第73話 再会のとき

 姫の声ではないが、明らかに女性の声が聞こえた。

 心臓が早鐘を打つ。

 この部屋の中に誰がいるのだろうか。まさか、黒髪の姫ではないだろうな。いや、ナージャは姫以外に誰も客室にはおらぬと言っていた。

 それでは、この声の主は誰だ?


 既に客室には誰もおらぬだろうと、そうたかを括っていた私に押し寄せる、とめどない緊張感。寒いはずのこの時期に似合わぬ汗が流れ落ちる。呼吸が浅くなって、息苦しいぐらいだ。

 手に剣を構え直し、顔を下に向け、目線だけで扉が開くのを待つ。


 「リーベガルド様でしょうか?」


 声の主が扉越しにそう尋ねる。

 リーベガルド王が訪ねて来る程の方が、この部屋に? 王が訪ねてくる相手にしては、似つかわしくない扉の装飾。

 一体、どのようなお立場の方だろうか。本当に、夜のお相手なのか。


「早く、開けてくれ」


 リーベガルド王の声は知らないが、扉越しの声にさほどの違いもないだろう。

 声の主に開けてくれるように頼む。私は、剣から手を離すわけにはいかない。


「し、失礼いたしました!」


 声が早いか、扉が開くのが早いか、私の目の前に女性の姿が見える。


「ひいぃ!」


 リーベガルド王だと思って扉を開けた女性は、突然現れたカミュート兵の姿に、小さく叫びながら後ずさった。

 部屋の中に一歩進み、その女性の顔を確認する。そして私は、大きく息を吐いた。

 フェリスの声であったか。


 私の記憶に残るフェリスの声は、今よりももっと張りのある声をしていた。たった一年半だというのに、顔も声も酷く老け込んだようだ。

 身なりには気をつかう方であったのに、どうしたのか。

 ただ、フェリスがここにいるということは、奥にいらっしゃるのは――夢にまで見た金色の髪。緑色の瞳。間違いない。

 クリュスエント様だ。


 私は今にも泣き出しそうなぐらいの感情に包み込まれていたが、部屋に押し入られた形のお二人は恐怖に体を強張らせていた。

 私はその場で剣を下ろし、跪いた。


「クリュスエント様。フェリス様。お久しぶりでございます」


 突然名前を呼ばれたお二人が、息を呑んだのが頭を下げたままでもわかる。


「あ、貴方様は?」


 未だに恐怖の抜けない声で、フェリスが私に声をかけた。


「遅くなりました。クリュスエント様の護衛騎士、アイシュタルトが参りました」


「ア、アイシュタルト様?」


 フェリスの声に驚きが混じる。予想外の来訪者に困惑は隠せぬだろう。


「は! お待たせ致しまして、大変申し訳ございません」


 私は顔を上げて、はっきりとフェリスの顔を見る。


「姫さま! アイシュタルト様ですよ!」

 

 私の顔に覚えのあった彼女が、姫の方を向き直り、似合わぬ大声を上げた。


「ア、アイシュ、タルト?」


 私とフェリスのやり取りを椅子に座ったままご覧になっていた姫様が、立ち上がりこちらに寄っていらっしゃる。

 足元をふらつかせながら、私の側へ寄って来られようとなさるご様子は、筋力が落ちているようにも見えた。


「クリュスエント様! 私が参りますので!」


 私が姫の側に駆け寄るのと同時に、姫が私の体へと倒れ込んでくる。


「あ、足がもつれて……」


「ご安心下さい。私が支えております」


 姫を腕の中に抱きとめたまま、声をかければ、姫の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


「アイシュタルト! アイシュタルト! 会いたかったのです!」


「クリュスエント様。私もお会いしたかったです」


 姫の緑色の瞳から零れ落ちる涙が私の服の色を変えていく。


「アイシュタルト。私を、助けて」


 泣き声の中に少しずつ挟み込まれていく姫の言葉。


「もう、ここには、いたくない……」


 弱々しい声色が、姫の辛さを表しているようだった。


「もちろんです。クリュスエント様を助け出す為に、ここまで来たのですから」


 腕の中の姫が私の顔を見上げる。姫が安心できるように、作りものではない笑顔を見せる。

 姫の緑色の瞳の中に、私の顔を写し込んだ。

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