一章 高校生活一週間目(3)目が覚めたら保健室だったんだが厄介なことに、、、1

 彼は、自分はひどい男なんだぜ、とよく口にした。

 荒くれ者だった父は長年にわたる酒の多量摂取で早死にし、当時十八歳で爵位を継いでから一人でやってきた。


 幼い頃の貧しい暮らしが大嫌いで、父が築き上げた成り上がり貴族としての地位を固めるため、社交の場では女から上手く情報を引き出したり、貴族の間でこっそり浸透していたい方取引の場にもよく参加した。


 それなのに結婚前、こんな事を言っていた男がいた。


「お前は優しい男さ、リッキー」

「なんの話だ。酔ってるのか?」

「まだ酔っちゃいねぇが、――俺らみたいな街の荒くれと付き合っても、お前は地獄に落ちるような人間にはなれねぇってことさ」


 彼らと同じように殴り合いの喧嘩をし、イカサマもお手の物で、人を騙すのも得意な人間が悪党ではないなんて、そんな馬鹿なことあるわけがない。


 だからそこ、ドロドロの貴族社会だって平気で図太くやっていけるのだ。


 喧嘩を売られたら、買って勝てばいいだけの話だ。よれよれの私服で都会の隅にある廃れた街中を歩いていても、誰も彼が『リチャード』と呼ばれている農村領主だとも気付かないくらいに馴染んでいる。


「噂の伯爵令嬢が近いうちに婚約破棄されて、お前がその次の婚約者に収まるってか。リッキー、おめぇは見える行動だけを語るなら、まるで演劇の中の悪党貴族みてぇだな」

「悪党だろう。違法薬物を買い取って、その倍以上の値段で貴族様方に売って稼いでもいるんだ。じゅうぶん『悪』さ」


 質の悪い煙草を好むお坊ちゃまがいるかよ、と、リチャードはそれを灰皿に潰した。

 立ち上がりながら「じゃ、そっちの取引は頼んだぜ」と言って、夜の下町に出る用のよれよれのジャケットを手に取る。


「俺は、その日は社交で用事がある。ドレックスの連中には、次回も欲しいなら売ると伝えておいてくれ」


 そう言って歩きだした時、「リッキー」と愛称を呼ばれた。


 リチャードが面倒臭そうに肩越しに振り返ると、この地区のギャングであるその中年男が、ニヤリと欠けた歯を見せて笑った。


「納税分に足りねぇんだろ。お前が提示した一回り上の金額で売り付けてきてやる」


 そう言われたリチャードは、特に表情も変えなかった。少し癖のある漆黒の髪を後ろに撫で付けて、それから視線をそらすように後ろ手を振って歩き出した。


「ウチは不作なんだ。税を上げるわけにはいかんだろ、冬を越せなくなる」


 男が外に働きに出れば、女がより苦労する。それは貧乏時代によく見ていた光景だった。


 クソみたいな土壌の地も、きっと何かしら解決策や方法があるはずなのだ。対策と改善を続ければ、いずれ豊かな土地となってくれるだろう。天候条件は決して悪くないのだ、微塵にも価値にならない野花や雑草が育つくらいならば、もっと品質の強い農作物を選んで試してみれば、あるいは――


             ※※※※

 

 理樹は、意識が浮上するのを感じて、ふっと目を開けた。


「つまらない夢を見たな……」


 遠い昔の、別の世界で生きていた頃の記憶だ。成長するにしたがって前世の頃を夢見ることなんてほとんどなかったのに、ここへきて結婚前のつまらないワンシーンを思い出したものである。

 より安定した大きな資金と、生粋貴族とのパイプ。そして後継者と社会的立場を強化するために、あの数年後に十歳年下の彼女のことを知って、俺は――


 そう思い出し掛けて、理樹は「今更なに回想してんだ」と鼻で嗤った。


 前世の記憶なんて必要ないものだ。たまたま生まれ変わって、そして彼女と同じ年で再会するなんてことは数奇な巡り合わせだろう。だからこそ『好き』を向けられるだなんてことは、有り得ないとも思っている。



 十歳も後に生まれて、自分よりも数十年も早くに死んだ。

 運命は繰り返すだとか、迷信なんて信じない。そんなゲームみたいな話があってたまるか。



 けれど理樹は、自分の馬鹿らしさに嗤いながら、知らず拳を固めていた。


 自分のことだけであったのなら、前世の記憶については、馬鹿らしいと切り捨てて放り投げていただろう。

 それでも、そうすることが出来ないのは、再び目の前に現われた彼女が、前世で自分が初めて出会った十六歳の姿だったからだろうか。


 魂が同じだけで、彼女は別人だ。そして、俺もリチャードじゃない。


 平民仲間にリッキーと呼ばれていた男は、もうどこにもいないのだ。そして、サラも――



「よっ、理樹! お昼ぴったりに目が覚めるとか、さすがだな!」



 突然「迎えに来たぜ~」と全く心配もしていない陽気な声を上げて、拓斗が仕切りの白いカーテンをめくって顔を覗かせた。購買でゲットした二人分の弁当が入った袋を掲げて見せて、こう続ける。


「感謝しろよ、お前の分のエビフライ弁当も買ってきてやったぜ」


 気のせいか、こちらの苛立ちを煽るくらい、活き活きとして楽しそうな面である。

 理樹は現実に思考を戻し、今の自分が置かれている状況を確認すべく目を向けた。白いベッドに、仕切りのように周りを覆う白いカーテン。独特の薬品の匂いが鼻をついて、つい先程、自分が男装少女に殴られたことを思い出した。


 ベッドのそばにある椅子を引き寄せて、拓斗がドカリと腰を下ろした。


「お前、また一つ有名になったなぁ」

「はぁ? 突然なんだよ」


 ニヤニヤしている親友を訝しく見やると、続けてこう尋ねられた。


「それにしても見事に殴られてたけど、頭は平気か?」

「どこに衝撃を受けたのか、正確に認識する前にブラックアウトした」

「そりゃ重症だ。さすがは風紀委員会が期待する新人風紀部員だな、元風紀委員長をやってただけはある」


 気になるキーワードが聞こえたが、理樹はひとまず上体を起こして、衝撃を受けたと思われる頭の横あたりを手で探ることから始めた。


 もともと石頭なのが幸いしたのか、打ちどころが良かったのか。それとも体術に長けた人間による『意識を奪うための的確な攻撃』だったせいか、痛む箇所はなかった。……ほんのりと腫れているような気はするが。


「しっかし、お前が喧嘩に強い攻撃型だけじゃなくて、守りも上手いとは思わなかったわ。咄嗟にしては見事な腕前で、見てた一部の連中が『沙羅ちゃんの恋を応援する!』派に傾いたくらいだぜ」

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