3.冬季遊撃レンジャー

 公園で出会った時は、あんなに素敵な笑顔を見せてくれたのに。

 父と母に『ヨキを助けてくれた』と口々にお礼を言われても、館野一尉はわずかな笑みしか見せず、硬い表情のまま。『ごく当たり前のことをしただけですので、お気になさらず』と淡々としていた。

 上官の手前、副官としての職務姿勢が先行しているのかもしれない。


 もちろん寿々花にも冷たい横顔しか見せてくれなかった。

 寿々花から見れば、一尉はかなり上の上官になる。旅団長の副官となれば、かなり厳しい道をくぐりぬけてきた経歴をもつ優秀幹部。お互いに制服を着ている以上、こちらから安易に話しかけられないエリート隊員だ。


「では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、お父さん」

「行ってらっしゃいませ、将補」


 門扉はすでに開けられていて、道脇には黒いセダン車が止まっている。

 運転席から降りて控えている運転手の隊員も、まっすぐ背を伸ばした姿勢で待機している。

 館野一尉が後部座席のドアを開ける。父がそこへすんなりと入り込み乗車する。また彼が丁寧にドアを閉めた。静かに。そこで彼がまた伊藤家の玄関へと振りかえる。


「では、お連れいたします。奥様、お嬢様、お邪魔いたしました。今後もよろしくお願いいたします」


 こちらへとまた敬礼をしてくれた。

 母と『夫を、父を、よろしくお願いいたします』と一礼をする。

 頭を上げると、まだ館野一尉がじっとこちらを見つめていた。でも真顔。怖い顔をしている。そう、職務を背負っている自衛官はこんな顔をする。それだけのこと。父もそうだったはず。それでも……。彼が寿々花を見ているのがわかる。視線が外れなかった。


 寿々花が戸惑っていると、そのうちに彼からサッと外して背を向けた。車両の後ろをまわり後部座席の右側ドアへと向かっていく。彼もさっと乗り込むと、運転手の若い隊員も乗り込んだ。


 セダン車が発進をすると、父は軽く手をふり、向こう側にいる彼は会釈をしてくれた。


 母と揃って、ほっとひと息ついてしまう。

 すごい威圧感があったと寿々花は思うのだが、母はきっと、夫の新しい部下にきちんと妻として挨拶を終えられた緊張から解けたからなのだろう。


「まあ。会いたいと思っていた方にさっそく会えてびっくりよ。そう、館野さんだったのね。よっ君を捕まえてくれたのは」

「私もびっくりしたんだから。あ、でも、納得。自衛官で鍛えられている人だったんだ。動作も綺麗でキビキビしていたもの」


 すると母が妙に自慢げに胸を張ったのだ。


「そりゃあ、ね。お父さんの副官になった館野さん。夏季レンジャーも、ここ真駒内で行っている冬季レンジャー『遊撃』も取得している強者よ。スキーがすごく上手いんですって。身体能力抜群で判断力もあるらしくて、将来有望なんですって」

「そ、そうなんだ」


 過酷なレンジャー訓練を、夏季と冬季両方修了していると聞けば、自衛官ならば確かに『うわ、強者!』と畏怖するほどのこと。だから寿々花も驚きおののく。母はまだまだ興奮気味に続ける。


「夏季、冬季と両方のレンジャー資格を持っているうえに、富士学校の幹部レンジャーも修了済み。だから制服の胸につけていたレンジャー徽章きしょうが金色だったでしょ。空挺レンジャーも取れそうよね。お父さんが館野ならやれそうとお墨付きみたいだし。ヨキ君をすばやく保護してくれたのも納得!」


 そんな優秀な自衛官とも知らず、寿々花は『陸上選手ですか』みたいな質問をしていた。だが自衛隊の制服を着ていなければ互いに一般人。わかるはずもない。

 なのに館野一尉は『こんなことしか能がない』と言っていたのだ。


 夏季レンジャーは世間一般で知られている『レンジャー』と呼ばれる課程になる。『冬季遊撃』と呼ばれる訓練課程とは、まさに冬山雪原などでの雪中戦に備えた遊撃行動に必要な知識と技能を取得する訓練課程で、現在は真駒内駐屯地内の教育部隊が訓練を受け持っている。


 冬季迷彩と呼ばれる白い戦闘服を着込み、重い装備を背負い足下はスキーを履いて、凍傷と隣り合わせ、ニセコの-40℃の雪山を歩く。かつてのソビエト連邦を警戒した防衛に重きを置いていたころから力を入れていた特別訓練でもあった。


 夏季レンジャーを取得、なおかつスキー検定2級相当以上の資格、自衛隊のスキー技能検定の習得がないと受けられない課程だった。


 冬季遊撃レンジャーの徽章を持つ隊員は、夏季レンジャー徽章、スキー徽章を既に持っている上で、冬季遊撃徽章も胸につけられる。

 なおかつ彼は、金色のレンジャー徽章も持っているのだ。


 つまりはかなりの身体能力があるということになる。そして過酷な訓練を耐え抜いてきたストイックなメンタルも持ち合わせている男ということでもある。


 ああ、こんな話を聞いてしまったら、畏れ多くてもう気易く話しかけられないよ――。そう思うほど、彼が一気に遠い人になった気分だった。


 父が率いる旅団司令部隊と音楽隊では業務内容も勤務する建物もテリトリーも異なるので、日常で会うこともそうはないだろう。

 それに父と母にはもう『ヨキの恩人』として判明したので、両親から彼に御礼をすることだろう。


 ほんの少し。心が沈んでいることに寿々花は気がついてしまう。

 彼が優秀すぎる幹部だったこともある。とんでもなく近寄りがたい上官ということになる。でも、そうじゃない。寿々花ががっかりしているのは、彼の顔が怖かったことだ。


 自衛官は職務中は微笑まない。そうわかっていても。



⇒4話『近づいてはいけません』も更新済みです

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