一章 半妖令嬢と溺愛父と執事狐

 お騒がせな王都の〝あやかし大騒動〟から数年後――。


 天孤であるオウカ姫の娘は、夫のレイド伯爵のもとですくすくと育ち、今年で六歳になった。


 名前はリリア。母譲りの大きな金の瞳に、父親譲りの柔らかな薄金色の髪。顔立ちは幼いながらに、美しい母と、元気で精悍な父を足して割った可愛らしさがある。


 ――のだが、将来さぞ美人になるだろう、という儚い雰囲気も台無しだ。


 今、リリアは、大変苛々していた。


 自室で授業を受けている彼女は、唇をへの字にして思いっきり眉を寄せ、淑女あるまじき表情と態度で不満を露わにしていた。

 

 彼女は勉強が嫌いである。部屋でじっと勉強を受けているのは苦痛で、そんなことをしているより父であるレイド伯爵、ツヴァイツァーと畑仕事をしていたい。


「いいですか、姫様。ご令嬢たるものマナーは大事です。はいっ、まずは足をテーブルに置かない! そこは勉強するための机ですからね? それから、変な風にだらしなく座らないでください、あと男性みたいに腕も組まない!」

「これは断固拒否の姿勢なの。茶会のマナーはもう頭に叩き込めているし、また同じことで無駄な時間とられるのは、癪」


 リリアは伯爵家の執事にして、自分の教育係であるアサギを睨んだ。


 アサギは、二十代前半の外見をした若い男だ。この地方では珍しくもない黒い髪に、これといって特徴のない平凡な顔と細い身体をしていた。


 ――だが彼は、実のところツブァイツァーが生まれた時から、いる。


 レイド伯爵家の執事は、代々妖怪国から来た妖狐が勤めていた。


 アサギは、次の当主の執事にと、妖怪領から派遣されてきた黒狐だ。作法も完璧に習得し、ほとんどの時間を人間に化けて過ごしている。


「はぁ。姫様って妙なところだけ覚えが早いというか……それでは、妖怪国についておさらいしましょう。あなた様は、人間界と妖怪国、どちらも学ばなければなりません」


 疲れ切ったように肩を落としたアサギが、人間界の学習本をいったん閉じて机の上に戻した。


「旦那様が持つ妖怪領は、オウカ姫との結婚でさらに増えました。それが、俺が元々いたオウカ姫の持つ領地の一つです。これは成人した際、姫様にそのまま譲られる領地です。しかし妖力が強いほど偉いのが、我が国の特徴でもありますから、立派な天孤の大妖怪となられたら、姫様にも自身の領地を王より与えられるでしょう」

「でもアサギ、妖怪国の領地統治をできるくらいの大妖怪って、長生きして経験積まなきゃなれないんでしょ? 私、半分は人間だって、何度言ったら分かるのよ」


 リリアの頭には、母と同じく狐耳が付いていた。しかし、生きた年数により増える、という妖力の強さを表す尻尾は、人型の時にはない。


「ですから、以前も説明しましたが」


 ぶすっとしたリリアに『待て』と手で制し、アサギが「またかよ」という表情で続ける。


「上位のあやかしは、膨大な妖力を持て余すため、自然と人型をとるんです。仔狐である貴女にも、ちゃんと尻尾があるのは確認済みです。狐の姿をした時、ご自身でも『尻尾がある!』とおっしゃっていたじゃないですか」

「でも、母様は人の姿をしていても、美しい大きな尻尾が〝たくさん〟あったわ」

「オウカ姫クラスになると、膨大な妖力を抑え込むために尻尾は必要なんです。二十一番目の姫君も母は人間でしたが、今は一千年を超える大妖怪です。姫様が人間混じりなのも、時間の問題でしょう」


 ――妖怪国に行けば、もっと早く立派な妖怪になれる。


 アサギが、またしても口癖のようにそうシメた。


 ずっと人間界にいるわけではない。強い妖怪ほど、ここは生きにくい場所なのだと、彼はリリアに教え続けていた。


 妖狐は、毛色で格が分かれている。


 人型である時、リリアの髪色はプラチナブロンドだが、仔狐の姿だと母と瓜二つの見事な黄金色だった。それは最上級の天狐である。


 ……狐姿だと視界が低くなるので、リリアは好んで変身したりはしないけれど。


「黒狐は中級で、白狐と並んで代々金狐の側仕えです。人間に化けるのも馬鹿みたいに妖力を消費するのに、俺はこうして完璧に人間に化け続けているでしょう?」


 ふふん、とアサギは自慢げに胸を張って手をあてる。


「つまり俺は、簡単に言えばエリート狐だということですよ!」

「そんなの聞いてないしッ」


 もう、じっと話を聞く集中力も切れた。リリアが机を叩いて主張した拍子に、小さな閃光が歪に走り抜けて、アサギが「ぎゃッ」と飛び上がった。


「やめてくださいよ姫様っ。前にも説明しましたがその雷撃は狐火より熱度が高いんです! というか、炎が出せないで初っ端から雷撃って時点で、もう姫様も立派な大妖怪――」

「外はこんなにもいい天気なのに、父様だけ畑とかずるい!」

「あ、そっちですか? ははは、オウカ姫の機嫌がいい証拠でしょう。あれほどの大妖怪ともなると、機嫌でも天候が左右されますからねぇ」


 そう言いながら、アサギが妖怪国用の本を広げる。


「さて、それでは領地の周りの地図をおさらいしましょう」

「まだ勉強させる気なの!? もう知らないっ、昨日も部屋の中でじっとしてなきゃいけなかったのに、アサギのバカ!」


 可愛らしい犬歯を覗かせた直後、リリアの身体がふわりと浮く。


 慌ててアサギが掴まえようとしたものの、彼女はスカートの下に着たズボンの足を、ひょいっとしてさけた。


「じゃ、父様のところに行ってくるから」


 くるっと空中で振り返り、リリアは彼を見下ろしてキッパリ告げた。


「えぇぇッ、いや駄目ですって!」

「ならアサギも付いてこればいいじゃない」


 そう言うなり、リリアは開いた窓の向こうへ飛び出した。


 その途端、目に飛び込んできた豊かな緑の土地と青空にわくわくした。新鮮な空気を、胸いっぱいに吸い込むと気分は一気に上がる。


「やっぱり天気がいい時は、こうこなくっちゃ!」


 やんちゃなリリアは、大好きな父の領地を見るべく更に高く浮かび上がると、彼がいる場所を目指して空を飛んだ。


 窓から飛んで出て行ったリリアの姿が、小さくなっていく。


 その後ろ姿を茫然と見送ってしまったアサギは、ハッと我に返った次の瞬間、あとを追うべく部屋を飛び出した。


 すれ違う使用人達が、大慌てで階段を駆け下りる彼を見た。一度だけ手を止めたものの、すぐいつものことかと察して各々の仕事へ戻っていく。


 ――リリアを追うにしても、人の目がある場合、アサギは〝能力も人間に合わせなければならない〟。


 今のところ、アサギが妖狐の黒狐であると知っているのは、当主のツヴァイツァーだけだった。


 これまで代々の執事は、みんな当主以外には正体を明かさず仕えてきた。


 だが今回、めでたくも久しい〝姫〟が新たに誕生した。リリアの教育のためにも、妖怪であることを打ち明けた方がいいのでは、という話が妖怪国の方でちらほら出始めている。


 しかし、まだ決定していないことだ。


 空を飛ぶとなると、人の姿を解かなければならない。だからアサギは、人前で力を披露するわけにもいかなかった。


「マジで勘弁してくださいよっ。俺は狐の姿に戻らないと空も飛べないってのに、あの仔狐は……!」


 困ったことに、リリアは『半分人間だもん』の言い訳が通用しないくらい、立派な大妖怪だった。


 教えてもいないのに妖力を一部使いこなし、あの通り、移動手段に空を飛ぶということを平気でやってのけている。


 下位の妖狐だと、空中浮遊するまでの妖力が育つまで、もっと年月がかかる。


「俺でも長距離飛行は二十年かかったっての!」


 屋敷を飛び出したアサギは、口の中で愚痴った。


 リリアは父親のところで地面に降りるだろう。そう考えながら、ツヴァイツァーのいる畑に向かって全力で駆けた。



 ――その後、合流した先で彼はリリアを確保すると、大妖怪なのにまだまだ何も知らないでいる、という危機感が全くない六歳の彼女にお勉強させるべく、屋敷へと連れ帰ったのだった。

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