(殴られた)ヒロインの復讐激励

渡貫とゐち

第1話 続く罰

 十二歳の時だった。

 あたしは同級生の男の子に殴られた。


 あたしよりも背も小さく、力も強いってほどじゃなかったけど、殴られた時はものすごく痛かった。一瞬だったので、頬に当たったのか、鼻に当たったのかは分からなかったけれど、気づけば鼻血が垂れていたので鼻に当たったのだろう。


 遅れて涙が溢れてきたのが印象的だった。

 驚きが痛みを一時的に消してくれていたけど、やっぱり痛いことには変わりなくて……、涙と同時に顔全体に広がる痛みが、あたしの視界をぼやけさせた。


 それからだった。


 あたしが彼のことを意識するようになったのは。



「みっちゃん、昨日の放課後、後輩から告白されていたけど……またふったの? 一年生の中で噂になってるよ。『三年の蜂堂はちどう先輩には許嫁がいるのかも』ってね」


「許嫁なんていないわよ。確かにあたしの家はちょっとだけお金持ちだけど……、別に政略結婚が企てられるほどの家じゃないもの」


「許嫁じゃなくても、好きな人はいないの? 同級生? それとも年上の……高校生? それとも大学生だったり、さらに大人だったり……きゃー! でもおじさんはやめておきなよ」


「ないから」


 親友の百面相に苦笑する。一人で盛り上がっていたと思えば、急にシリアスになってあたしに忠告をしてくれる……、小学生時代からの親友は、変わらず今もあたしに優しかった。


「好きな人はいないのよ。今はそんなことよりも勉強しないと。良い高校、良い大学、安心安定の大企業へ就職しなさいって、お父様に言われているから」


「ふうん。お父さんの顔を使って、有利に就職できるわけじゃないんだね」


「だからあたしはそう分かりやすいお金持ちじゃないから……、本当のお金持ちはそもそも普通の中学校には通わないでしょ。

 あたしがお金持ちだったら、翔子しょうことも、たぶん出会えていないと思うし……」


「そっか、お金持ちの周りにはお金持ちが集まるもんね」


 みっちゃんがお金持ちじゃなくて良かった、と言ってくれる。

 あたしと出会えたことが『良かった』ことだと言ってくれる翔子……。


 絶対に、この子は手離さないと誓おう。


「そうよ。だからあたしはお金持ちじゃなくて、みんなよりはちょっと裕福な家庭の、ごく普通の子供だと思ってほしいわ」


「でも、小学生の時はやっぱり、家の大きさを盾にしていた部分もあるでしょう?」


 ニヤニヤ、という顔を見せられながら。

 そう指摘されて、あたしは、ふい、と視線を逸らす。

 ……若い時のことは思い出したくもない。


 大した家でもないのに、「お父様が」「お金が……」と自慢したり、クラスメイトを脅したりしていたのは完全に黒歴史だ。

 あたしにはなんの権力もないのに……お父様だって、あたしが「~して!」と言ったところで行動することもなかっただろう。


 ただ、「あれが欲しい!」という期待には応えてくれていたけど。それだって二つ返事ではなく、多くの調整の上で叶えてくれたのだ……。

 お金持ちなら、「欲しい」と言うまでもなく、たぶん既にあるか、あたしが自力で手に入れてしまうかだ。


 だから『あたしはお金持ちではない』と早くに気付くべきだった……まったく、痛い子だったよ、あの頃のあたしは……。


「ねえ、みっちゃん……恋人を作らないのは、まさか『あいつ』のことを気にして……?」

「違うから。そんなんじゃ――」


 と、話題にしてすぐ、予鈴と同時に教室へ入ってきた男子がいた……。教室で浮いている彼は、名を東雲しののめと言って――、小学生の時、あたしを殴った男の子だ。


 当時よりも背が伸び、あたしよりも高く、筋肉もついて男らしい体になっている。

 そんな彼を見て、過去の事実が明るみに出てしまったから――当時はあたしの方が大きかったのに、今の彼があたしを殴った、という風に誤解されてしまっている。


 そのため、当時のことを知らない生徒も、彼を非難の目で見ている……女子だけじゃなく、男子も。だから彼は、教室どころか学校でも浮いてしまっていた。

 いじめられているわけではないと思うけど……だけどあたしの見えないところでいじめられていたら、分からないのだ……。


 彼は不登校にも不良にもならなかった。

 真面目に学校へきて、勉強をして……でも部活には入っていない。

 彼が笑っているところを見なくなったのは、当然、『あの日』からだった。


 あたしを殴って、反省して――きっと多くの大人から怒られたのだろう。

 中でもあたしのお父様の怒りは天井知らずで、それは当たり前の感情なんだけど、十二歳の男の子にするべき説教の仕方ではなかったと、あたしでも思う。


 顔に傷が残っていたらと思うと、あたしは自分のことよりも彼のことを心配する。

 お父様は一体、どんな罰を彼に与えていたのだろうか……と。


 彼はあの日から、友達と遊ぶこともなく、スポーツに打ち込むこともなくなった……と聞いている。スポーツの才能があったわけではないから大丈夫、と彼は言っていたけど、やっぱり続けたのだろうと思う。

 あたしは確かに、殴られた被害者だけど、でも――、反省という名目で彼から『遊び』と『スポーツに打ち込む時間』を奪ってしまったのは、彼から『青春』を奪ってしまったも同然なのではないか……。


 どうして勉強をしているの?


 お父様が彼に与えた罰だからだ。


 勉強は無駄にはならない。

 そう考えたお父様の、厳しさの中の優しさ、なのだろうけど……。


「みっちゃんのせいじゃないでしょ。殴ったあいつが悪い」


「ううん、あたしが悪いの。当時のあたしは近づく男子の全員を小ばかにしていた性格の悪い女の子だったから……殴られてもおかしくない地雷を踏んじゃったんだと思うのよね……、自覚はないけど。どの言葉が東雲くんに刺さったのか……未だに分からない」


 どの一言が? と探すよりも、どの言葉が刺さらなかったのかを探した方が早そうだ。


 殴られてもおかしくないことばかり言っていたのに、東雲くんに殴られた一回だけだったのは、あたしが女の子だからだろう。

 やっぱり精神的な抵抗があって、でもそれを突破したのが、東雲くんだけだった……。


 暴力はもちろんダメだけど……、暴力一つであたしの非が帳消しになってしまっているのは、モヤモヤする……。あたしはあたしで、二年以上も抱え込んでいるわけだ。


 頭の中は彼でいっぱいだ。


 だけどこれは、『恋心』ではないと言える。

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