第76話 変わらぬ姫

 誰にも会わぬよう、そして少しでも姫への負担がないよう、私は裏庭までの道を静かに進んで行く。

 城の中にいるはずのジュビエール達の声は聞こえない。王を探して、城の反対側にいるのだろうか。

 裏庭に繋がれたクラムの所まで、誰にも会わずに来られたのは幸運であった。


「あれは、シュルト?!」


「いいえ。クラムです」


「クラム? 新しい馬なのね」


「はい。カミュート国で見つけました。シュルトによく似ているでしょう?私も最初見間違えました」


「えぇ。よく似ているのね。クラム、よろしくね」


 そう言って姫がクラムのたてがみを撫でる。


「クリュスエント様、一度降ろします。クラムに跨ることはできますか?」


 姫はほんの少し腕に力を入れたように見えた。だが、すぐに頭を横に振ってしまわれた。


「ごめんなさい。力が入らないみたい」


「そうですか。それでは、抱き上げてもよろしいですか?」


「えぇ。ごめんなさい。迷惑かけて」


「そんなことありませんよ」


 クラムの背に乗せるために抱き上げた姫の体が、ふわっと宙を舞った気がした。まるで羽が生えたような軽さだ。


「失礼致します」


 姫の後ろから抱きしめるように私もクラムに跨る。

 このように馬に乗るのも、姫の成人式の前日が最後であったな。

 懐かしい日々をつい思い出してしまう。


 先ほどよりもずっと近い距離で姫の髪に触れる。私の記憶にあった絹糸のような髪は、すでに見る影もなく、あらゆるところに痛みが見える。

 フェリスが変わらず手入れをしていたはずだが、それでは賄えないほどの酷い扱いを受けていたというのか。腹の奥から湧き上がってくる怒りで体が震えた。


「クリュスエント様。こちらを羽織っておいてください」


 姫の姿を誰かに見られでもしたら、面倒なことになりそうだ。私は自分がまとっていたマントを外した。


「あら? それは?」


 姫が細くなった指で示したのは、私のベルトに引っ掛けたピンク色の花であった。


「あ、これは……」


 姫との再会に摘んできたことを忘れてしまっていた。


「花の、蕾?」


「はい。お慰めになればと思ったのですが、必要ありませんでしたね」


 私は摘んできた花をその場に置いていこうとする。姫には、頬を染めるような相手からもらった宝物があるではないか。私の摘んできたものなど、必要ないだろう。


「何故? 私にくださるつもりだったのでしょう? それならば、ありがたくいただきます」


 姫の微笑みに、顔が熱くなる。私のような者にまでこのようなお言葉をかけてくださる、どこでも、誰にでも、分け隔てなくお優しい。昔と変わらぬその姿勢に、込み上げる思いが溢れてしまいそうだ。

 私が渡した花を両手で受け取られた姫に、私はジュビエールのマントをまとわせる。


 私以外の者から姿が見えぬように。誰にも、見せぬように。



 姫の体の負担にならぬようにと、城の庭をゆっくり進んでいく。それでも馬の揺れは思ったよりも負担だったようで、すぐに姫の呼吸が荒くなるのがわかった。


「クリュスエント様。お辛ければ、私にもたれて下さい」


「ご、ごめんなさい。そう、させてもらって、いいかしら?」


「気が付きませんで、申し訳ございません。カミュート国までは少し距離があります。楽になさってください」


 私の体を背もたれにするように、姫が体を預けてくる。昔と変わらぬ香水の匂いが、私の鼻をくすぐる。つい誘われてしまいそうな香りに、手綱を持つ手に力を込める。

 私はいつまで経ってもこのようなことばかりだ。

 マントに包まれた姫に気付かれぬように、苦笑いを浮かべた。

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