(五章)その頃、最強の魔法使いの王子様は

             ※※※


 その頃、王宮ではサイラスが苛立ちを放っていた。


 魔法部隊の代表として、各軍が集められた会議が長引いて日暮れまで行われた。自室に引き上げる前に、明日のスケジュールを執務室で確認しているところだ。


 そのサイラスの手が、いつの間にか止まって、不穏な空気が増す。


 居合わせている部下の何人かが、もう気付かないふりもできず、気にしてちらちらと視線を向けた。


「……なんで返事がこないんだ」


 舌打ちするようにサイラスの口の中で呟かれる。


 聞こえた護衛騎士で副官のコンラッドが、察した様子で彼を見た。


「殿下が、また返事不要という内容で送ったから、ではないですか?」

「返事をしろ、と、ちゃんと書いた」


 ぶすっとサイラスは答えた。


 リリアが、一週間も王都に足を運ばないのも久しい。社交に積極的に参加する前はよくあったことなのだが、ここ最近は気が気でない。


 ――妖狐の血が半分流れた、知的で美しい伯爵令嬢。


 これまで男性ばかりが目立っていた学院にて、女性の中で群を抜いて成績優秀で、リリアの評価は上がっていた。


 好奇の目にさらされても、物怖じしない堂々とした振る舞い。鼻にもかけないと言わんばかりの態度は、彼女がまとう独特の空気感で許されている。


 妻として迎えても、十分に務まるだろうと令息達の見方は変わっていた。


 ――それでいて先日、彼女は『他に結婚相手を探す』と言い放ったのだとか。


「なんでそんなことになっているんですか……」


 コンラッドは、胃がきりきりして呟いた。ここにくるまでのサイラスを知っているだけに、理解不能だ。


「再会した際に、ご自覚されたんでしょう? なら、もう観念した方がよろしいかと」


 それができていれば苦労もしない。


 サイラスは、師としても長く、信頼しているコンラッドを前に黙り込む。


 はぁ頭が痛いと、コンラッドが抱えている専門書を戻すべく再び動き出した。サイラスとは対照的に柔和で優しい美貌の上司だ。憧れている部下らも多く、彼の心境を察した様子もなく「今夜も素敵だな」「ああ、そうだな」とこっそり言葉が交わされる。


 リリアは妖狐で、成長期の少々特殊な理由で休むことがあった。


 熱が出るくらいの『放電期に入った』とは、サイラスは耳にした。


 その後、復帰予定がいつからであるだとか、こういう経過なのでいついつ来られそうだとかの、レイド伯爵の報告もないまま一週間以上が経っていた。


 ――そもそもレイド伯爵自体が、王都に関わるあらゆることを嫌っている節がある。


 自分の、一番愛する娘を傷付けたから、と。


 三年前、国王陛下との『契約』によって義務の緩和幅も広がった。いちいち細々とした報告をレイド伯爵はしなくてもいいわけで、一方宰相らも催促もできずそわそわしている。


 リリアが学院を嫌になって、知らぬうちに妖怪国に移住しました、という展開を心配しているのだ。


 彼らは、レイド伯爵から怨みを買った。


 妖怪国の領民からの報復を、一番に恐れている。


 レイド伯爵にとって大切なのは、リリアだった。彼女がいなくなったとしたら、領地の周りが騒がしくなろうが、躊躇しないだろうことが推測されていた。


「……熱が出て、大丈夫なのか訊いただけなのに」


 口にして、サイラスはもやっとした。


 彼女が弱った姿なんて、一度だって見たことはない。けれど普段は毅然として誰も頼らないという姿勢なのに、腕を広げただけで、甘んじて執事狐に飛んで行くし。


『ああいう騎士様もいいわよね。かっこよくて』


 ……あんな顔もできるじゃないか。


 先日見た光景を思い出して、サイラスは苛々して執務机の上を指先で叩いた。


 熱が出て学院を休むくらいなんて、大丈夫なのか?


 あまり、あやかしについては知らない。――妖狐のことだけしか、サイラスは知らない。


「そういえば殿下、エルバレス公から届いた香、どうします?」

「不要だ。欲しいならもっていけ」

「ええぇ、でもこれ、多分殿下のことを慕ってる娘さんのことがあって、彼も贈ってきたものかと」


 最後の箱の中を仕分けしていた書記官の男が、えっ、と戸惑いをあらわに言った。別部署から寄越されて手伝っている彼の手元を、魔法部隊軍と、第二王子執務室担当の部下らも覗き込む。


「私が勝手にそんなことをやったら、上司に叱られてしまいます」

「こういう箱に入ってるのは、大丈夫だって、新人」

「これ、結構いい香りなんですけどね。社交界でも人気の一品ですよ」


 続けてそう言われたサイラスは、ぶすっとした顔でよそを見ている。


 コンラッドが小さく苦笑し、彼らを制した。


「いいんですよ。その香りは、殿下は使いません。〝狐〟が苦手とするタイプの匂いですから」

「へ? 狐、ですか?」

「嫌悪感を覚えて近付かないそうです」

「コンラッド、やめろ」


 サイラスが、そこでぴしゃりと口を挟んだ。


 学院で一年ぶりの再会となったあと、リリアに避けられまくった。社交の場で二度目に顔を合わせた際も、文句の言葉も面倒になったと言わんばかりに、彼女はやけに去りたがった。


 喧嘩の相手にもならないと思われている?


 もしくは、一欠けらの関心さえ、なくされてしまったのか――。


 三度目の社交の場で顔を合わせた際、一緒にいるのがそんなに嫌なのかと、早々に踵を返したのにカッとなって、売り言葉に買い言葉でリリアを呼び止めた。


 そうしたら、振り返った彼女は、初めて見るやや不調そうな表情を浮かべて、鼻をつまんでいた。


『なんか、この果実の匂いがだめなの』


 全く気を許していない彼女の口から、初めて、そう苦手なものを伝えられた。


 あの時、彼女の目は、真っすぐサイラスを見ていた。

 他の令息には警戒心マックスの野生みたいにキリッとしているのに、サイラスにだけは〝普通〟で。


 ――それがなかったら、もう少し、喧嘩でもいいからそこにいてくれたのか?


 サイラスはその後、香料のアクセントとして使われることがあるという高級果実を特定し、それが入っていない香水に変えた。狐が動物であることも考え、匂いが強いものもやめた。


 そして今、リリアはサイラスと話してくれている。


 その効果には驚いた。先日までの避け具合なんて忘れたかのように、彼女はサイラスのちょっとした言葉にも、きちんとつっかかってきて言いたいだけ文句を言ってきた。


 腕を伸ばしたら、届く距離であると気付いていないのだろうか?


 十二歳のあの日、父親に連れて離れられていく姿を見送った。学院で再会してみたら、遠目で一瞬だけ睨み返して、終わり。


 その彼女が、無視せずサイラスと面と向かって、競い合ってくる。


 そんなことを思い返していたら、異動してきたばかりの書記官がなるほどと頷いた。


「ああ、そういえばご婚約されていましたっけ――いてっ」

「おまっ、失礼だろう」


 ……学院と社交の場を知らない者は、婚約から三年、大きな進展や話題もないせいで、認知度もこんなものだ。


 サイラスは唐突に立ち上がった。


 コンラッドと部下達が、揃って「うわっ」と驚いて彼の方を見た。


「殿下、いきなりどうされたんですか」

「転移魔法室の、使用許可を取ってくる」

「え? 転移魔法? なんでまた」

「それから、そのスケジュールを広報の方に告げてくる」

「はぁ? あっ、ちょっと殿下お待ちください!」


 戸惑う男達をよそに、サイラスが『最強の魔法使い』の称号印が入ったマントを揺らして、すたすたと歩き扉から出て行く。


 その後を、軍では副官、王子である彼には護衛騎士であるコンラッドが続いた。


「……広報ってことは、王子として動く予定ってこと……?」


 残された部下達が、不思議そうに顔を見合わせた。



 ――その翌日、第二王子殿下が、学院を休んでいる婚約者のお見舞いに行った、という内容が話題に上がることになる。

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