「はい」の意味は?
“最近の女は駄目になった。何故か? それは
モリタの家ではずっと以前から食事の後の食器は各自シンクまで持って行くことになっていたが、最近はさらにハードルが高くなり、シンクまで洗い物を持って行ったら帰りに布巾を持ってきてテーブル拭くところまでがモリタの使命となった。が、決してないがしろにするつもりはないが、ついうっかりしてしまうことはある。そんな時は
「布巾!」
と嫁ヨシエから罵声が飛んでくる。・・・時には布巾も飛んでくる。
「何回言えばわかるが!ちゃんとルーティンにするが!」
「うん、わかった」
「アンタ “わかった” いうてどういうことかわかっとる? 理解して次回から何も言われんでも確実に行動に移せることを言うがいよ! まさか、ただ返事しとらんよね?」
毎日ではないが、ヨシエが疲れている時はモリタが台所の洗い物をすることもある。忙しそうにしているのにマイペースでいると大きなペナルティを背負う事になることはこの20年余りの結婚生活で体得したつもりだ。時間がかかっても洗い残しのない丁寧な仕事が求められることも十分承知している。そして、このようにひたむきさをアピールすることで、5回に1回くらいは、
「はい、もういいよ。あと、アタシが洗っとくちゃ」
と、恩赦があることも。
素直に甘えることにして、手についた洗剤の泡を洗い流していると
「はぁーーーーーー、アンタどうしてそんなに役立たずなが? 泡を流すとき、どーして皿の1枚でもすすがんが? 要領の悪い。ホントに仕事できん人やね。前にも言うたけど、どんな動作にも兼用できることないか考えるが。 わかった?」
「・・・・・はい・・・」
「ねえ、アンタ “はい” の意味、ホントに解っとる?」
「・・・はい、注意されたことは確実に実践して、2度と同じ指摘をされないようにすることです・・・・・」
「わかっとるがに何でできんが? ちょっとぼやーっとしすぎでないが? 目え開いとる? 前頭葉ちゃんと起きとる? アンタ、前に新卒の女の子入ってきたが2日で辞めてった、言うとったけど、アタシが本気出せば2時間で辞めさせることできるわ。アンタみたいながが勤まる会社を辞めるっちゃ、どんなレベル低いがけ! まあ、アタシはアンタと違ごて相手見て柔軟に対応できるし、上手に教えることもできるから辞めることもないやろうけど」
『子ども叱るな来た道だもの。大人笑うな行く道だもの』
時々この言葉を思い出し、自身の言動がその時本当にふさわしかっただろうか? と考えることがある。また、周りの先輩を見ながら、どのように年を重ねていこうか、その知恵を身につけていきたいと思うようになったこの頃、強烈な事例が目の前で展開された。
今年、米寿になったモリタの父が夕方、食事の支度をしているヨシエの傍で
「バナナでも食べるかな?」
と呟いた。刹那、
「バナナでも??・・でも、っちゃなんけ!でも、っちゃ! そんなにひもじいがけ! それともアタシがちゃんとしたもん食べさせとらんいうがけ! 無理して食べてもらわんでもいいし! もう少し待っとればご飯やないけ!」
と激高。にもかかわらず、空気の読めない父はバナナを食べた。その直後の食卓、父の茶碗にはかき氷のようにご飯が盛られている。
席に着いた父が絶句してヨシエをチラ見するが、ヨシエは決して目を合わさない。一切の抗議は受け付けない! 誰のとりなしも拒否!という空気が茶の間を支配していて、モリタも口がきけない。
・・・・・父は食べた。 ただ、食べるしかなかった。
昔は無茶苦茶で
「こいつさえいなければ」
と何度も思った父も今では好々爺に近づきつつある。
おかげさまで現在でも体がそれなりに動くので機械を使って田んぼの畔の草刈りをしてくれるのはホントに助かる。が、ここからはド田舎の面倒くさい所。暇を持て余した年寄連中が車であちらこちらをうろつき、
「アンタとこのじいちゃん、この暑いがに田んぼの草刈っとったぜ。ホンマきっついちゃあ!」
と声をかけてくる。
これを額面通り受け取ってはいけない。決して元気な父を称賛しているのではなく、むしろ田んぼ仕事が追い付いていないモリタに対するイヤミだ。さらに地元の自動車修理工場に勤めているヨシエの所にも同じようなのが
「アンタとこのじいちゃん、この暑いがに田んぼの草刈っとったぜ」
と油を売りに来る。こっちは誰が言ったか
「なんでもアンタとこ、怖いヨメはんおって、草刈りせんにゃ家に入れてあたらんいうて近所で評判やないけ」
とやたら内情に詳しい。
そんな話を自ら切り出したヨシエに、
「ほら、近所の人に誤解されとるないか。こんな風にあることないこと言われんためにも、もう少し家族に優しくならんにゃ」
と言ったら
「何でけ! 意味わからん! どうせ誤解されとるがなら、その通り実行せんにゃ損するがアタシやないけ!」
2016年7月
※1 男がだらしなくなったから
京都 祇園の「鳩」のお母さん
さだまさし 噺歌集Ⅴ(文芸春秋)より
『関白宣言』という歌を作るきっかけにもなったらしい。
※2 子ども叱るな来た道だもの。大人笑うな行く道だもの
永六輔著『無名人名語録』(講談社)より
同じく
永六輔著『大往生』より
誰が発した言葉かは不明
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