捜査一課「L事件特別捜査係」(1)

 防音設備が完全ではない小さな室内で、橋端(はしばた)真由(まゆ)は、直属の上司となった『小楠(おぐし)警部』と向かい合っていた。けれど、そこにはまるで緊張感はない。


「え? 何係りですって?」

「L事件特別捜査係、ロスト・レポートのLだ。先程にも説明したように、少々こみあった特殊なタイプの物や、難解な事件に取り組んでもらっている」            

「はあ……。あの、それで、私がそこに配属されるわけですか?」

「そうだ。君にやってもらいたい」


 主に凶悪殺人や組織密売などに長年携わっていた小楠は、大柄で威圧感のある男だ。深い皺の刻まれた小麦色の顔には、彼の激動の刑事生活を物語るような、いくつもの傷跡が残っている。

 一番に目立つのは、左目下から外側へ向くように入った、大きな切り傷だ。焼けた黒い顔には、それが白く浮かび上がっている。何年も前に大きな事件を担当していた時のものらしいが、理由を知っている者はほとんどいないらしい。


 橋端真由は、警察学校を卒業して四年目になる。昨日、捜査一課に異動してきた二十六歳の新米女刑事だ。前日は小楠と共に紹介を兼ねた挨拶回りを行い、今日は自分のロッカーを整えて荷物を運び終えたところである。しかし、席に関してはまだ用意されていなくて、それを少し変だなとは思っていた。


 膝が半分隠れるスーツのタイトスカートに、下が大きく波打ってしまう艶やかなセミロングの黒髪を、こざっぱりと後ろで一まとめにしている。同性の同僚達よりも一回りサイズが小さく、華奢な体格をしていて童顔だ。容姿は美人とまでは言えないが、可愛らしい部類には入るだろう。


 真由が呼び出されたのは、遅くなった昼食のあとだ。捜査一課の異動を喜んでいた中で、聞いたこともない係りに自分が回されることについて聞かされ、薄化粧の顔を怪訝そうに歪めていた。この署内でも、小楠にそんな態度を取れる若い女性というのも珍しい。


 少し不器用で、どんな仕事にでも一心に取り組もうとする努力家。何より飾らない自然な態度や、男女を分け隔てない裏表のない性格が好かれている彼女の父親は、実を言うと警視である。


 小楠は父の友人で、幼心ついた時から、真由は父と同様に凶悪面をしたその顔を見慣れていた。プライベートでは彼のことを、『小楠のおじさん』と呼んでいる仲である。

 

「待ってください。えぇっと、その、Lなんとやら……――」

「L事件特別捜査係」


 小楠が凶悪面を顰めたまま、けれど的確に補足する。


「そうそう、それです。聞いた事もない係りなんですけど」

「うむ、ウチの捜査一課独自のものでな……――いくつか他県にも、同じ類の事件を扱う部署はあるが」


 小楠は『独自』を強調しつつ、けれど説明が難しいとでも言うかのようにして語尾を濁した。彼は顔の皺を更に深くして、疲れたようにふうっと息を吐き出し、それから机の上で手を組んだ。


「実は、我々も『彼』の扱いには困っている。これまで色々なパートナーをあてがってきたが、どれも数週間ももたなかった。早い時は数日も経たずに――」

「ちょっと待ってください。『彼』って?」

「L事件特別捜査係の、ただ一人の刑事だ」


 小楠はむっつりとして、唇をへの字に曲げた。質問の多い奴だな、と言わんばかりの顔である。


 対する真由は、片眉をつり上げた。どうにも胡散臭い話だ。腑に落ちない事は多々あり、「そもそも」と彼女は上司となった彼に問うた。


「それって、まるで彼のために作ったみたいに聞こえるんですが」

「まさにその通りだ。上層部と私の判断で、十年ほど前に立ち上げた。しかし、規則もあって一人で行動させるわけにもいかん。何しろ、奴の行動は未知数で――」

「えっ。まさかですけど、自由勝手に行動する人だから見ていろ、的な感じでもあるんですか?」


 また質問かよ、と再び言葉を遮られた小楠は「むぅ」と口をつぐんだ。


 容姿だけからすると、あの二人の子供だとは思えないほど誠実で気取らない娘なのに、就職してからというもの、どうしてあの友人の厄介な所の性格だけ、ちょくちょく似てくるんだ? 


 目をそらした際、口の中で悩ましげにこっそり呟いて、小楠は咳払いをして「真由君」と上司らしく呼んだ。


「まぁ、それも少なからずは含まれている。相棒としてそばにいて、ぶっ飛んだ行動に出そうになった時には軌道修正してくれたら尚、助かるんだが」

「いやさすがにそれは無理ですって。どんな人なのかは知りませんけど、私、刑事課には来たばかりですし――」

「だからこそだ。新米のほとんどは、初めに彼と組ませている。まぁ相性が良ければそのまま、という計画だったんだが、なかなか上手くいかなくてな……」


 今度は仕返しのように彼女の言葉を遮ってやった小楠は、けれど途中で、難しい顔で顎に手をやった。


 真由は断れそうにもない雰囲気を感じ取り、口をつぐんだ。周りの反対を押し切り、父親のあとを追って無理やり刑事の道を進んだのだ。仕方なしにそれ受け入れる覚悟を決めて、ここまで『小楠のおじさん』を悩ませているらしい珍しい人間がいる事を不安に思った。


「あの、私が組まされるとかいう『彼』って、一体どんな人物なんですか……?」

「ウチの問題児だな。宮橋財閥の次男で、趣味で刑事になった変わり者だ」

「えぇぇ…………」

「そういう反応をするのも、分からないでもない。だがな、彼はうちにとって『なくてはならない人間』なんだ」


 小楠は真面目な顔をして、立ち上がりざま窓の外へと顔を向けた。


「迷宮入りになっている不可解な事件が、年間どれだけ起こっていると思う?」

「不可解な事件、ですか……?」

「表沙汰にされていない、奇妙でおぞましい――まるで怪談みたいな事件だ」


 言われた真由は、少し考えてみた。冗談なのか本気なのか分からないが、慎重に答えてみる。


「あまり、そういう話は聞いた事がないですけど。ただ、昔に『神隠し事件』っていう大きなものがあったらしいですね。こっちにくる時にも、チラリと噂は耳にしましたよ」


 内容を深く知っているわけではないので、途中言葉を切って、その事件を思い出そうとした。己の記憶力のなさに声量をやや落として、こう続ける。



「捜査員たちの目の前で、刑事の一人が腕を残して消えた、とかなんとか……?」



 自信がなかったので、真由はそこで口を閉じた。

 学生時代に起こったその事件を彼女はよく知らなかったし、県警に入ってチラリと耳にした噂は、起承転結も曖昧だったのである。まさに怪談じみていて、話す同僚たちは、どれも「作り話だと思うけどね」と面白がっていたものだ。


 一瞬、小楠の肩が僅かに強張ったが、彼はそれを悟らせないように真由を振り返った。


「まあ、そんな都市伝説もあるな」


 語尾をわざとらくし強め、そう前置きして小楠は続けた。


「不可解な事件には、なんらかのトリックがある。しかし、トリックさえも見つけられない事件というのは、僅かながら確かに存在する。――そして、それはウチが一番多い」

「え?」

「土地柄的なものかは分からんが、ここでは不可解な事件が全国で一番多く起こっている。それに対応するのが、彼のいるL事件特別捜査係だ」


 言葉を切って再び窓の外を見やった小楠の横顔には、複雑な表情が浮かんでいた。まるで、これまでの記憶を手繰り寄せるような彼の過去には、冗談では済まない重い真実があるような気がして、真由はしばらく掛ける言葉を探せなかった。


「えっと……『彼』なら、そんな事件を解決してくれると……?」


 ようやく、彼女はそう訊くことができた。本当にそんな事が起こり得るのだろうか、と自分なりに少しばかり考えてみて、よく小説にある探偵のような人なのかなあ、と思ったりする。


 小楠は視線を戻して「そうだ」と、深く頷いた。


「少し性格に難はあるが、どうか頑張って欲しい。彼に何かあった場合、宮橋財閥から何を言われるか分からんしな。特にあいつの兄貴が実に嫌だ――おっほんッ。本当に、そんな事は全く考えたくもない」


 つい私語をこぼしてしまった小楠は、顔をそらして苦笑を浮かべた。「やれやれ」と芝居じみた仕草で、太い首元のネクタイを締め直す。しかし、自身の顔についた大きな裂傷痕に触れた際、硬い表情をしてしまっていた。


 真由は、父親の友人としては知っていても、刑事である小楠をよくは知らなかった。けれど、まるでL事件特別捜査係の彼を心配しているみたいだ、と小楠の横顔にそんな事を思う。それを尋ねてみようとしたけれど、彼が先に口を開く方が早かった。


「いいか。相棒として、いつでもそばにいて一緒に行動するんだ。絶対に『一人にさせるな』」


 小楠はそう言葉を締めくくった。その『彼』が突然消えてしまうことを恐れているみたいだ、と問いかけようとした真由は、彼が悲しい事でも思い出したかのように黙りこんだのを見て、困惑しつつも部下として了解の意を示した。


 そもそも、そんな事あるわけないじゃない。たった一人のためだけに係が出来て、その人が唐突に消えてしまう可能性を考えるだなんて、どうして私は、そんな事を思ってしまったんだろう?


 L事件特別捜査係であり、ただ一人個室を与えられているという彼の元へ案内する小楠に続きながら、真由は一瞬でもそう感じてしまった自分を、不思議に思った。

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