消えた五人目(4)
同僚を怒鳴りつける三鬼を、マサルは恐怖に見開いた目で見つめていた。普段は自身が暴力を振るう側であるのに、すっかり委縮した様子で震える手を伸ばし、シャツの内側に突っ込んで漁り始めた。
彼がシルバーの携帯電話を取り出したのを見て、宮橋が三鬼の手をあっさり外し「与魄少年の番号を出すんだ」と指示した。馬鹿力の一端で手首を軋ませられた三鬼が、「ぐおぉ……くっそ、あとで覚えてろよ」と痛みに悶絶する。
その時、近くから黒電話のような着信音が小さく上がった。
怪訝そうに「あ?」と振り返った三鬼の視線の先で、真由は自分のジャケットのポケットの中で震える携帯電話に気付いた。取り出してみると、その音は桃色の携帯電話から鳴っている。
ボリュームを半分ほど絞られた、遠慮がちなベル音だ。昔ながらの黒電話の音というのも古風で、藤堂が「女の人にしては、少し変わった着信音ですね」と持ち主を気遣うように言った。
しばし着信の点滅ランプを見下ろしていた真由は、色気もなく思いっきり眉根を寄せた。
「私の着信音、こんなのじゃないですよ」
「へ?」
藤堂が間の抜けた声を上げるそばで、真由は携帯電話の着信画面を開いた。そこには、見慣れた『小楠のおじさん』という表示が出ていて、覗きこんだ彼が首を捻る。
「『おじさん』……?」
「ウチのお父さんの友達で、昔から家族で付き合いがあるんです」
「なるほど。そう言えば、橋端さんのお父さんって『橋端警視』だっけ」
向こうで宮橋の脇に立ったままの三鬼が、二人の後輩たちに「どうしたよ」と疑問を投げかける。二人は、ほぼ同時に「小楠警部だったんですね」「一体何事かと思いました」と口にしていたので、聞こえていなかった。
とはいえ、発信者が誰であるのか分かったものの、真由は唇をへの字に曲げてしまっていた。今に限って、どうして着信音が違うのだろうと思う。
「こんなところで黒電話の着信音とか、持ち前の低い女子力が、更に下がるようでいたたまれない…………」
「あ~、まぁ、その、気にしなくて大丈夫ですよ。普段は違うって分かったし……。うっかり間違えて、警部専用に着メロとして設定しちゃったとか」
「そんな事していませんよ。女仲間のアドバイスで、色気のない着信音は設定しないように気を付けてますもん」
その声を拾いながらやってきた三鬼が、開かれている携帯電話の着信画面に目を留めて、ようやく疑問が解決したと言わんばかりに「小楠警部か」と吐息混じりに言った。
プライベートで知り合いとか羨まし過ぎるだろ、と口の中に個人的な感想をこぼしつつ、三鬼は背を起こしてしばし考える。
「そういえば、ここに来るって言ってたからな」
「そうなんですか? じゃあ、その件で橋端さんに連絡入れたんですかね?」
「あの人はプライベートと仕事はきっちり分けてるし、普通なら俺か、宮橋のところにかかってきそうだけどな」
そう続けて踵を返した三鬼は、戻ろうとした場所にいる宮橋の姿を目に留めて、顔を顰めた。真由と藤堂を見つめている彼は、顎に手を当てて小さく頭を傾けており、彼にしては珍しく『あからさまに真剣に考え事をしている顔』だった。
真由もそれに気付いて、こちらを見ている宮橋を見つめ返した。携帯電話からは、急かすように着信音が鳴り続けていて、自分がもう長らく小楠警部の着信を無視している状況であると遅れて理解し、そこに目を戻した。
「――取らない方がいい」
宮橋が、思案げに呟いた。時間を気にしているのだろうと勝手に思った真由は、ここで相棒としてしっかり役目を果たそうと考えて、にっこりと笑い返した。
「大丈夫ですよ、さくっと用件だけ聞きますので、時間は取りません」
そう答えて、携帯電話を耳にあてて「小楠警部、こちら橋端です」と言った。そばから話を聞くようにして、藤堂が受話器側に耳を寄せる。
電波が悪いのか、ややノイズ混じりだった。
「小楠警部? 聞こえますか?」
その直後、宮橋が顔色を変えて駆け出した。
「真由! 通話を切れ! 今すぐにだ!」
滅多に大声を出さない彼の怒号が、緊迫感を伴って辺りに響き渡った。初めて『君』も付けない状態で下の名前を呼ばれた事もあり、真由は両方の驚きで「何事!?」と飛び上がって、反射的に彼の方を振り返っていた。
耳元から僅かに離れた桃色の携帯電話を、ふと見やった藤堂が、ギョッと顔を強張らせた。反射的に手を動かすと、まるで害虫でも払いのけるかのようにして、真由の華奢な手から携帯電話を叩き落とす。
気付いた真由が「ちょ、何すんの!?」と叫ぶのも構わず、藤堂が彼女を庇うように後ろへ引っ張り、地面に落ちた桃色の携帯電話を蹴り飛ばした。地面を滑った携帯電話が、フロント部分の凹んだ軽自動車のタイヤに、こつん、と当たる。
「よくやった! 藤堂!」
そう宮橋の声が上がった時、気圧が下がるような低い振動が一同の鼓膜を叩いた。
不意に、大型トラックの事故に巻き込まれて停車していたその無人車が、四方から強い圧力を一気に加えられたかのように軋みを上げて歪んだ。それに目を留めて、真由は「へ?」と、藤堂と三鬼と揃って間の抜けた声を上げていた。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。ギシリ、と嫌な音を立てた直後、車の内側の空間が完全に潰れてガラスや部品が砕けて飛び散り、乾いた音を上げて地面を転がる。一気に破壊された車に気付いて、近くにいた人々が振り返った。
「一体何があったんだ!?」
「分からん、爆発でもしたのかっ?」
「危険ですので、皆さん下がってくださいッ」
騒ぎだした一般市民と警察官を脇に、宮橋が苦々しい顔で「――随分と大きくなったもんだ」と呻る。
その一部始終を見ていた真由たちは、言葉も出ずに、潰れたその軽自動車を見つめていた。もし藤堂が自分から携帯電話を引き離さなかったら、こちらがそうなっていたのだろうかと想像して、まさかと思いながらも血の気が引いてしまった。
同じことを考えたのか、目撃者となった三鬼、藤堂、そして、壁に座りこんでいた田中と竹内の二人も、茫然と視線を釘づけたまま動けないでいた。
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