第11話

「素敵なお人。お前は?」


 ゆっくりと、女の首が傾けられました。


 僕は、吸い寄せられるように近付き、彼女の着物の裾が風になびくのを眺め、その下から覗く白い太腿の柔らかな線に視線を這わせました。


「美しい貴女の名前を教えてください」

「美しい貴方のお名前を、わたくしにお教えくださいまし」


 女は、僕と同じことを尋ねました。しかし、僕はもう一度、同じ質問を返しました。


 うふふふふ、と女は笑いました。真っ赤な唇は、今にも血が滴り落ちそうなほど鮮やかな色でした。


「好きに呼ばれているのよ」

「では、『愛しい人』と呼びます」

「その呼び方、とっても素敵。――貴方、どうぞこちらにいらっしゃって」


 女の身体が、ふわり、と舞い降りてくるように近付いてきました。桜の木の根元に張られた太い糸の網目は、降りてきた女を柔らかに受け止めるシーツのようでした。


「美しい」


 僕は蜘蛛の巣に上がり、そこに横たわった女を見下ろしました。椿柄の赤い着物が広がり、はだけた裾の間から、白い肢体が月光の下で浮かび上がっています。


 帯をゆっくりと解いていくと、女は細い指先で僕の頬に触れました。その吸いつくようなしっとりとした触り心地に、僕は堪らず女の手を掴み指に舌を這わせました。


 女の肌は驚くほど冷たく、そして柔らかでした。


 僕は首筋から胸の谷間へと降りながら、女の白い肌にむしゃぶりつき、躊躇なく着物をめくり払うと、甘い芳香の漂う太腿へと歯を立てました。


 女の口から絡みつくような吐息がもれるたび、僕はより一層女の肌を唇で吸い、歯で柔らかく噛み、手を這わせました。そのたび女は悦びの声を上げました。


 ようやく唇を放し、僕と女は近くからお互いの顔を見つめ合いました。僕が彼女の白く細い首に両手で触れれば、彼女は僕の頬へと白い指先を伸ばしました。


「この目、とても綺麗ね」


 変わった色だわ、と女は言いました。


 彼女の柘榴色の美しい目に映った僕の唇は、潜血のように赤く色艶を帯び、薄っすらと笑んでいるのが見えました。


「欲しいですか」


 僕は両手を彼女の滑らかな首から滑らせ、耳元、耳元から顔を撫でながら、柘榴色の瞳に映る妖艶な少年の微笑みを覗き込みました。


 女の赤い瞳と唇が、笑みを作って「ええ」と囁きをもらします。


「あなたの子と、あなたのその目が欲しいわ」


 くれるわよね、と言って女は僕の腰を引き寄せました。


 僕は微笑むと「ええ」とうなずきました。僕は、まず自分の左の眼球をえぐり取ると、彼女の唇にそれをそっと押しててました。


「見えなくなってしまっては困るので、今は、まずは一つだけプレゼントします」


 女は、唇にそれを受け取り、とても満足そうに笑顔をほころばせます。


 やはり、彼女ほど美しい顔はないでしょう。そして、柘榴色の瞳は、世界に一つしかない美しさです。


 可愛い猫には肝臓をわけてくれよ、と黒猫の歌が脳裏を過ぎりました。どこか遠くで、にゃーお、と可愛らしい鳴き声がします。


「本当に美しいです」


 僕は、ぽっかりと空いた窪みと右の薄紫の目で、女を愛おしげに見つめ続けていました。彼女はおあずけをくらったように苦しそうに身をよじらせ、唇にのった僕の眼球をつまみ取ると、先を促すようと僕のズボンの横を撫でました。


 ピンポン玉よりも小さな蜘蛛が、横から僕の口に降りてきて、空腹を感じ出していた僕はそれを咀嚼しました。


 近くにいた拳サイズの蜘蛛が、女から薄紫の眼球を受け取ります。すると開いた女の口元にも、別の蜘蛛が飛び込み、女は満足そうにそれを呑みました。


「ねえ、私があなたの代わりに目となって動いてあげる。だから先に、右に残ったその目もちょうだい」


 まだ動かない僕を前に、女が「なら、そっちを」と微笑してねだってきました。


 僕は、「ふふふ」と笑みをこぼしてうなずきました。


「いいですよ。僕の残った目も、あなたにプレゼントしてさしあげます」


 女の顔に満足感が広がりましたが、不意に彼女は顔を強張らせます。


「そのかわり、あなたの美しい目を僕にください」


 僕は両方の手で、女の眼球を抉り出しました。ぽっかりと空いた窪みから血を噴き出させた女は、この世のものとは思えない叫びを上げて眼孔を押さえました。


 耳を突き刺す甲高い悲鳴は、刺激的でとても美しいものでした。赤く染まっていく白い肌も美しくて、呪いの言葉を吐き続ける彼女の唇も、愛しくてたまりません。


 僕はまず左目に眼球をはめ、そして、ゆっくりと右目を薄紫色から柘榴色に交換しました。


 とても素晴らしい目でした。目を開けてみると、そこに広がった世界は、強烈なほどの美を満開に咲かせて僕に愛を囁きかけました。


 それから僕は、邪魔だったので、組み敷いた下で暴れる彼女の美しい四肢を切り落としました。闇の視界では、さぞ不便だろうと薄紫の目を彼女に入れてあげました。血の涙を流してもなお、彼女の美しさが欠けることはありません。


 彼女は本当に、人ならざるモノの女王に相応しい女でした。


「四肢を切り取ってちょうだいな

 綺麗な頭は傷つけずに残しましょ

 死の接吻に命の逢瀬を重ねて

 生みつけた子供達が腹から孵る」


 どこからか、黒猫の奇妙な歌が聞こえてきました。女の瞳が恐怖に見開き、動かしようのない胴体を懸命によじります。


 切り離された彼女の四肢は、巨大な蜘蛛の足に変わり、はだけ飛んだ着物の中の裸体に取り残された彼女の胴体は、だんだんと黒く硬い体毛をはやしながら大きく膨れ上がっていきました。

 これ以上大きくなると、僕は女の顔を切り離すのに、少し苦労してしまうでしょう。


「この顔は、そのままがいいね。蜘蛛に戻してしまうのはもったいない」


 女が、何やら美しい声で懇願してきましたが、次々に小さな蜘蛛が彼女の口に飛び込み、その声はかき消えてしまいました。「止めて」というくぐもった言葉は、血と涙の中でとても甘美です。


 ああ、本当に美しい女です。


 遠い昔に、初めての僕のものになった女です。


「父様」


 いつの間にかそばまで来ていたあの青年が、うっとりとして言いました。二メートルはある巨大な蜘蛛を中心に、大小様々な蜘蛛達が屋敷中を窮屈そうに這い蠢いています。


「おじいさんの寝室に入ってはいけませんよ」


 僕は言いながら、丁寧に彼女の首を胴体から切り離しました。彼女の胴体が蜘蛛と化す中、優しく抱き寄せ、僕は薄紫の目を持った美しい女の顔を飽きずに眺め、そして、その赤い唇に吸いつくようなキスを一つしました。


 これ以上の美しい女の顔は、どこを探してもいないでしょう。


 その白い肌も赤い唇も、食いちぎって口の中で愛撫したいほどのものでした。


「可愛い子供達に譲ってやるけどさ、次の生き肝は俺に分けておくれよ」


 塀から眺めていた黒猫が、にゃーお、と嗤いました。


「もちろんですよ。親切で可愛い、黒猫さん」


 僕は女の顔に残った血を、舌できれいに舐め取ってあげました。



 蕾のような女の唇のデザートは、最後に残しておくつもりだったのですが、腹が空いたので夜明け前に食べてしまいました。


 どれぐらい眺めても飽きないぐらい、本当に美しい首でした。おじいさんに見せてあげたかった。そして彼女の頬と唇は、――とてもとても美味しかった。


             ◇◇◇

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