三章 その武道派生徒会長は(2)

「三学年の教室は、ここから二階分も離れているのよ!? だから生徒会に入るか番号を交換して、まずは私と交流を図りなさいッ」

「困ります、お断りします。そして『気になっている』というのはあなたの勘違いだと思いますので、即刻、大人しく速やかにお帰りください」


 理樹は距離感を与える敬語口調で即答して、その個人的な要求をバッサリ切り捨てた。前世の経験からすると、こういう勘違いタイプは少し考える時間を与えれば、自分で気付いて熱も冷めるだろう。



 その時、沙羅が男装の風紀委部員のレイと共に、教室に顔を覗かせた。

 二人が登場した瞬間、そちらを振り返ったクラスメイトたちが、ピシリと音を立てて固まった。



 まるで密会か三角関係の鉢合わせ、または不倫現場か色事の修羅場を見られたような空気になっているのを見て、理樹はゆっくりと眉を顰めた。


 そもそも沙羅とは付き合ってはいないし、付き合う予定だってない。


 お前ら揃って見事に固まっているが、一体何が言いたいんだ?


 どこか緊迫したような空気が張り詰めて静まり返る教室内で、対面している理樹と大人びた美少女を見て、沙羅が戸惑う表情を浮かべた。

 沙羅と一緒にきていたレイが、双方へ視線を往復させて「なんで生徒会長がここにいるんだ……?」と初見の疑問を口にする。


 宮應静が生徒会長らしいキリリとした表情に戻して、背中で大きく波打つ髪を揺らせて、教室の出入り口に佇む二人の少女へ目を向けた。


「あなた、入試テストで学年三位だった一年一組の桜羽沙羅さんね。入学時から九条理樹を追いかけている女子がいることは調べ済みよ」


 それを耳にした理樹は、「それって職権乱用じゃないか?」と冷静に呟いていた。拓斗が顎に手をあてて「行動が早いな」と相槌を打つ。


 宮應の視線と口調は、牽制するような棘を孕んでいた。そばにいるレイには目もくれず沙羅だけをロックオンし、彼女が見定めるようにすぅっと目を細める様子を見て、クラスメイトたちが心配する目を沙羅に戻した。


「告白を断られているのに、しつこく追いかけてアタックし続けるなんて、迷惑だと思わないの?」


 きつい言い方だと察した女子生徒が、「さすがにそれは言いすぎなんじゃ――」と沙羅に味方しようとした時、



「私はッ、九条君が本当に好きなんです!」



 宮應のハキハキとした声を、遮るほど大きい甲高い叫びが教室に響き渡った。初めて聞くのではないかと思うような沙羅の大声は、悲鳴のような威力をもって一瞬場の沈黙を吹き飛ばしていた。


 レイが目を剥き、生徒たちがびっくりした様子で彼女を見る。先程まで悠長にしていた拓斗も、意外だと言わんばかりに目を見開いた。


 腹の底から声を絞り出した沙羅が、きゅっと唇に力を込めて宮應を見つめ返した。怖気づくか小さくなるかと予想されていたものの、その大きな瞳を少し潤しつつも珍しく強い眼差しでしっかり宮應を見据える。


「九条君を一目で好きになりました。私は、一緒に過ごす中で彼のことがもっと好きになって……そもそも、どうして違う学年の先輩がここにいるんですか?」


 沙羅の様子をじっと観察していた宮應は、思案気に長い髪を手で後ろに払いのけたかと思うと、一度そらした視線を彼女へと戻して、こう言った。


「私はね、恋愛がどういうものか共感したこともなければ、異性が気になった経験もないわ。けれど初めて現実の男性に興味を引かれた、それが九条理樹だった。気になったことには集中して取り組みたいの――だから、まずは彼の周りをうろちょろするのを、あなたには少しやめて頂きたいわ」


 宮應は、キッパリとそう告げた。

 ざわつく教室内の雰囲気ももろともせず、ブレザーの小振りな胸を持ち上げるように腕を組んで、微塵にも臆さない態度で言葉を続ける。 


「それに十代の子供が、本気で恋愛できるかなんて怪しいものでしょう、私は漫画やゲームの中の恋愛なんて信じてない。あんなに誰かを想って想われるようなことなんて、奇跡でもない限り自分に降って来ないものだと思ってる」


 でもね、と宮應はつらつらと慣れた演説のように、冷静な口調のまま言った。


「だからといって、私は自分の価値観を誰かに押し付けるような愚かなことはしないわ、本気で恋をしている女の子の邪魔をするつもりはないのよ」


 恋愛がどんなものであるか想像して憧れる気持ちは分かるもの、と宮應は秀麗な眉を顰めて呟いた。一度足元に視線を落とすと、すぐに沙羅へと戻す。


「だから、そこまで言うのなら正面からあなたと向き合うわ。らしくなく興奮してしまって気付かなかったのだけれど、自分の個人的な意見だけで『しばらく彼に近づかないで』と誰かの行動を制限するなんて、そんな権利は誰にもないものね」


 つまりコレは『お願い』ということになるわね、と彼女は思案するように言って、片手を解(ほど)いて説くように手振りを交えて話の先を続けた。


「私は時間をかけるような話し合いは好きではないわ。だから私が勝ったら、あなたは『彼の周りをうろちょろするのを少しやめる』という『お願い』を大人しく聞いてもらえないかしら」


「勝ったらって一体……それに私が『お願いを聞く』というのは…………?」

「手っ取り早く白黒を付けるために、勝負しましょう、桜羽沙羅さん」

「…………しょう、ぶ……?」


 ここで、沙羅が初めて不安を表情に滲ませた。

 先程、彼女の本気だと分かる大声を聞いていたレイが、口を挟むことは出来そうにないとこらえる様子で、戸惑いながらも視線を忙しなく往復させて見守っていた。


 勝負というのは穏やかではない。理樹は「おい」と言いかけたが、それよりも早く宮應が口を開いていた。


「私は三年生という受験生であり、生徒会長という多忙な身なの。その間の少ない時間を使って、九条理樹と交流を取ってみたいと思っている。だから手っ取り早く白黒付けたいのよ。彼に対して真剣でないのなら、あなたにはしばらく大人しくしていて欲しいと考えているわ」


 そこで、と美麗な生徒会長はにこりともせずに告げる。


「トラック競走で勝負を挑むわ」

「……つまり走って勝負を付ける、ということですか……?」


 足はとても遅いです、と沙羅は口の中に不安をこぼした。周りの女子生徒たちが、宮應を非難するように眉を顰めてざわめいた。どう考えても生徒会長のほうに有利であることは、朝の一件を見ていた面々には容易に想像がついたのだ。


 すると、生徒会長である宮應静が、そんな反応は予想済みだったとでも言うように「説明は最後まで聞くものよ」と後輩たちを嗜めるように言って、鬱陶しそうに彼らを見渡した。


「勝負はフェアでいくわ。私は学力も体力においても敵無しだから、三学年の中で運動が苦手な子を代役に立てる。勝負種目は五十メートル競走よ」


 彼女は自身について、包み隠さずキッパリとそう言った。その言葉から、どれほど己の文武両道に自信を持ち、そして同時に誇りを持っているのかが窺えた。


「私が見たいのはね、桜羽沙羅さんの『本気』よ。さっきも言ったけれど、私は恋愛感だとかそういったものが分からない。苦手だからといってやりたくないという程度のことなのなら、あなたの想いはそこまで、としか見ることが出来ないのよ」


 そこで意思確認をするように、一度宮應が言葉を切った。


 じっと彼女を見つめ返して沙羅が、価値観や見方の違いを理解し受け止めようとするかのように「『そこまでとしか、見ることが出来ない』……それが、あなたが信じていることなのですね」と口の中で反芻した。


 宮應は「そうよ」と、躊躇もなく言って話を続けた。


「勝負は未制限、何度でもリベンジ可能。あなたが一本でも勝てば、九条理樹と交流を図る中で、あなたが近くにいようと私はもう何も言わないわ。けれど勝負が付くまでにあなたが途中で走ることを投げ出したら、あなたの負けよ。その時は、彼のことを少しの間だけでいいから諦めて大人しくしていてちょうだい」


 告げられた沙羅が、言われた内容を頭の中で整理するように沈黙した。


 宮應の要求は、個人の想いを強制拘束するものではない。けれどこれまでの沙羅の様子を知っている五組の生徒たちは、負ければしばらくはこのような訪問もするな、とどこか押し付けるような宮應の意見については納得も出来ず、勝負自体受ける必要もないのではと沙羅に助言するように呟いた。


 黙って状況を見ていた理樹は、小さな苛立ちを覚えて、沙羅を見つめている宮應に「おい」と声を掛けた。そもそも、そんな勝負が出来る女性ではないと、彼が一番よく知っていた。


「勝手に話し進めるな――」 


 それとほぼ同じタイミングで、まるで理樹の発言を遮るように、沙羅の声が重なった。


「私が勝ったら、先輩はもう何も言わないんですよね?」

「ええ、その通りよ」


 まさか、と理樹は少し目を見開いた。


 同じような言葉を表情に出した生徒たちとレイが小さく息を呑み、拓斗が考え直した方がいいと言わんばかりに「沙羅ちゃん、まさか」と言いかけたが、遅かった。

 宮應を見つめていた沙羅が、ぎゅっと拳を握り締めてしっかりこう告げた。



「――その勝負、受けて立ちます」

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