五章 もふもふと頑張ります!
◆
屋敷の敷地に戻ったのち、リリアたちは早速『逆さ草』があるという、庭の一つである広い原へと向かった。
「すっげぇ広いですね! さすが姫様のお屋敷です」
人間の屋敷には近付かないでいるというカマルが、歩きながら「ほえー」と感心しきりで、きょろきょろしていた。
「元は馬を走らせるための場所でした。オウカ姫が、お腹の中にいる姫様のことを考えて、いずれ仔狐として走り回る頃に使えるようにと、旦那様と話し合って原にしたのです」
「そうなの、母様からの贈り物なのよ!」
リリアは、アサギの横をふわふわと飛びながら、嬉しさいっぱいに笑った。長らく滞在できない母ではあるけれど、身ごもっていた当時の思い出も、だから屋敷中にたくさん溢れている。
風邪が吹き抜けるたびに、さらさらと草が立てる心地良い音がする。
アサギが中央で足を止めて、リリアも着地した。揃ってしゃがみ込む姿に気付いた使用人達が、屋敷の窓から、見慣れないカマルの姿に「一体何かしら?」と首を傾げる。
「まず、土の上を妖力をこめて軽く数回叩くと、つられて根が出てきます」
言いながら、アサギが実践する。
すると、新緑色の根が土からするりと出てきた。それは風に吹かれたわけでもないのに、ゆらゆらと左右に振れている。
「茶色じゃないのね」
「実のところ、この妖怪国産の植物は、根の部分が本体なんですよ。こうやって先端部分を引っ張れば、ちぎられたくないので、するすると出てきます」
その様子を、カマルがリリアと一緒になって、興味津々と見つめていた。
「わー、俺、こんな植物はじめて見たなぁ」
「妖怪国の中央に生息しているものですから、化け狸の土地では見掛けないでしょうね。こう見えて最弱の植物のあやかしの一種です」
「だから『ちぎられたくない』と言ったのね」
「そうです。そして、この根から一本ずつ生えているのが、あやかしが術で使う部分の『逆さ草』です」
アサギが、指を向けてそう説明した。
新緑色の細い根には、間隔を開けて一本ずつ小さな草が生えていた。人差し指ほどの長さの細い茎、その上に、四枚からなる小さなひし形の草がある。
それを一本ずつ取っては、微力に妖力を入れて結んで繋いでいくという作業をした。
地道で細かい作業だった。じっと座り込んで、細い茎が千切れないように結んでいく。妖力が大きすぎるとボッと火がついた。
「あつっ」
――が、そのたび、熱いと訴えるのはカマルの方だった。
どうやら、妖力が高いあやかしほど平気であるらしい。アサギが同じように妖力を込め過ぎて『逆さ草』を弾けさせると、その飛び火にも騒ぐのは、カマル一人だった。
「アサギさんっ、わざとじゃないですよね!? ――ぐえっ」
直後、カマルの顔面が原に埋まった。
「『様』を付けてください。私は伯爵家の執事、そしてあなたより格上です」
「お、俺に対してのみ、すごく厳しい」
「今回、姫様に余計な頼みごとをして、余計な労力をさせているんですよ。それ分かっているんですかね」
「『余計』って、二回言った……はい、すみませんでした」
リリアとしては、妖力のコントロールの訓練になっていいかなと思っていた。次第にコツが掴めてきて、歪ながら草が繋がっていく様子には達成感も覚えた。
休みを挟んで作業に没頭した後、夕暮れにアサギが一時撤収を告げた。
「実は、小さい狸に頼み込まれて、協力することになりました」
屋敷に戻ってきたツヴァイツァーに、経緯がざっと報告された。
使用人一同も集められたメインフロアで、カマルが狸姿に戻って見せると、彼らと一緒になってツヴァイツァーも「おぉ」と目を輝かせた。
「可愛いなぁ。あっ、もふもふだ!」
「前触れもなく俺を持ち上げましたよこの伯爵様……あの、いちおう大人なので、抱っこされるのは恥ずかしいです」
大人と言われても、全員ピンと来ていない様子だった。狸姿もそうなのだけれど、人型に変身すると少年姿なのも原因だろう。
「結婚のために頑張っていることは、よく分かったよ。夜になると、外は真っ暗だ。終えるまではウチに泊まっていけばいいよ」
ただし、リリアは婚前の娘なので、屋敷の中で過ごす時には、動物姿でいることが条件となった。
そういうことでツヴァイツァーの許しもあって、その日から、化け狸カマルとの生活が始まった。
喋る動物が歩いているみたいで可愛いと、屋敷の者にも初日からカマルは人気だった。大人のオスなんですがとアサギがツッコミしても、みんなにはペット枠なのか、リリアと同じ部屋で寝泊まりした。
「まぁ、結婚予定の
食事の席で、アサギが拳を掲げて真剣な顔でそう言った。
狸姿のカマルは、客人扱いで食事の席に同席していた。小さな前足で器用にスプーンを持ち、美味しそうに食べる様子を、使用人達が「かわいー」と見ていた。
「ははは、アサギは厳しいなぁ」
ツヴァイツァーが笑う声を聞きながら、リリアはもふもふ狸の食事風景に、同じように癒されていた。
「これ、食べてみる? あ、狸も大丈夫だったっけ?」
「俺、化け狸だから基本的になんでも平気ですよー。へへっ、メイも、すごく料理上手なんです」
惚気を口にしつつも、カマルが「お言葉に甘えて」とフォークを伸ばし、リリアから寄越された皿の上の料理を、ぱくんっと口に入れる。
もっぐもっぐする彼は、大変ご満悦そうな表情だった。もふもふとしたほっぺが動いていて、幸せそうに目元も緩んでいる。
その様子を、扉の向こうからこっそり眺めていた料理長やコック達が、狸にも好評価な味なのだと分かって感動していた。
そのかたわらで、執事としてそばに立つアサギと、屋敷の主人であるツヴァイツァーの話は続いていた。
「旦那様が『結婚する相手がいる』という話だけで、信用しすぎなんです」
「だからアサギも一緒に寝泊まりさせているだろう? はぁ、本当は俺が一緒にリリアと寝たいけど、お前が放電期だというから」
「そこでグチグチ言わない。放電から守らないといけなくなるんで、俺が休めません」
――事実、カマルはリリアのクシャミで、何度か若干焦げてもいた。
その日も、翌日も、大きな岩のあやかしをどかすための下準備作業は続いた。
量はだいぶたまってきた。慣れ出して、一同の作業効率が良くなったためでもある。
そんな折り、いつもはないことが起こった。
「あの、お嬢様。お手紙が届いています」
「手紙?」
学院を休んだことで、手紙を寄越してくるような間柄に覚えはない。
手紙を持ってきた女性使用人が、戸惑いがちに差し出してくる。疑問に思いながら受け取ったリリアは、宛名を確認して少し驚いた。
そこには、サイラスの名があった。
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