸沿いで、そこで煙草休憩を取っていた『宮良先生』を見つけたのだ。


「斎藤……? 一体どうしてここに――」

「先生、せんせぇ…………っなんでココにいるの」


 見知らぬ者しかいないと思っていた地で、約二年ぶりの再会をはたしたアケミは、強張っていた身体から一気に緊張が抜けてボロボロに泣いた。


「……先生、どうかお願い…………助けて」


 この子を失いたくない、と涙で押し潰されそうな声で言った。


 頭の中はいっぱいいっぱいで、アケミはもう頼るべき人間を他に知らなかった。宮良はしばし沈黙し、――それからたった一言「分かった」と答えた。


「俺は、この人を連れてヤマトに行く」


 彼は、駆けつけた大浜達にそう静かに断言したのだという。


 松子のもとへ友人たちが向かい、時間を稼いでいる間に大浜が船を出した。彼らは一見すると、鉄仮面にも見える宮良の人の良さをよく知っていた。宮良(かれ)はきっと、子供が自分の手をすっかり離れてしまうまで、ココへは帰ってこないだろう、と――。


「新たな命、……アラタ。この子は、斎藤アラタだ」


 宮良は、船の中でそう言った。泣き疲れたアケミを背に、大浜は何も相槌を打てずにただ泣いた。彼にとって宮良は大切な幼馴染で、『近所の兄ちゃん』で、この先も一緒にバカみたいに笑っていて欲しくて、どうしようもなく幸せになって欲しい人だったからだ。


 どうして彼女を選び、助けるんだ、と出てきそうになる言葉は、大浜にとって自分の愚問でしかなかった。宮良という男は、決して人を見捨てられない人間なのだ。目に見えない不思議な縁が、二人を再開させて強く結び付けてしまったのだろうと思った。



『そうやってヤマト――日本本島にアケミを連れていったあと、あいつは長い時間をかけてどうにか斎藤家と松子達を納得させた。それから向こうの父親に許しをもらって、形上を婿養子とし、斎藤一族との絶縁を約束して自分の名字を変えたんだ』


 電話越しで長い話を終えた大浜は、名字を改めた事で父の上の名前が『斎藤』になったのだと教えた。そうやって彼は、誇りに思っていた『宮良』の性を手放したのだ。


 それでも、名字を変えたとしても故郷は忘れられなかっただろう。


 自分が続けるはずだった島での仕事と、そこに置いて来たすべてに想いを馳せて――そして、父はずっと自分の住み処を探し続けたのだろうか、と、アラタはそんなことを考えてしまった。

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